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3月&4月 [振り返る&迎える]

《振り返る3月》
Ayu医師意見書作成のため受診☆☆☆・黒のパンツスーツ購入(試着して9号に・今後の体型維持必須!・汗)☆☆☆・十数年ぶりでショートカットに☆☆☆・「いちご畑」から雑草とり始める☆☆☆・近所にお悔やみあり★★・親子で歯科定期健診☆☆☆・歩く会は中止に★★★

《迎える4月》
地域の春清掃・単独でウォーキング&お花見?・山行2件ようやく催行?・りんごアルバイト始まる・ウォーキング参加?etc…
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たいした花粉症でない私ですが、ちょっと外に出ればくしゃみ&目のかゆみ。震災のあった2011年春に次ぐ症状です。

今月に入って、この冬の目標だった整理&取捨をようやく始めました。ぼちぼち~ですが。
一番が、『こんなの持ってたんだ~!!』と存在を忘れていたモノの発見→即、活用
それって、やっぱり所有しすぎているということですよね。すぐに一巡してまた減らしたい気分です。
頭の中もモノも、自分が把握できる量にしたい(コンパクトにしないと抜け落ちていくばかりのこの頃です)。

早くもドラマ化! [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

『あの胸が岬のように遠かった』、まずは明日早朝、NHK BS4Kでドラマ放映
藤野涼子さん、が河野さんね。いい。『ひよっこ』での籠城シーン、あのドラマで一番好きでした。
私の環境で見られるまで待ちましょう《NHK BSプレミアムで22年春放送予定、とあり》。

書籍も刊行されたよう。早く読みたい。注目です

September [Music]

一昨日あたりより、庭の球根系の緑が一気に成長、自己主張し始めました。
東京はサクラが満開とのこと。今日は花冷えとなり、持ちそうですね。こちらはまだ梅です。

夜、ラジオから聴こえてきて「この人誰?」と。 ♪赤いスイトピー
数日後、別のラジオより。 ♪September 通常アルバムには入っていないよう。
後者は特に、オリジナルより歌詞が際立つ。そういう失恋の歌だったのかと。
アレンジも冴えている

昨年から聴く機会はあったが、映像なしの音のみで入ってくるとさらに魅力的。
宮本浩次さんのカバー集。いまさらですが☆

ふきのとう [信州で作物を育てる&自然や花]

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先日、いつもの方から玄関先に大量のふきのとうが。美味しくいただきました《春の苦み》。
そうしたら、我が家の隅にもいくつか顔が~♪【左】
例年より遅いですが、黄のサンシュユも咲いてきました。

胃が合うふたり [よんでみました]

胃が合うふたり

胃が合うふたり

  • 作者: 千早 茜
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2021/10/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

これは、新井賞の新井さんの著作だと私の中でカウントしておらず、今となった。知る人ぞ知る有名書店員と、作家(私は作品未読)が交互に書く。1980年生まれと、1979年生まれ。
タイトルから内容は推測できる。

新井見枝香さん
【~仲間とワイワイ食べるのが楽しいときもある。だが、楽しいせいで、味わうことが二の次になってしまう。私はそれが嫌だった。】
千早茜さん
【~料理人が意図した通りに熱いものは熱いうちに冷たいものは冷たいうちに食べたい。】
本当に美味しいモノをいただくなら、たしかに集中したい。その点が、まず2人は合っていた。

《千早》
【私は記録魔だ。日記は2歳の頃からつけている~】
すごいな。きっと保管もしてあるのだろう。作家になるべくして、か。
【新井どんは拍子抜けするくらい自由だった。目を離すといなくなるし、計画なんてたてない。違うものを見たいときはさっと別行動し、食べるときには自然に集合する。眠りたいときに寝て、喋りたくないときは黙っている。】
とっても憧れるし、それを許容できる関係は「素晴らしい女ともだち」と思う。そう振る舞える新井さんは、もちろん相手を選んでいるわけで。

