SSブログ
太宰治と家族たち ブログトップ
前の15件 | -

赤い砂を蹴る [太宰治と家族たち]

赤い砂を蹴る (文春e-book)

赤い砂を蹴る (文春e-book)

  • 作者: 石原 燃
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2020/07/13
  • メディア: Kindle版

↑ なぜかまたKindle版しか貼れず。

東京都出身。劇作家。母は小説家の津島佑子。
とまでは紹介されていました。本作で、第163回芥川賞候補に。

「お風呂に入ってそのまま亡くなった」の一文で、この一族、特に母の津島佑子さんの作品をあたってきた私には、当然、津島さんが失くした長男(つまり石原燃さんの父親違いの弟)の状況と同じことに気づく。そのあとにすぐ、主人公が亡くした弟の話も出てくる…。

ブラジルがらみで話は進むのだが、複数の人生が呼応し合い、身近に失った命が語られる。
【大輝がいなくなったあと、ちょっと笑顔を見せただけで子どもを失った母親らしくないと言われることにあらがって、母はわざと赤い口紅をつけていた。】
【お母さんは好きなように生きた。ほんと勝手だった。でも、だからこそ、私も好きに生きていいんだと思えた。もしかしたら、好きに生きていいんだと私に教えるために、お母さんは好きに生きてきたのかもしれない。そう思う。だから。】

石原燃さんの母親は作家だったが、この小説で画家の設定になっている。
津島佑子さんの小説『火の山ー山猿記』(『純情きらり』原案)では、太宰がモデルの冬吾(西島秀俊演じる)は画家として描かれる。
…まちがいなく、母へのレクイエムなのだと思われる作品《そして、筆名「石原」は母方の祖母の旧姓『石原美知子』(←寺島しのぶ演じる)からである》。
今後も新作が出れば追うつもり。

人間失格② [太宰治と家族たち]

につづき。
【~自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。~自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう~などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。】

【自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていったのです。】
【~ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。】
【~自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て…(略)】

【けれども、自分には少しの不安も無く、あの警察の保護室も、老巡査もなつかしく、嗚呼、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人として縛られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ち着いて、その時の追憶を、いま書くに当っても、本当にのびのびとした楽しい気持になるのです。】
【どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、自分の哀しい性癖の一つで~(略)】

ほかにもポチポチと付箋はありますが、このへんで。
私小説作家なので、少しは変えていたとしても自己分析が多く含まれていると思われます。
大地主の家の六男坊(11人の10番目)で生まれ、直接生みの母に甘える期間なく、乳母タケ(本を読み聞かせた)に育てられ~で、性格形成されていき…。
うがった見方を早いうちからした子ども、でしたね、まちがいなく。

やっぱりこの本は、何年後かにまた一気に読み返しましょう(また全然違う感じ方をするかも)。

人間失格① [太宰治と家族たち]

人間失格 (新潮文庫)

人間失格 (新潮文庫)

  • 作者: 治, 太宰
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/07/10
  • メディア: 文庫

『純情きらり』再放送は、九州豪雨やコロナ報道があり、休止からのスタートでした《アルバイトに出ており第1、2話録画うまくいかず(まだ子役時代ですが~):3、4話でもう私泣いています》。
この時間枠は、大相撲放送になるとSTOPしますし《むしろ、BS朝の現在『はね駒』のところがベストかと・今は陽希さんのグレートトラバース3が6:30から入っている続き☆》。

さて、太宰の『人間失格』。短大ゼミ時代にも触れることはせず、以後もタイトルの印象からずっと遠ざけており…。が、今年に入り、縁あって古本屋で新潮文庫は買って持っていました。いつかは読まねばと。
そして5月。高橋源一郎さんのラジオでとり上げるということで、これはチャンス☆と2カ月前に人生初で読んだのです。

率直な読後感。
こんな年齢になって読んだわけですが、彼の人生のいろいろ(家族も含め)を深く知ったあとの今が私自身には最適だったと感じ~。
何度も同じことを書いている気がするのです。でもそれが見事に順序立てられていると感じ、やはり特異で魅力的な私小説作家だと。けっして加担できない事柄が出てくるわけですが、憎めないというか、わかるところもあって、、、。
時おり読み返してよい作品なのではと思いました。それこそ、読書の醍醐味なのでしょう。
小説は、内容に直接触れないよう残してきましたが、これはもういいでしょう。付箋もつきましたので、また続きを書きます。

