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11月&12月 [振り返る&迎える]

《振り返る11月》
Ayu歯科定期健診&親子でインフルエンザ予防接種☆☆☆☆・衿信州へ(諏訪湖ウォーキング)☆☆☆☆・衿妹帰省☆☆☆・Ayuダンス(ヘルパーさんと)☆☆☆☆・Ayuケイタイ修理戻る(思っていたより¥高額~・家族で一番使用頻度が少ないのになぜ?ON・OFFがこまめだったから??)★★★☆・Ayu行事ホテルでバイキング&カラオケ(♪365日の紙飛行機 を絶唱したそうです・恥ずかしい)☆☆☆☆・Ayu脇の治療一応終わる(ひと月に一度でしばらくチェックを続けておりました)☆☆☆☆・父のケアマネさんと衿初対面(当初のケアマネからなぜか変更に~・来月からは平日に両親にまかせよう)・作業所でAyu健康診断(保健所・初秋予定が台風で延びていた)☆☆☆・Muji講習(+思わぬ再会も♪)☆☆☆☆☆

《迎える12月》
Ayuダンス・友とウォーキング・父診察付き添いetc…
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Muji主催の1回講座&また再会が~ [整理整頓をめざして]

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私の勤務(長期フルパートです・もう約14年)は「水曜」がヤマ(〆日・繁忙)で、有休はなんとなくはばかられるのですが今回は譲れなくて。
以前、ウクレレ(以前は忘れないために週1で出してきて奏でておりましたが…汗)を習った近所のカルチャースクールでの、『無印良品のインテリアアドバイザーが「感じのよい暮らし」のための8つのコツをおしえます』という1回一時間(¥500・Mujiお土産付き)の講座へ。新聞に折り込まれたちらしを見て翌日に申し込み、「定員はこれ(私)で満杯」の人気を知り、結局その後イスを増やしたようでした。

受付で名前を告げると、「あらっ!」と声をかけてくださる方が。うーん、どこで会ったかしら。あー、ウクレレの時のご婦人?「Ayuちゃんのお母さんでしょう!」「えっ」…障害児の母枠の友か(笑)?
Ayuの保育園時代の、年長クラスの母親仲間でした《Ayuは親の離婚に振り回され、3年保育を1年ずつ別の園でお世話になった経緯あり》。よくもまぁ、娘の名前を覚えていてくれたものです(覚えやすい名?)。
子どもたちはもう24歳。小学校も同じではありましたが、Ayuは学校内の障害児クラスに進みましたので、かれこれ近しくお話するのは18年以上ぶりでありましょう。失礼ながら、道で会っても私にはお顔の記憶はありませんでした。徐々に思い出し…。
早めに入室した私たちは、特等席の一番前に2人で並び、開始まで盛り上がりました。

健常児と障害児の違い、男女の違いはあれど、お互い子はひとり(人生の先輩である彼女はご主人と親子3人家族)。環境が似ていないことはないのでした。ただ、あれから大病をされたそうで、もう勤めは辞め、嘘か本当か(あながち遠くはないのだと感じた)残りの人生に限りがあるので、あとはもうしたいことをして生きている域に入ったの、と短い時間内で話してくれました。
「小学校3年生までの送迎」限定(希望)で、必要としているご家庭のお手伝いもしているそうで(ご本人いわく高齢で出産・本当は「女の子」が欲しかったと)、時々、『障害を持っているお子さんの送迎は受けられますか?』の依頼もあるとのこと。縁があったら、そちらも是非引き受けてください、とプッシュしておきました。
ここでの講座は時おり多種を受けている様子、「その時は連絡ちょうだい」と番号を交換。彼女もまだガラケーで(笑)シンパシーを感じました。きっと、今度はゆっくり~。
…ひとりっこ障害児の親は、学校が別になるといっきに通常クラスのお友だち家族とは疎遠になります。垣根なく、話しかけてくれる仲間は、貴重♪なのです。