【けれど、新井どんは真剣だった。踊り子をつとめながらも、書店員も続けようと、各方面と話し合いをしているようだった。】
この本のもう1つの主題は、これだろう。元々、それぞれきっかけあって共に鑑賞へ出かけていたが、ある日、新井さんが出演者側になると言う。ほうぼうへの手回しもあっただろうし、友への報告は遅れたそうだ。
しかし、そんな友のステージを初めて観たとき、それまでの雑念は吹き飛んだ。
【人の作品をまっすぐに見る人は、同じようにまっすぐ放つのだと思った。~あんまりに可愛くて、楽しそうで、この子はステージで輝くために生まれたんだ、と感じた。】

新井さんは今、書店員&もの書き&踊り子の3足。正規で働きながら、所属先の理解を得て、自分が進みたい別の道も同時に~というスタイル、もっと認められていくべきでしょう。

【~新井どんは時折すっと退くのだ。衝動的な感情で人を傷つけ、自分も嫌な思いをしないように。途絶える連絡やふと生じる距離感は、言葉足らずな彼女の優しさだった。~彼女のほうがずっと人や自分を慮っている。】
適当な距離感。ますます人として惹きつけられる、新井さん

ちなみに、私もよく存じ上げない千早さんは、
《新井》
【~クッキーを、きちんとソーサーに載せた紅茶とともに味わっている~】人。
私のイメージもそうです。

千早さんの文章の中で、考えさせられたことが。小学生時代をアフリカで暮らしており、映画『パラサイト』は昔の自分の姿を突きつけられたようで苦い気持ちになったそうだ。
自分の家族は、使用人を使っていた側だった。彼らに裏の顔があることも幼いながら気づいていた(詳細略)。
別角度からも考える。大切なことに気づかされた。

《新井》
銀座はパフェの街である。】
あー、別腹のパフェ、食べたい。長いこと出かけられていないそちらの方へ行けたのなら、りっぱなやつ、いただきたいな~。何も考えずに。

おかあさんライフ。 毎日一緒におさんぽ編 [よんでみました]

おかあさんライフ。 毎日一緒におさんぽ編 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

おかあさんライフ。 毎日一緒におさんぽ編 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

  • 作者: たかぎ なおこ
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2021/09/30
  • メディア: 単行本

たかぎさんの、育児コミック続編。1歳10カ月~3歳5カ月。一番、カワイイ頃ですね。
幼稚園入園に際し、夫婦でどこがよいかと見学。
こういう時ですね、ひとり親だとひとりで決断しないといけないのでうらやましいと心底思うのは。真剣に子どもによかれと考えてくれる頭数は複数あった方がよい。

入園グッズを、ミシン&手縫いで一式揃いで作ったな。片付けのたびに再会し、捨てることはなく、奥に大切にしまっています。

父の続き⑤ 最終回 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

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【おとといも降った・今年はまだウグイスが啼かない】

先月末、重い腰を上げて、母の部屋で父の衣類等を整理しました。厚手のズボン下など、母が防寒用に着られるものは既に使用しています。

さて、事務用事では「父名義のガラケー」、がありました(ここ数年は母が所持)。ケータイ会社に死亡事項がすぐに伝わることはないと思いましたが、早めにスルッと変更しておいた方がよい(死亡とわかれば謄本等、必要となる書類が出てくる)と判断。
《よくあるのは「死亡したのにそのまま料金が引き落とされ続けていた」という、むしろ身内からの申し出が遅れて…というケースのよう。》

年内に、その番号のまま、Ayu名義に変更しました(ババもいずれ危ないカモ)。同じ名字で同じ住所(下参考)、同じコースでそのまま使用~とのことで、本人を連れて行き(引き落としは私の口座からまとめて…なのですが、なぜか娘名義の通帳の表紙提示だけは要でした)、無事済みました。
つまり、料金さえ払い続けてくれれば、あちらとしては名義はあまり問題ではない気もしました。
《但し、父のケータイは近頃の3G終了に伴い、昨年に新しいガラケー機種に変更しており、名義変更したことで、少々ですが数カ月続くはずの割引サービスがそこでSTOPしました(あとで規約にあたって気づいた)。》