…この回の高橋源一郎さんのラジオでは、夏目漱石の『こころ』も取り上げられていて、引っ越しの際も連れてきた古い本棚から手元に持ってまいりました。
どんな話だったか?と思い返したのですが、頭に浮かんだのは『それから』の方だったようで、まったく『こころ』は思い出せません。でも、その本には大昔の私の付箋がいくつも付いているのでした。

読み返し始めました。いえ、ストーリーを覚えていないのですから、ほぼ初読でしょうね。
しかし…挫折しました。昔の文庫なので「活字が異常に小さい」のです。もちろん拡大鏡(メガネ等)は使いました。でもやはり苦しい。
いずれ、読みやすい字ずらの新しい文庫を借りて読みたいと。いつになるやら…ですが(今も数冊借りており常に追われている・苦笑)。

同じ本でも、「忘れる」、がある限り、読み返しても新鮮に味わえる。人生折り返し地点を過ぎたのだから、好きな作品を絞ってそうしてもいいのかな~
まぁ、もう少し先でいいか(60代くらいからネ)。

津島園子さん亡くなる [太宰治と家族たち]

昨日、津島園子さん(享年78歳)の訃報を知りました。
こちらの記事がよいでしょうか。
《後日→『斜陽館』の更新も☆》

津島佑子さん(里子さん・享年68歳)のお姉さま。
小説家太宰治の子は4人産まれ、正妻との3人の子はもうこの世にいないことになります。
太田治子さんはお元気なはずです。
園子さん、佑子さん、そして治子さんにはお子さんがいらっしゃり、現在ご活躍と思われます。
こういう言い方はきっと佑子さんは嫌いだと思いますが、太宰家の血は孫の代へと続いています。

ご家族の世界を時々たずねている者として、ひとつの時代が終わった感はあります。
ちょうど太宰の作品を読もうと新潮文庫を出してきたところだったので驚きました。

上記記事内に「天国で太宰と再会していることだろう」とありますが、強い意志で表現していた次女佑子さんと違い、父親に抱かれた記憶があるだろうお姉さんにはまた別の思いがあられたことでしょう。作家ではなかったので外に多くは語られなかったですね、きっと。

津島佑子 土地の記憶、いのちの海② [太宰治と家族たち]

続き。
伊藤比呂美(詩人)さん。
【津島さんに言われたことがある。「比呂美さん、やりたいことは我慢していないでやるのよ、人間なんていつどうなるかわからないんだから。」】
【文学というものを太宰治から入った私としては(※これは意外!)、津島さんは津島さんと思いつつも、太宰を感じると震撼した。津島さんのお宅に『ヴィヨンの妻』の原稿を見に伺ったこともある。津島さんがふと、「(太宰の小説を)12歳の時にぜんぶ読んだのよ、自分が出てくるかどうか知りたくて」と言うのも聞いた。そのたびに震撼した。】
そうだったのか。もしかしたらあんまり読んでいないのかなとも思っていた。素直に、この気持ちがわかる。完全に父親に後ろ向きではなかったと。

松浦理英子さん(作家)。
どうも津島さんに謝りたい何かを持っていた作家たちは多かったようです(そして叶わなかった)。いろいろな媒体で互いに作品を評価した文章を発表するからでしょうか。その当時はそれを深く読めていなかった~という反省がそれぞれにあるようです。
それでも津島さんは、再会の場で、何事もないように接してくれたと。その笑顔に救われた。どちらかといえば、気難しそうにみえる人だったと想像します。

申京淑さん(作家)。
「山のある家井戸のある家」の人です。絶版になっているようですが、私は是非ともこの本はいつか手に入れたいです。津島さんの少女のような心情が詰まっていました。
【あなたの作品はいかなるものをも美化することがありませんでした。少数者に対する慈しみと愛はいつも尊敬の念を抱かせ、あなたが生まれた国をも客観的に見つめられるバランスのとれた視線は、私に大きな影響を与えてくださいました。】
【~爆笑するほどウイット溢れる対話が、辛くなるほど恋しい時があります。私はあなたと別れたとは思っていません。わたしはこちらにいて、あなたはそちらにいらっしゃるだけです。もう息子さんとは会われたことでしょう。そうですよね?そちらでもお元気でいらっしゃいますか。】

そして、上記の訳も行った、きむふなさん(翻訳家・「山のある家井戸のある」訳もこの方)。
【津島さんの訃報は韓国のほとんどの新聞に報じられ、読者に大きなショックを与えた。~津島さんが旅立った2016年、韓国は、世界はますます混沌とし、明日が読みにくくなっている。いま、私は何を考え行動すればいいのか、真摯な眼差しで社会を、人間を見つめてきた彼女の声が聴きたい。】

