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父の続き⑤ 最終回 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

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【おとといも降った・今年はまだウグイスが啼かない】

先月末、重い腰を上げて、母の部屋で父の衣類等を整理しました。厚手のズボン下など、母が防寒用に着られるものは既に使用しています。

さて、事務用事では「父名義のガラケー」、がありました(ここ数年は母が所持)。ケータイ会社に死亡事項がすぐに伝わることはないと思いましたが、早めにスルッと変更しておいた方がよい(死亡とわかれば謄本等、必要となる書類が出てくる)と判断。
《よくあるのは「死亡したのにそのまま料金が引き落とされ続けていた」という、むしろ身内からの申し出が遅れて…というケースのよう。》

年内に、その番号のまま、Ayu名義に変更しました(ババもいずれ危ないカモ)。同じ名字で同じ住所(下参考)、同じコースでそのまま使用~とのことで、本人を連れて行き(引き落としは私の口座からまとめて…なのですが、なぜか娘名義の通帳の表紙提示だけは要でした)、無事済みました。
つまり、料金さえ払い続けてくれれば、あちらとしては名義はあまり問題ではない気もしました。
《但し、父のケータイは近頃の3G終了に伴い、昨年に新しいガラケー機種に変更しており、名義変更したことで、少々ですが数カ月続くはずの割引サービスがそこでSTOPしました(あとで規約にあたって気づいた)。》

さて、昨夏に特別養護老人ホーム(特養)に入居した父、その際は「現住所をホームにする」ことの説明を受けました。ですが、同じ町内でもありますし、娘の私が父宛ての郵便物の処理はできることもあり、変更しませんでした。
(「そういう方も数人おられます」と先方。…不安もあり、アルバイト仲間&人生の先輩に尋ねたところ「うちの伯母も最期まで変えなかったよ」の助言もあり、通しました。)
我が家はそれでよかったのだと思います。父宛ての開封をすべておまかせするのは「?」もありました。
【住所変更したのなら、面倒な各種更新手続きまでしてくださった?のだと思います・でもやれるのでしたら、住む場所は実質離れても、家族として面倒をみられる場面は残してよいのではと考えます☆(把握する、という意味でも)】

亡くなった後、父の「おくすり手帳」が手元に戻ってきました。同居している頃は、私と母がお医者には必ず付き添っていたので、どんな薬をどれだけ処方されているか、それまでは納得した上でいただいていたわけです。入居前から、そのホームのかかりつけ医にお世話にはなっていましたが、あらたに私の知らない貼り薬の名前を見つけ、「ああ、入居するということは、お医者さんの診断と一存で処方されていくのだな」とも強く感じました。
『家族の日常のお世話をお願いする→すべておまかせする』(もちろん「インフルエンザ接種」などは、毎回家族の了解書類は求められます!)ということなのだと《何度も繰り返していますが・苦笑》。

火葬当日のこと。年末寒波で雪となり、足をとられないような武装が第一なため、スカートの喪服は着られず、黒のズボン、防寒はグレーのダウンジャケットに頼りました(こういう色の服は普段から持っておくことが必要と痛感)。
というわけで、寒さ必須の地ですので、この経験よりパンツスーツの黒服セットを、ごく最近持ちました。すそ上げをお願いし、後日受け取りに行った日、ご近所のお通夜で間髪置かず着ることに…

遡って、父を亡くした当日の夜のこと。私のガラホに10分とあけずに2通のメール。
1つはAyuが東京時代にお世話になった作業所職員さん、もう一人はお互い子が支援学校等で同級だったIさん。年に一回連絡があるかどうか~の方たち。どちらも私の母も交えてのお付き合いでした。仲間を呼んだのでしょうか。
ラジオ『東京ポッド許可局』の鹿島さん式に言えば、スピってますかね??(わかる人だけ:笑)

長くなりましたが、これで一応、記録は終わります
父を亡くして、人の死がより近くなりました。想像では難しい、これは経験してみないとわからない。
そして、人生は思い残すことのないよう、やりたいことはできる限り元気なうちに(できれば60代までかな?)やりたいと思うのでした。