さて、昨夏に特別養護老人ホーム(特養)に入居した父、その際は「現住所をホームにする」ことの説明を受けました。ですが、同じ町内でもありますし、娘の私が父宛ての郵便物の処理はできることもあり、変更しませんでした。
(「そういう方も数人おられます」と先方。…不安もあり、アルバイト仲間&人生の先輩に尋ねたところ「うちの伯母も最期まで変えなかったよ」の助言もあり、通しました。)
我が家はそれでよかったのだと思います。父宛ての開封をすべておまかせするのは「?」もありました。
【住所変更したのなら、面倒な各種更新手続きまでしてくださった?のだと思います・でもやれるのでしたら、住む場所は実質離れても、家族として面倒をみられる場面は残してよいのではと考えます☆(把握する、という意味でも)】

亡くなった後、父の「おくすり手帳」が手元に戻ってきました。同居している頃は、私と母がお医者には必ず付き添っていたので、どんな薬をどれだけ処方されているか、それまでは納得した上でいただいていたわけです。入居前から、そのホームのかかりつけ医にお世話にはなっていましたが、あらたに私の知らない貼り薬の名前を見つけ、「ああ、入居するということは、お医者さんの診断と一存で処方されていくのだな」とも強く感じました。
『家族の日常のお世話をお願いする→すべておまかせする』(もちろん「インフルエンザ接種」などは、毎回家族の了解書類は求められます!)ということなのだと《何度も繰り返していますが・苦笑》。

火葬当日のこと。年末寒波で雪となり、足をとられないような武装が第一なため、スカートの喪服は着られず、黒のズボン、防寒はグレーのダウンジャケットに頼りました(こういう色の服は普段から持っておくことが必要と痛感)。
というわけで、寒さ必須の地ですので、この経験よりパンツスーツの黒服セットを、ごく最近持ちました。すそ上げをお願いし、後日受け取りに行った日、ご近所のお通夜で間髪置かず着ることに…

遡って、父を亡くした当日の夜のこと。私のガラホに10分とあけずに2通のメール。
1つはAyuが東京時代にお世話になった作業所職員さん、もう一人はお互い子が支援学校等で同級だったIさん。年に一回連絡があるかどうか~の方たち。どちらも私の母も交えてのお付き合いでした。仲間を呼んだのでしょうか。
ラジオ『東京ポッド許可局』の鹿島さん式に言えば、スピってますかね??(わかる人だけ:笑)

長くなりましたが、これで一応、記録は終わります
父を亡くして、人の死がより近くなりました。想像では難しい、これは経験してみないとわからない。
そして、人生は思い残すことのないよう、やりたいことはできる限り元気なうちに(できれば60代までかな?)やりたいと思うのでした。

ひと月が経ちました [Ayuのおしごと]

2月中旬から、Ayuは新たな作業所に通うようになり、1カ月以上が経ちました。システム的なところで、親子ともに慣れてきたかなぁ~など書いてみます。

自宅前までの送迎、まずは全職員が一巡して行ってくれました。自宅の場所、かかる時間などを把握してもらった形ですね(その後も片寄らずにシャッフルで来ていただいています・そういう方針なのだと思います)。
朝は9時ジャスト迎えと決まっており、帰宅はほぼ15時半(その曜日にその車に何人乗るか~で多少の前後あり)。土日祝は休みです《前の作業所は、Ayuは休ませていましたが祝日は開所しておりました》。

仕事場には明るい陽が差し込み、職員はやさしくもきびきび。10時半の朝礼&ラジオ体操第一、給食TIMEの様子も確認済みでしたが、唯一、以前より利用者人数が多いことだけが心配でした(つながってはいますがフロアがいくつもあり)。はっきりと自分の意志を伝えることが苦手なAyuなので。

前はアットホームな人数で、休憩時のお茶ひとつでも職員の目が届いていたと思われ…。
当初、水分補給は水筒を持たせようと試みました。自分で飲みたい量だけ調節でき、いちいち汲みにいく手間がなくてよいよねーと思ったのです。が、水筒の口閉めが甘いまま、持ち帰ること多々。これを毎日、職員さんに確認してもらうのは違う、と判断、カップを持たせることに。お茶入れ(麦茶などでよくある簡単なタンク式♪)は、すぐに習得した模様。混む時間帯の順番待ちも不安だったのですが、問題なかったようです。