24歳にもなると、もう子どもは自立して、親も自分の人生を考える、になってきますよね。
まっ、それでも、「帰りが遅いとどうしているのだか・電車では痴漢と間違われないよう手は上に~」など、順調に育っても最近は男性にも大変な気まわしが必要なようです。いつまでたっても心配はなくならない、と(お互い「ひとりっこの親にありがち」かも、と)。
Ayuの同級生も、ポツポツと親になっているとか。そうだわよねー。

肝心な講座でした~。
このサイトは、インテリアが中心ではありませんが、今回の雰囲気をかもし出しているので紹介します。後日、忘れないうちに要点はまとめます
コンパクトながら、言われてみればあたりまえなのだけれど、目からうろこなメッセージがたくさんありました。→帰って、さっそく「くつ箱」を並べ替えてみました。

【「12」、私の住む団地は1年弱かけて大々的なお手入れ中(外壁や各ベランダ塗装から、玄関の扉交換まで)なのですが、只今ラスト佳境、このたびエレベータ横にシルバーの数字がとりつけられました。なんとなく「無印」のイメージ?】
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ごはんの時間 [よんでみました]

ごはんの時間: 井上ひさしがいた風景

ごはんの時間: 井上ひさしがいた風景

  • 作者: 井上 都
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/09/30
  • メディア: 単行本

珠玉の一冊。井上ひさし氏長女・井上都さん(1963年生まれ)が、2014年4月~2016年3月まで毎日新聞金曜日夕刊に連載、をまとめたもの。
文字数が決まっている中でのエッセイ。静寂の中に、ご本人と息子さん2人の生活が、己の子ども時代を時には挟みつつ綴られます。
【5年前、私と父との間に大きな諍いが起き、和解できぬうちに父が亡くなり~(略)】
どうしようもなかったことなのでしょう(詳しくは語られていないし、知らない)。
1987年の両親の離婚により劇団「こまつ座」代表を2001年まで務め、2010年に同座を離れます。
読み進めるうち徐々にあきらかになっていくのですが、結婚という形はとらず息子をもうけ、その共に暮らすパートナーを8年以上前に事故で突然失い、今の都さんは普通にパート勤めをしているのでした(その後契約解除となり、次のパートへ)。率直に、こんなに美しい文章を書けて世に発表できる方が、つましく親子2人で生きていらっしゃることに驚きました。

お父さまへの想い、両親の別れに伴った揺れ、はすべてにといってもいいほど根底にあることがわかります。
あまりに付箋がつきすぎて、これはもう「買う」方がよいのでしょう。いずれ文庫本になるだろうから、その前に単行本はきっと押さえておいた方がよい(私は文庫本の行間は好きでない)。

あとさきになりましたが、「食」を中心とした一冊。好きな味など…。なのだけれど、滲むのは、幼い頃の記憶と、今ふたりで生活しているそのものをここに閉じ込めています。
【(略)私は決して不幸にならない。なぜならあの子が生まれてきてくれたからと。確かにあの瞬間思ったはずだったが、あの日の私はどこへいってしまったのかしら。】
ありますね、そんな夜は。シングルマザーだから…の共感もありました。

高校の3年間、アガサ・クリスティーに夢中だった娘に、ハヤカワ文庫のアガサ・クリスティー全集を全巻揃えてくれた父親だった(うらやましいー!)。
【父と母の夫婦生活が終わる前「なんとか別れずにすみそうだ」と娘の私が感じていたほんのつかの間の穏やかな日々があった。しかし、安堵はしたもののなにがきっかけでまた崩れてしまうか分からないうらさびしさが漂ってもいた。】
あのお母さまも、今では75歳を過ぎすっかり老いたとありました。地理的に、今は遠くないところに都さんたちは住んでいます。

戦争、戦時中の暮らし、また市井の人々へのまなざしは、お父さまと重なっています。
【(略)東日本大震災のとき、炊き出しで出された豚汁を手に「火の通ったものが食べたかったからありがたい」と話していた人はいま自分の台所に立っているだろうか。】
【「戦争の記憶が遠ざかるとき、戦争がまた私たちに近づく。そうでなければ良い。」by石垣りん】