ル・クレジオさん(作家。今福龍太・文化人類学者との対談より。ここでは訳も担当)。
【彼女の生には調停しがたい葛藤が横たわり、書いたもののなかにその葛藤は現れています。すべての人間と同じく、彼女の性格には複雑な翳があり、厳格さと移り気が同居していました。】

ジェラルディン・ハーコートさん(翻訳家)。
【作品世界をグローバルさせなかった作家。…津島さんは、特に2000年代に入ってからは以前より英訳しにくい作品を書くようになった。~複数の語り手の意識が入り混じるその入れ子的構造は英訳者に悲鳴をあげさせる。~津島さんは熱心に日韓、日中、日印の付き合いに力を入れていた。その仕事ぶりをみると、英訳に頼る安易な「グローバル化」より、アジアにおけるローカルな行動に意義を見出していたようだ。~最後まで自分の作品を短絡的にグローバル化させることなく、新しい形の「世界文学」の一翼を担うことをめざした。】
津島さんらしい、と思う。

川村湊×高澤秀次(どちらも文芸評論家)対談より。
【(高澤)~父から与えられる慰めみたいなものを津島佑子という作家は作品に託していて、自身の深層意識にそういうものがあるということを隠さず何度も書いている。~】

杉田俊介さん(文芸評論家)の論考にいたっては、私にとっては特記事項が多すぎて、もうここではほぼ割愛《私はもうこの本を持っていた方がよいよね・笑》。最低限の整理のみ、以下。
【津島佑子は1947年生まれ。太宰治の次女。彼女が1歳の時に、父は死んだ。6歳年上の姉園子と、3歳年上の兄正樹とともに、母子家庭で育った。佑子にとって、ダウン症の兄は、特別な存在だった。佑子が12歳の時、兄は肺炎で亡くなった。】
【長男の大夢は、8歳の時に、呼吸発作によって浴室で急死している。『夜の光に追われて』等で、津島は我が子の死を小説に書いた。もともと国内外の様々な文学や物語の豊饒な歴史を参照してきたが、特に1990年代以降になると、自らの小説と古典文学や様々な民族の物語などを雑ぜ合わせ、孤児や少数民族、障害者や動物など、周辺や底辺で生きることを強いられた者たちとの側から現実を見つめるようになった。歴史的に排除され、存在しなかったことにされていく人々に共感し、寄りそい、時には憑依しながら、独自のハイブリッドで重層的な語りを練り上げていった。父親の太宰治については、最後まで葛藤を抱え続けたようだが、本格的な小説作品を書くことはできなかった。2016年の2月18日に亡くなった。】

津島佑子×中上健次(作家:「兄」のように慕っていた・影響大)の対談も収録(割愛)。

もちろん、私が講演を聴いた、堀江敏幸さん(作家)の文章もあった(「記憶の渦から逃げ出さないこと」)。

ずいぶんと長く、延長を繰り返して借りていました《図書館、どこも今は利用者自身での貸出手続きがほとんどと思われますが、返却期限内で、次の予約者がいなければ、図書館員を介することなく、本を読み込めば延長できることを最近知りました!!》。
足を運んだ展覧会の冊子も、ゆっくりと目を通せていません。
このまま、津島さんを読んでいく、は続けます。
nice!(0) 

津島佑子 土地の記憶、いのちの海① [太宰治と家族たち]

津島佑子: 土地の記憶、いのちの海

津島佑子: 土地の記憶、いのちの海

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/01/20
  • メディア: 単行本

2016年2月18日(もう2年経った)に亡くなったのを受けて、出版された。由縁ある方や文芸評論家からこのたび寄せられたもの、それら生前もの、ご本人の対談などを収録。第三者が考える津島佑子さんの作風&研究としては超一品の一冊と思います。そして、これを読むと「一筋縄で説明できないのが津島さん」像が浮かび上がります。
当初、NHKでなぜ追悼番組がひっそりとでも放映されないのかと思った私ですが、1時間で収まるようなものではなく、へんに父親像と絡めても…ですし、あとは出版物にまかせたのだと納得いたしました。
私は津島さんに興味を持ち続けつつも、まだまだ作品は読んでいません。この本は、今後読み進めていく上でとても刺激されるポイントが詰まっていて、このまま図書館に返却してしまうのは惜しいばかりですが、あとは向田さんを全部読んだ時に「全集を揃えて手元に置きたい」と感じたように、津島さんも「全集か~?」(一生モノとして)などと思っています。