お昼のおかず、何だった?」は、帰ってからの親子の会話では欲しいところ。Ayuはわかりやすいメニューの時しか答えてくれず(涙)…と職員に伝えましたら、今月分の献立表をコピーして下さりました。これは嬉しい☆
注文先の業者がわかり、ネットから以後のラインナップが見られることが判明
あたたかなご飯とお味噌汁は、その場で調理担当職員さんが用意(おかずは「お弁当式」)。どれくらいの量なのか見てきましたので、平日の夕飯は食べ過ぎないように…。

東京時代は、同じグループの給食部(作業所の1つ)からの手づくりお昼。この前までの通所では、パートさんがあたたかなお昼を作って下さってました。

「自宅前までの送迎」と「給食制」(希望者は弁当持参OK)であること、は組みで希望でした。親も毎日大変ですし、何よりみなで同じものをいただくことは大事よねーと思っています《お昼が楽しみ☆で毎日通っているといっても過言ではないでしょう》。

ちなみに、前も同じような額でしたが、助成があるので毎食「110円」です【←2023年現在「130円」に】。今回より、工賃から引かれる形となり、面倒なしです《全国的にどうかわかりませんが、作業所の工賃は未だに封書に入った現金での手渡しです・ずーっと記録として通帳に積み直している私ですが、今年から硬貨入金は事実上避けるようになったワケでジャスト入金ができず残念です…》。

家族はつらいよ 2 & RAILWAYS [Movie]

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みぞれまじりではあるが、朝は白かった。一度、20℃以上になってもあなどれない。

TV画面からではあるが、ひさびさに映画を観た。録っていた「家族はつらいよ 2」(2017年公開)。同じく家で観た「東京家族」(2013年・小津監督の『東京物語』をリメイク)、その出演者をかぶせた「家族はつらいよ」(2016年)の続きということで楽しみにしていた。そして、その期待を裏切らなかった。さすが、山田洋次監督。いつものメンバーも。
今回は、高齢者の免許返納問題からなのだが、思わぬ方向へ《橋爪サン、あいかわらず「あんな舅がいたら大変だ~」の役だ》。いい映画は、大それたロケがなくてもよい
妻夫木クンと蒼井優ちゃんが、とにかく毎回いい。
これは是非とも「~3」を作って~!と思っていたら公開済みだった(2018年)。これもいつか

RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』はずっと気になっていたが、NHK‐BSでCMなしの放送ということもあり、珍しくオンタイムで視聴。
《Blu‐rayに余裕なし・録画分はいつ落ち着いて見られるか…の繰り返しとなるワタシ。》

一番は、約一年前に乗った山陰の『一畑電車』(いわゆる「ばたでん」)がロケ地になっていることを知ったため。
企業戦士が50歳手前になって、幼い頃の夢だった故郷の電車の運転手に。それまでの過程に無理があった気がするが、まぁそれはよしとして、思っていたより出雲の空気が届く作品ではあった。映像美として楽しむか。
あっ、これも橋爪サンが鉄道会社の社長役で出ていたな。

…私は未だに「サンライズ出雲」関連のYouTubeがあると見てしまう。今度は、20年前に家族4人で乗った『サンライズ瀬戸』の方を狙うか。「シングルデラックス」(A寝台個室)も憧れではあるよなー。
問題は、「東京」発なこと・爆。それと、発車時刻が私には遅すぎることだ(夜10時前)
「出雲市」発だと、19時前乗車。それくらいが私にはジャストで間違いなく寝台個室を楽しめます
但し、「出雲→東京」は、都会に向かっていくので私のテンションが確実に落ちます
(「高松」発だと21時半か。それでは東京発と一緒だな。)

「クイズイマジネーター」が終わってしまう [ラジオ]

知らなかったよー。あと2回で終わりとは。
NHK第一木曜夜9:05、生放送のラジオ『中山秀征のクイズイマジネーター』
司会力、秀逸でした(お休み時のピンチヒッターとの差が歴然!)。3年間続いたとは(比較的若い番組だったのね)、私が長野県人となり、My RoomにTVを持たなくなってからのお付き合いとほぼ同じだったことになる。
生放送ではなかなか聴けず(既にZZ… or寝落ちTIMEになってしまう・苦笑)、もっぱら聴き逃し利用でしたが、箸休めのような、目を閉じてイヤホンから聴く軽快なトークはまさに癒しでした。