【(略)~大事に大事に惜しみながら食べた。煩いなきあのときの幸福感はおそらくもう二度と私が味わうことのできないもののひとつだろう。
人間は時間にはどうしても適わないと言っていた父は、戯曲を書くことで時間を切り取り保管しようと挑戦していたのではないかしらん。】
【「親がガタガタしていても、おまえはおまえの人生をちゃんと考えろよ」両親が離婚するしないで揉めていたとき、電話に出た私につかさん(つかこうへい氏)はそう言った。】

ある作曲家からいただいた言葉。恩人だとある。
『人を傷つけさえしなければ大抵のことは大丈夫。』

あとがきに、
【連載という機会を2年間も私に授けてくださった方、「何を一番伝えたいのですか?」と叱咤激励し書くことそのものを支えてくださった方、本にしましょうと埋もれてしまうはずだった私の原稿を拾い上げてくださった方~(略)】
「何を一番伝えたいのですか?」と答えを要求した方、それは違うでしょう。結論は必要ではない。そして、それはそれぞれで感じるものであって、ご本人がただ書きたかったので書いた、でよいではありませんか。
後者のみなさん。毎日新聞を購読していない私に、「本」としてめぐり合わせてくれてありがとうございます。感謝。
そして、仕事中、偶然この新刊見本が私の手元にまわってきてくれた運命にも感謝。
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なんでわざわざ中年体育 [よんでみました]

なんでわざわざ中年体育

なんでわざわざ中年体育

  • 作者: 角田 光代
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/10/11
  • メディア: 単行本

いや、素晴らしい。作家・角田光代さんについては、忘れていたが今までも書いていて、小説の方は私にはいらないなーなのですが(ごめんなさい)、年齢がそれほど変わらないこともあり、「生活」には興味津々なのです。
『Number Do』に連載。この本では2011年東京マラソンにはじまり、15年秋の7回目のフルマラソンまで。仕事の依頼がきっかけではあるが、ランニングはもうご本人の「習慣」になっている。いやぁ、特別な運動はしてこなかったのに1967年生まれの著者がフルマラソンで4時間40分前後とは、大々尊敬です。

【私のネットタイムは4時間43分45秒(←※初マラソンの記録!)。自分で想像していたより、うんと早い。しかしそんなことより、5時間近く、いっときも立ち止まらず、いっときも歩かず、走り通したことが自分でも信じられない。よくそんなことをやったものだと思う。こんなに走るのが好きではないのに。そしてちょっと自分で自分をえらいと思ったのは、5kmのラップタイムがまったく変わらなかったこと。30km台が34分だが、あとはすべて33分台。これは単純に、うれしかった。自分の内の、不安や、焦りや、闘争心に、勝ったという証拠だもの。(略)~しかし、あれれ、「次回」と考えているということは、また走る気なのか、私。つくづく謎のスポーツである。】
速くもならず、遅くもならず、はすごい。長い距離をバランスよく通す「持久力」は私には永遠の憧れです。
【はっきり目指すものがないと、毎週末走るモチベーションがゆっくりゆっくり下降していくのである。これは学生時代における中間・期末試験とよく似ている。試験なんてなければいいと当時は思っていたけれど、今思うと、ああした機会がなければ私はいっさいの勉強をしなかっただろうなあと。】

マラソンだけでなく、山登り、というか「トレイル・ラン」にも挑戦している。
【~病院にいったところ、仙骨を骨折していた。なんと生まれてはじめての骨折である。尻はこの先1カ月以上痛むらしいが、この先の痛みを差し引いても鳥海山はたのしくてうつくしかった。初骨折も誇らしいほどだ。いい時間を過ごすと、失恋という痛みもやがていい思い出になる。これまた、男女の妙のようですな。】
嗚呼、私も軽い登山してみたい!(残念ながらタイムリーな季節ではないですね…)
そして、マラソンには「トレイル・ラン」が有効に効くことが実証されます。トレーニングとして抜群らしい。全体的に『楽に走れる』ようになるそうだ。