自分の記憶はない1歳で父親を亡くし、母ひとりに育てられ、13歳で大好きだった兄(知的障害あり)、そして自分の息子も失った津島さん。実父と結びつけられることは嫌いましたが、生涯避けられなかったことでしょう。特別だった兄の存在、最愛の子をなくしたこと、韓国、アイヌ…みんなつながって書いてきたのだと思います。

2010年、山梨県立文学館でのご本人の講演より ↓《こういうのに足を運んでいればよかった…悔やむ》。
【~私の家族は母と子ども3人のあわせて4人家族でしたけど、真ん中の子どもには知的障害がありました。だから家族はそれまで世間から隠れるように部屋の中に身を潜めて暮らしていました。もちろん部屋の中にいると楽しいんですよ。なにしろ子どもですからね。~特に知的障害の兄は、学園には通っていましたけど、世間に出るようなことはしないままきていましたから、旅行という形で外に出るのはやっぱり初めてだったと思います。~兄は頑固ですから、一度機嫌を損ねると何が何でも動かないという感じになるんですね。~母は母で、こんなはずじゃなかったと不機嫌になる。その母の様子を見た子どもたちはますます不安になる…と、負の方向にどんどん転げ落ちていく、その空気だけをよく覚えているんです。それが私にとっての旅行と言える最初のものだったと思います。~】

娘の香以さんが寄せた文章に、津島さんの凛とした姿勢がよめる。
【(大学の卒業を前に)「国家公務員の試験でも受けようかな。」と母に相談した。母は賛成とも反対とも言わず、国家公務員になるなら、国が間違った方向に進んでいると思ったとき、どうするのか考えておいた方がいいと言った。そんなことは考えてもいなかったので、動揺し、苦し紛れに「いくらなんでも戦争になったら反対するよ。」と言い返した。母はそれ以上なにも言わなかった。】
【「湾岸戦争に反対する文学者声明」を出す以前から、母は社会参加には積極的だった。中学から入学した女子校では生徒会をつくり、大学では制服に反対して私服に変えさせた。(学生運動などをふまえ)~声をあげれば変えられると思えたのだと、母は何度も繰り返し言っていた。】
【一方で、簡単に声を上がることができないこと、言葉にできないことがあることも、母はよく知っていた。私の弟がこの世からいなくなった後、「子を失った母親」という型に押し込まれることに、母は必死で抵抗していた。少なくとも私にはそう見えた。~】
つづく。 
nice!(0) 

津島佑子展&講演会へ [太宰治と家族たち]

P1010051.jpg
遠いけれど、やっぱりこれを逃すわけにはいかないと、甲府の山梨県立美術館まで出かけてきました。「バスタ新宿」を初めて利用(その路線の始発で)。
講演がいくつか設定されていたので、是非ともどれかと重ねたい。当初は、竹下景子さんが「火の山 山猿記」を朗読、津島さんのお嬢さんが絡む対談に合わせて…と思いましたが、定員500名!なのに気づいた時には既に満員受付終了(竹下さんは『純情きらり』では早くに亡くなった母親&ナレーターだったからですね~)、それなら堀江敏幸氏(作家・早稲田大学教授)の講演!と申し込み。
堀江氏、何冊かは読んだかな、くらいで、ほとんど今回は下調べできなくて当日を迎えたのですが、帰宅してから3冊と触れ合っていたことを自己確認。
これを読み返すと、講演とすーっと見事につながりました。内容は、一言ではうまく伝えられないのですが、とても人生で大切なものを得た気がしています。
まだ、購入した図録も読み返せていないので、あらためてこのへんは書けたら、と。
P1010063.jpgP1010056.jpg
P1010076.jpgP1010089.jpg
よいお天気で、さすがに都心より葉は色づいていました。山梨県立美術館と同敷地内にあり、近くに住んでいたならば通いたい空間そのもの、でした。

文学館は9時から開いており、私は10時には入場。「津島佑子展」は、大きなスペースではありませんでしたが、展示最初からまず私を喜ばせてくれました。
今までの刊行物では一度も出会えなかった、津島さんのお兄さん・正樹さんが映っている写真が何枚もあったことです☆妹である佑子さんがしっかりと手を握って、お母さまと3人で並んでいるものもありました。本で知る限り(「山猿記」の記述など)、兄の症状は重かったととらえましたが、私もダウン症の子を持つ親、お顔立ちを見る限りそれらしくはありますが、比較的状態は良好だったのではと思いました(15歳で肺炎で亡くなってしまいましたが・これも今の医学なら救えたのではと)。