個人的には土屋礼央さん出演回が贔屓でしたが、光浦靖子さんも好きでした。以前は複数の回答者がいましたが、コロナ禍で個人戦が多くなりましたねー。
私にとっては懐かしの『連想ゲーム』でした。すべてを聴き逃しで追っていたわけではないので(アルバイトが入り忙しいとパス)、こんなことになるなら逃さず聴き逃しをポチッとやっていたよー!!(NHK側でカウント数が増え、存続につながったかも?)。

一定のリスナーは確実にいたと思うので、むしろ中山さんの忙しいスケジュール?もあるのかな~
生番組だったので、回答がなかなか出なかったり、なによりトークが盛り上がって出題自体が少なくなったり(それが楽しかった)…がまさに臨場感ありで、それに自然と対応できる運びにはあっぱれでした。

時々、特番で帰ってこないかな。でもラジオだから、NHKさん、うまく告知してくれないと聴き逃しますよ(「らじる★らじる」画面で目立つように!)。是非お願いします☆

どうやら僕の日常生活はまちがっている [よんでみました]

どうやら僕の日常生活はまちがっている

どうやら僕の日常生活はまちがっている

  • 作者: 岩井 勇気
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2021/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

第2弾。今回もなかなか☆でした。
【~だが僕は小学生ながらに、この大人は、子供達に夏の思い出を作ったという思い出を自分たちが作るためにやっているんだろうな、とうっすら感じていたのだった。】
幼い時から、冷静に、人間を観察できていたのですね。おそろしくもあるけれど、想像力があったと誉めるべきでしょう。

寅さんシリーズを映画館にて初めて観た話(50周年記念映画)。
寅さんとはいかに迷惑をかけている人物かマジメに考察した上で、言い得ていた。
【そう、寅さんが迷惑をかけたり喧嘩を繰り返していても周りがそれを許していたのは、寅さんの周囲にかける愛情と、その愛情を上手く伝えることのできない不器用さを知っているからなのだ。】

高校卒業後、実家暮らしをしながらアルバイト。4年近く、あるオンラインゲームにのめり込んでいた様子に(「僕」でいるよりゲーム内の「キャラクター」でいる時間が長かった時期)、ゲームって悪くないなぁと思わせてくれました
30歳で遅めの一人暮らしが始まった(現在もまだ30代半ば)ことは前作にも。
【お風呂に入る時間も決まっていなければ、何時に寝てもいい。~一人の王国は、良くも悪くも無秩序だった。】

『天使の扱いが雑になっている件』『コラボキャンペーンの悲劇』も面白く。
何事もハスに構えて見ているようで、小心なところがあるから魅力的?
団地住まいで育ったそうで(私も)、マンションにはない濃いコミュニティーがあったよなーと自分のことを思い出す。いや、それが小学生時代~という多感な年頃だったから印象深いのか。
またその場所(以前足を運べなかった秘密基地的なところなど)を訪ねたいな、と。私の思い出はもちろん、父のことをなぞる旅になるかもしれない。

ようやく雪が消える [信州で作物を育てる&自然や花]

長い冬だった。といっても、三寒四温。もう降らないと断言は出来ないが。
暮れから自宅付近の雪がまったくなることはなかった、この冬。最後の、お向かいのウラとなる日陰の残雪は、今朝の雨(大きな雷も鳴っていた・梅雨明けか?爆)と共にほぼ消えただろう。

一週間ほど前&昨日の2回(Ayuが出かけた後のAM)で、気になっていたいちご畑の雑草とりをザーッと行う。ここからは、いたちごっこだ。常に見張りは必要。家まわりもやらないとなぁ…。

東京方面の陽気に負けず、こちらもこの数日の日中気温は20℃となり、温かいというより暑かった。
シーツが洗え、久方ぶりに寝具が干せた。気持ちよかった。
この冬、あれだけ通った灯油ももう買いに行かなくてよいのでは?(灯油ストーブ4台分+入浴用のみで屋外ホームタンクに入れる分←こういうの移住して初めて知ったのよ)