次女・佑子さん(本名:里子さん)が生まれて数カ月でこの世から旅立った父親・太宰治の姿は、あえて今回は外したのか《主催側の意向&佑子さん側の思いからか:父親への複雑な感情は最期までつきまとったのでしょう・「(父のことは)書き残したい」と言っていたそうでそれが未完に終わったことは、この世界で遊ばせてもらっている者としてはとても悔やまれます》、親子一緒に映っている写真はありませんでした。あったとしても、佑子さんは乳飲み子の時となります。
そして、私の知る限り、太宰と長女・次女との3ショットは公表されていますが、今まで太宰と長男の写真はありません。それを勝手にさみしく思っていたので、お母さま(美知子さん)と子ども3人が絡むショットとたくさん出会えたのは、今回のわかりやすい収穫の1つとして素直に嬉しかったです。

期待していた「火の山 山猿記」(『純情きらり』の原案)の展示物は少なかったのですが(本当は「山梨」の家族の話ですがNHK朝ドラの都合上「愛知」を舞台にしていたことを最後まで津島さんは山梨の方たちに申し訳ないと気にかけていたそうです・なので「原作」ではなく「原案」と表記することにこだわった)、津島さんの文学者としてのスタートや、どんなふうに歩んできた人生だったかは、たくさんの直筆と共に見ることができました。晩年の書斎の風景もステキでした。
まだまだ書きたいことはあるのですが、今回得た資料も読み込めていないので、前述の講演会と合わせてまた~☆(お待たせすると思いますが・苦笑)。
フランス文学者である堀江氏の作品も、徐々に読んでいきたいと考えています。私と年齢が変わらないことにおいても興味を持ちます(もっとも素晴らしすぎる方ですが、朴訥なお姿から徐々に醸し出されていく深みには本当に憧れます・かなり近い位置で着席)。

午前中は、常設展(山梨にゆかりの文学者など・母が好きな樋口一葉、そして太宰のコーナーもありました)まで見て、早めに食事をとり、陽の下でぼーっとし(幸せ)、午後は講演を堪能、甲府駅ビルでふらふらショッピングのあと、高速バスに17時すぎに乗車。行きは1分も違わず到着でしたが、考えたら3連休最終日、ましてやトランプ氏来日もあったのか、大渋滞、予定の倍以上かかってしまいました。大誤算。やっぱり列車には叶わないなぁ。
そんなわけで、翌月曜はいつにもまして午後は眠気と闘う日となりました。
【時間的に難しく「美術館」は併設レストランを利用したのみでした。またの機会、あるかなぁ~。】
P1010066.jpg

《太宰や津島さんに関しては、右カテゴリーにある「太宰治と家族たち」「純情きらり」、また「太宰をたずねる旅」へ。興味のある方はどうぞ。》
nice!(0) 

気になるけど遠い…津島さんの特集 [太宰治と家族たち]

津島佑子さんの世界がこちらで開催中です。昨日、仕事中に某紙の書評関連記事で初めて知りました。
行きたいなー、とっても。私を呼んでいるなー。
でも遠いなぁ~~。

⇒その後、行けました~!!
nice!(0) 

夜の光に追われて [太宰治と家族たち]

夜の光に追われて (講談社文芸文庫)

夜の光に追われて (講談社文芸文庫)

  • 作者: 津島 佑子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1989/09
  • メディア: 文庫

9歳の息子を突然喪った「私」が、王朝文学『夜の寝覚』を自分流に組み立て直して綴る。読売文学賞受賞。
…想像していたものとは、まったく違っていました。津島さんが息子を突然の浴室での呼吸発作で亡くしたことを経て、それをどう含んで描くのかと思っていましたら、つい古典作品の現代語訳?に引き込まれた形になりました。短い「手紙」を挟みながら、ほとんどはそれにて構成されています。

【「夜の寝覚」の作者であるあなたに手紙を書くことを思いつき、私なりの「夜の寝覚」を紡ぎあわすことをはじめてから、私の日々の送り方も確実に変わってきました。毎日、茫然と泣き暮らす、という状態を脱することは、どうにかできたようです。】

【~この世の人間にとってなにが本当の喜びなのだろう、意味のあることなのだろう、それはほんの小さな頃にはじめて知った日の光の暖かさなのではないか、水面を輝かす光の眩ゆさなのではないか、と思い直すようになったのです。】
津島さんにとって、他の作品にもみられるように「光」というのは大切なキーワードなのだろう。

【人は生まれつづけ、死につづけている。そして、この私に与えられたのは、今の時代の日本という枠組みである。そのことを意識せずにもいられなかった。その枠組みのなかで私は生き、小説を書きつづけてきた。そう思うと、無性に過去の時代に生きた、私とよく似た立場の女性と話を交じわしたくなった。】
手続き上の結婚を経ないで息子を持った筆者。「夜の寝覚」では、姉の夫との間に子をもうけた妹の苦悩が語られる。
『千年の時空を超え、交響する“物語”と“物語”』(裏表紙より)
nice!(0) 

光の領分 [太宰治と家族たち]

光の領分 (講談社文芸文庫)

光の領分 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 津島 佑子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1993/09/02
  • メディア: 文庫

『夫との別居に始まり、離婚に至る若い女と稚い娘の一年間。夫のいない若い女親のゆれ動き、融け出すような不安を “短篇連作” で。第1回野間文芸新人賞を受賞。』
どこまで津島さんの実生活が描かれているかは定かではないが、実兄の投影からか、娘を通わせる保育園に「普通児ではない」子が登場したり、「私は父親とほぼ入れ替わりに、この世に生れた子どもだった」の一文もあった。

巻末の、柳沢孝子氏解説より。
《~自分がひとりの手で育てている子供たちに対しても、もちろん愛情はそそぐが、必ずしも常に母親らしく振る舞おうとしているわけではない。彼女にかかわる男たちもまた夫なり父親なりの役割を引き受ける気持ち自体を持っていない。家族であって家族でないようなあやふやな均衡の上に、津島佑子の描く家庭は成り立っている。家庭崩壊という以前に、もともと家庭などあるのか解らないような所から、彼女の家庭と家族の物語は始まるのだ。》
《~父太宰治の自殺は、佑子が1歳の時であり、ダウン症だった兄正樹も、彼女が13歳になる直前に死亡している。津島佑子は、父親を知らない家庭に育ち、彼女自身も離婚歴を持ち、夫のいない家庭で二人の子供を育て、しかも息子を9歳で失っているのである。
~確かに人は、自分の生い立ちを完全に切り離して生きることなどできないのかもしれない。しかも目の前に父親の書いた作品を残されてしまった娘の心境は、そう単純なものではなかろうと思う。》

津島は38歳の時、長男大夢を失い、子供を亡くした母親の苦悩を縦軸に持つ小説を書いた(「夜の光に追われて」)。近いうち、今度はそちらへ。
nice!(0) 

半減期を祝って [太宰治と家族たち]

半減期を祝って

半減期を祝って

  • 作者: 津島 佑子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/05/17
  • メディア: 単行本

今度は、津島さんの小説を読みました。
ズバリ、タイトルは「半減期を祝って」。“皮肉” が十分込められています。
半減期」って言葉、みなさん周知なのでしょうか。私は、先日の本で恥ずかしながら知りました。放射線元素が崩壊してその原子が半分に減少するまでの時間、です。原子力発電は一旦つくってしまえばそれを取り除くことは大変な時間がかかるということです。以前読んだ本を思います。私はやはり原発稼働は反対です。

3つの「小説」が収められています。1作目はちょっと津島さんの私生活と重なるかな、とも。
以下、メインの表題作より。
【(略)~一般市民の頭のうえに、原子爆弾がはじめてアメリカによって無慈悲にも落とされたのでした。それから、ほぼ70年の年月が過ぎ、トウホク地方にきわめて深刻な影響をおよぼす原子力発電所の事故がおきました。そのとき、放射線物質であるセシウム137が大量にばらまかれ、今から4年前に、ようやく半減期を迎えたのです。~】
というのも、今から30年後を設定しての、、、です。
【眼に見えるものではないとわかっていても、なにか見届けられるものがあるのではないか、と期待してしまう。なにしろ、生きて無事に、セシウム137の半減期を迎えることができたのだ。これからどうするかは、ゆっくり考えよう。そのうち、今度は天国からお迎えが来るのかもしれない。…】
そして、哀しいかなその通り、津島さんは68歳の若さで、原発の今後のゆくえを危ぶみながら旅立ってしまいました。
nice!(0) 

夢の歌から [太宰治と家族たち]

夢の歌から

夢の歌から

  • 作者: 津島佑子
  • 出版社/メーカー: インスクリプト
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: 単行本

新刊見本で入ってきた時、ちらちらとみて、亡くしたお兄さんについての文章もあるな~とチェックしていました。このエッセイを持ち歩いている間は、読み進めるのが待ち遠しくて、とても幸せでした。