さて、家族3人分の食料・生活用品は、車があるので(東京では勤務帰りにリュック持参で、まめにスーパーに寄ったな)5~6日に一度くらいのまとめ買いで済む《特に雪の季節は何があるかわからないのである程度のkeepが安心》。

最近、気づいた。私の買い出し日は、中断されている「歩く会」などの外出《「まん延~」が解除されても、県独自のレベル「最高6」が、現在の「5」では催行されず、「4」以下になることが必要》の際のついで~がないこの頃は、『図書館予約』本の待機期限、に合わせてすべて決まる・笑。
我が地域の図書館でかけられる予約は、ひとり10冊まで《最近の私は常にMAX》。連絡後は一週間が期限(ちなみに貸出期間は地方で図書館数が少ないためか3週間と長い)。
『図書館のそばだからここで買い物をする』、というサイクルも確実につくっている。

《我が地域では「ツルヤ」という地域一番店が断然強く、県外からも人気があります☆》

父の続き④ [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

前回は、さまざまな自動引き落としは、高齢な家長→次の世代(その後長く生きるだろう方)に切り替えておくと後々都合がよい…と書きました。

我が家族(当時:父・母・衿・Ayu)は、東京時代より、そして移住後も既にいろいろな場面で私名義にしておりました《「振込用紙」利用もあり・母はこの支払い方法が実感あり(←大切なこと!)で好んでいます》。
また、両親の口座に関しては、元気な頃の父より、『生活費は父(自分)の通帳から・余裕分は母(妻)の口座に貯金』と命ぜられていました(ある時から私がおろしてくる係に)。つまりは、父の口座はいつもギリギリ最低限の残金のみ。父の介護関係の引き落としは、母の口座を指定していました(←ですので、亡くなったあともそのまま最終利用料まで問題なし)。

その後の父のゆうちょ銀行(我が親はこれのみ)の、よく言われる「口座凍結」ですが、百万単位など大きな額が残っていなければ相続的な問題はなし。年内のまだ硬貨引き落としに手数料がかからないうちに(笑!)残額0円にしておきました。年金関係の届け出も済ませていましたし、このままでOKと思いましたが、別件で郵便窓口に父の逝去が伝わったこともあり、正直にどうしたらよいか尋ねました(地方の小さな局で親切☆)。口座が存在しているとお知らせ等々が永遠にあったりするので解約しておくのがベストと。簡単な書式記入で無事済み、スッキリいたしました。

前後しますが、親と同居でも「世帯は別」(同住所でOK)にしておくことは既に世間の常識、でしょうか(でしょうね)。私はAyuが幼少時に2人で実家に戻ってきた際、両親と世帯は別々にしていこうと決め、そのままに至っています。それで正解でした《事実、生活費はそれぞれで分担♪》。
同居でも親と子で世帯が違っていたら、別々ととらえられます。親が介護保険サービスの利用者となった場合、つまり、子どもの財産は関係ないので、親自身の収入等のみから算定され、費用(負担の段階がある)が決まることになります。
《例:当時、田舎の従妹夫婦は母親(私の叔母)と同居しており、世帯を一緒にしていましたが、介護保険利用にあたり、ケアマネジャーさんなどから助言(テクニックね)をいただき、世帯を別にしたと聞きました。》

さて、死亡届を提出後、その除籍が明記された謄本を取り寄せます。諸手続きで多々、登場となります。本籍地の役所に、定額小為替と返信用封筒を入れて~ですね。今はネット検索で、所定の用紙も出力できますので便利な時代ですねー。
取り寄せた謄本などは、その場で提出が必要でも「戻して欲しい」とお願いすれば、先方は必要なコピーをするなどして返してくれます。そうすれば、原本は元に戻るので、同じように次の手続きでも使えます☆
…というわけで、複数の原本(私の戸籍謄本も別件で要だった)、今は自分の手元に残っています。

しかし、死亡届や死亡診断書、その他いろいろ、おうちコピーの出番は多く、7年以上前に購入したシンプルなプリンターのコピー機能は大活躍でありました♪

まだちょこちょこと続きます

THE ALEFF [テレビ]

先日分の『徹子の部屋』を見逃し配信で鑑賞《録画せずともTVを持たない部屋でPCから…ありがたいことデス》。
特別なファンではないのだが、THE ALEFFの力の抜けた自然なトークに魅せられた。結成50周年間近とのこと。
3人とも67歳ですって! びっくり。ライブが命だそうで、チャンスあれば体験したいと思わせた。

一人飲みで生きていく [稲垣えみ子さん]

一人飲みで生きていく

一人飲みで生きていく

  • 作者: 稲垣えみ子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2021/09/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

残念ながら、いつもの稲垣さんの醍醐味は一切なし。新聞連載を再構成し、加筆・修正。それがよくなかったのかなー。さーっと目を通して終わりました。

【結局ね、一人飲みを通じて、生きていくのに本当に必要なものはお金じゃないってことがわかったんだと思う。いやもちろん、お金は大事です。お金が全くなけりゃ一人飲みもできんからね! でも、お金はあればあるほど幸せになれるってわけじゃない。いやむしろ、意外なほど少ないお金でも十分幸せにやっていける。】
【きっかけは、当時勤めていた新聞社で、「地酒(日本酒)」をテーマにした連載記事を任されたことであった。】
【~ということで、めげずに一人飲み修行は続く。余談だが、この「めげない」のが私のエライところである。我が座右の銘は「やればできる」。~敗北とは、諦めたその瞬間のことを指すのだ。】

《稲垣さんの電話による生出演は、毎月ほぼ第一木曜23時からのNHK第一『ラジオ深夜便』であります。「聴き逃し」も利用し、ほぼかかさず拝聴。》

…Ayuが産まれる前、つまりバブル時代の正社員の頃、上司や仲間と寄り道して飲むことは多かった。以後、そのような機会はめっきり減った。家族で嗜む習慣はない。
今、純粋にお酒(やはり日本酒かな)を味わいたいとは思っているのだ。家で、一人ででも。
だけれども、いつ夜中に車を出す事態があるかもしれないと考え(母は高齢)、現実的でなく。
地元のお酒からでも味わっていきたいものだ(小さい瓶で買って飾り、ちょびちょびはまれ~にありマス)。

ほんたうに俺でよかつたのか [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

『ほんたうに俺でよかつたのか』は、先日NHK‐BS1で放送されたタイトルである(3月10日再放送予定)。

ようやく落ち着いて、春の光を感じるAyuを送り出した朝にゆっくり視聴することができた。
《このおふたりのことはマイカテゴリー内に詳しく☆》

妻の河野裕子さんが亡くなり、早いもので13回忌が来るそうだ。仏壇はない。自ら手を合わせることはまだしていない。認めたくないのだという。お骨もまだ、家にある。
だが、2018年にNHKディレクターと番組の取材で、若い頃のデートコースだった墓地を訪ねたことにより、そこを決めた。2人が尊敬する歌人が眠っていた場所だそう。
何よりである

主題はもちろん別のところにあるのだろう。けれど率直に私は、妻に先立たれた夫がこうして自分の食事を作り、ひとりでつつましくちゃんと暮らしている姿に、一番河野さんが安心していることを思った。

まずは東海道を、ゴール日本橋を目指し歩いている永田和宏さんが登場。ああ、こういう歩きが私もまたしたくなった。
息子の淳さん娘の紅さんも。息子さんはお父さまとお母さまによく似ており、娘さんは河野さんの面影そのまま。(永田さんは細胞学者だが)血とはすごいな、河野さんのことを今もより近くに感じているだろう。

妻の若い頃の日記と真正面に向き合うのはなかなか~と思うが、そこは創作者としての性なのか。もっと妻を知りたいのか、核心は自分が夫でよかったのかの確認か。
とにもかくにも、河野さんが強く魅力的な女性だったことは想像できる。

連載は終わったそうだから、いずれまとまることでしょう。早く読みたい
そして、私はおふたりの場所である京都にまた行きたい。今度は「哲学の道」あたりを長く、ただずっと歩いてみたい。
ちょうど4年前の今頃に訪ねたのだった・「桃の節句」は三十三間堂が「春桃会」で無料拝観♪》