奥付手前には『津島佑子さんは本書の校正刷を読むことなく先立たれました。しかし(略)~僅かではあるが修正が書き込まれており、ひととおり再読された後のものであったと思われます。したがって本書は原則として初出紙誌および書籍を定稿とし(略)~若干の表記を改めるのみにとどめました』と。

震災以降、「原発」についてたびたび書いてきた津島さんでした。前半はそれが中心です。まさに晩年のテーマ、だったともいえるでしょう。
こうも書いています。
【日本やほかのアジア諸国にとって不幸だったのは、西欧から突然ぶつけられた近代文明を表向きの面でしかとらえることができなかったところにあるのではないか、と私には思えてならない。蒸気船に蒸気機関車、そして電気なるものを見てびっくりし、急いで追いつかなければ、と焦った(略)。日本は「近代化」にはげみ、猛スピードで成功したものの、早速、富岡製紙工場の奴隷的労働の問題が起き、足尾銅山の鉱毒問題も起きてしまった。戦争に突入しても、原爆をふたつ落とされて無条件降伏に至っても、日本社会の基本的な「誤解」は変わらなかった。
今度の3・11で私たちの目の前に露わになったのは、そうした日本のゆがんだ「近代化」だったのではないか。社会の仕組みを変えるには、これまでの概念を根本から問い直さなければならない(略)。どんな社会で、どのように生きたいのか、ひとりひとりが懸命に、3・11の経験から考えはじめなければならない。小説家だって、当然、例外ではない。(略)】
近代化、便利な社会…イコール人間にとって幸せ、ではない。
どんどん進んでいくばかりでなく、ここで立ち止まり、踏みしめて考えれば、昔の生活でも十分幸せだった、むしろ、そちらが本当ではない?があるのでは・・・。「心」もなんだかハイテク方向にいきすぎて、置いてけぼりにしてきた大切なことがきっとある。
ものを大事にする、現状で工夫するなど、今、なるだけ余計な電力等を消費せずに暮らしてみる、を胸に過ごしたい気がします《☆別件ですが、時の人「稲垣えみ子」さんについては、いずれ書きます…『情熱大陸』はインパクトありました》。

ご自身の、波乱の結婚生活についてもさらりと書かれていました。正直に生きてきた人生だったということでしょう。

ラストには、お嬢さんの津島香以さんが当時の病状を詳しく書いています。
【熱を出し、食欲がなくなって、ベッドから起き上がれなくなり、再び病院に担ぎ込まれたのが2月15日。腎不全を起こしていた(略)。誰か会いたい人がいるのではないか、なにか言い残したいことがあるのではないか。でも母はすぐに会話ができる状態ではなくなり、あっという間に逝ってしまった。早くて1、2週間と言われた日から、たった4日しか経っていなかった。】

先日までA新聞では太田治子さんの連載があり、興味深く読みました。母親ちがいとなる津島さんと交流した時期もあったのですね~。最近はなかったようですが。
太田さん母娘の生活も大変だった。津島家の母・長女《つい先日の津島園子さんら津島家三代です、姉妹よく似ていますね・斜陽館ブログより》・長男(早逝)・次女(佑子)も他人にはわからない苦労があったことでしょう。
でも、今回の連載は、津島さんがこの世を去られたあとだから…だろうとは想像できます。
津島さんの本は、刊行がまだまだ続いています。なかなか出来ていませんが、整理してまた書きたいと思っています。
nice!(0) 

1カ月以上前になります…津島佑子さん亡くなる [太宰治と家族たち]

思いが深くあり、適当な更新をしたくなかったので、今になってしまいました。
2月18日当日のこちらの記事が一番端的かと。
津島一家(太宰家)のいろいろは右のマイカテゴリーに設けてある通り。
短大時代、他の単元との兼ね合いで受講しやすかったため太宰のゼミを選択。その後時間をあけ、朝ドラ『純情きらり』の放映をきっかけに、佑子さんの原案はもちろん、太宰の妻や娘たちの著作にあたり、その中で太宰の亡くなった長男はダウン症だったことを知り、次女である作家津島佑子さんの作品に大きく影響してきた事実に非常に興味を持ちました。結果、津島さんの生涯や、一生つきまとった父への複雑な感情をも追うことに(佑子さんわずか1歳の時の出来事でした)。
一泊旅ではありましたが、念願だった津軽の「斜陽館」も訪ねました。2年半前のことになります。

享年68歳。まだまだお兄さんへの思いも綴って欲しかった…。
記事には “昨年1月に肺がんと診断され、闘病しつつ「父をテーマに書く」と準備を進めていた” とあります。自分の死が近いと知って、初めて書けることも絶対にあったと思われます(何か原稿は残っていないのでしょうか?!)。
津島家は《太宰、そしてその長男、そして佑子さんの長男》も早逝したわけで、男性は残念な道を辿った家系でした(現在続いている御親族はそうではないと思いますが)。
また少し関連書をゆっくりとたどっていきたいです。

…さいごに、作家・黒井千次さんの話を転載(A新聞より)
【普段は父の太宰について話すことはなかったが、一度だけ、強い口調で「認めていません」と言ったのを覚えている。骨太な社会性のあるものを書き続けたが、そこに父の問題が絡んで、他人が推し量れない苦悩を背負っていたと思う。】
本妻の子であった自分たち姉妹だけでなく、お母さま(津島美知子さん)の心情をもめぐらしていたということでしょう。
nice!(0) 

太宰治語録 [太宰治と家族たち]

太宰治語録

太宰治語録

  • 作者: 小野 才八郎
  • 出版社/メーカー: 津軽書房
  • 発売日: 1998/06/01
  • メディア: ハードカバー

夏の「太宰をたずねる旅」で購入したもの。当時、太宰に文学の手ほどきを受けた方の著作。
山崎富栄にお酌をしてもらったことも。2人の関係には、会った時にぴんとくるものがあったという。その日から、13日後に入水。
生前の作家の様子(きちんとした事実)を知っている人が今のうちに書きのこしておくことは、作品を深くみるためにも必要なことなのであろう≪是非脚色されることなくお願いしたいものです(この本が、どうというわけではなく)≫。
nice!(0) 

いつか行きたい「斜陽館」&小山薫堂さん [太宰治と家族たち]

太宰の、15歳で亡くなった長男がダウン症だったことは以前に書きました。
再放送中の「純情きらり」と重ねるとさらに興味深いので、あらためて記します。

「純情きらり」(NHK-BS3・朝7:15)を今、ご覧のみなさん、津軽弁の冬吾は太宰がモデルなのことはおわかりかと思います。作家でなく、画家として置き換えられています。女たらし(!?)なところもちょっぴり表現されています。冬吾は、ヒロイン桜子の姉と結婚します。この間に産まれてくる次女(ドラマに登場はなし)が、原案者の津島佑子さん自身(太宰の娘)です。津島さんは、父方の家庭は頼まなくてもみなさんが調べてくださるので(笑)、母の一族を描きたかったとおっしゃっています。
かなり、ノンフィクションです。設定はいろいろと変えていますが。例えば、まったく関係のない岡崎が舞台となっています(岡山、が朝ドラでとり上げた例がなかったので…だったと記憶)。したがって八丁味噌屋、は完全なるフィクションです。
姉・笛子(寺島しのぶさん)がいずれ産む長男が(夏過ぎになりますか…)出てきますのでご注目ください。この男の子が、太宰の長男です。

前置きが長くなりましたが、ずーっと思いつつ、金木の「斜陽館」になかなか行けません。日帰りではどう考えても無理ですね。
4月に、金澤翔子さんの展示会があったので、これは思い切るまさにいい機会☆と思ったのですが、Ayuの状態もまだ芳しくなく(私ひとりで、と考えていましたが)断念しました。
「斜陽館」側も、太宰の長男との関係性もあり、開催となったようですね。
いずれ、必ず行きましょう。太宰の実家、ということ抜きでも、昔の大屋敷を見学したいものです(私は「土間」という空間が好きなのですヨ)。
19日は「桜桃忌」ですね。せっかく、いろいろ追っかけてきたのだから、これからも時々触れていこうと思っています。

さて、今朝ですが、そうだったんだ~という記事と出会いました。
ゆうべ、BSで映画「おくりびと」がまた放映されていましたが、脚本の小山薫堂さん(48歳・先頃はくまモンの生みの親として有名)には、44歳になるダウン症の弟・将堂さんがいらっしゃることを知りました。
『小さいころから弟に愛情を注いできた。弱い人の気持ちになる、という環境のなかで育ってきた』とありました。数々の小山さんのお仕事に、その礎があるということはとても嬉しいことです(根底に“やさしい眼差し”あり)。
障害者がきょうだいにいる、ということは親である私のような立場とは、また違った複雑な思いも持ちつつ、育ってこられたはず(その世界も、私個人は関心があります)。
ますます今後の活躍が気になります。同世代の星、としても!!
nice!(0) 
前の15件 | - 太宰治と家族たち ブログトップ