【出張仕事が土日にかかる場合、たいてい荷物にランニングシューズを入れる。】
海外でもマラソンに参加。そして、外国での朝のジョギングも今ではお手のものになった。
【走ると、どうもその町と親しくなるらしい。なんにも持たずに、なんにもこわがらずに、べったりと地に足を着けてまわった。そのことが、距離の近さを錯覚させてくれるのだと思う。】
…もう少し、いろいろ紹介したいのだがこのへんまで。ちょっと体を動かしたいな~と思っている人(中年以降・笑)には大おすすめ。とにかく今の私には刺激的な一冊でした。
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関口知宏のヨーロッパ鉄道大紀行:オランダ、ベルギー、オーストリア、チェコの40日間 [チェコいろいろ]

関口知宏のヨーロッパ鉄道大紀行: オランダ、ベルギー、オーストリア、チェコの40日間

関口知宏のヨーロッパ鉄道大紀行: オランダ、ベルギー、オーストリア、チェコの40日間

  • 作者: 関口 知宏
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2016/09/27
  • メディア: 単行本

欧州の4カ国をとりあげているが、私は「チェコ」に集中して。番組はしっかり見たので、復習する形。関口クンの、現地に出かけたからこそ率直に感じられた国民性などが興味深い。

【日本人は自己主張が苦手です。しかし自己主張が苦手ということは、それをちゃんと自覚すれば、協調が得意なのだということです。
今回もヨーロッパを旅し、各国の国民性や気質を感じながら、このエピソードがつくづく日本の気質や国民性をよく表しているなぁと、いろいろな局面で、あらためて感じさせられていました。】
そういうことなんでしょう。自分の意見は極力言っていきたい、お腹にためずに…と常日頃思っていますが、飲み込んでしまう日本人気質は、ある意味ではやはり美徳であり、なるだけ荒立てたくない、穏やかに進めたいという心がそうさせてもいるのですよねー。悪いばかりじゃない。

番組はたびたび編集もされたりで、再放送も多い。おっ、チェコもさっそく年末に入っていますね。また勉強しよう。
《右カテゴリーに「チェコいろいろ」をつくりました。》
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黄犬(キーン)ダイアリー [よんでみました]

黄犬(キーン)ダイアリー

黄犬(キーン)ダイアリー

  • 作者: ドナルド キーン
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2016/10/07
  • メディア: 単行本

ドナルド・キーンさんは現在94歳《1922年ニューヨーク生まれ》。2012年に正式に日本国籍を取得。そして、人形浄瑠璃の三味線弾きだった誠己(せいき)さん《1950年新潟市生まれ》を養子にされました(詳細略)。本書の後半(全体の5分の1)は誠己さんの文章です。親子どちらも、ここ数年の新聞での連載より。
お元気ではありますが、最期の地は日本と決めており、今後の整理やもろもろの管理を安心してまかせられる人…の存在は不可欠であったということでしょう。10年前の誠己さんとのめぐり合いが、キーンさんの余生の決心を大きく押したことも間違いないかと。
東日本大震災における日本人の姿…も理由でした。
【被災地では暴動が起こるでもなく秩序は保たれ、避難所では少ない食料を分け合い、子どもが高齢者の手を取って支え合った。その光景に世界は涙した。~「日本人と一緒に生きたい」と。】
「石川啄木」に関する執筆に集中していたキーンさんは、新聞社に連載は無理だと伝えましたが、得意な方である英語で書き、日本語訳をしてもらい、本人の厳しいチェックのもと~という条件で実現した、とことわりがありました。

これだけの時代を超えてきているからこその、谷崎やら三島やらとの交流がやはりすごい。世界へ向けての『英語訳』を担ってきたキーン氏でもあるので当たり前なのかも、しれませんが。
【日記は日本文化の一つである。~大人になってからは書いたためしがない。だが、それで後悔することがある。例えば以前、谷崎潤一郎の自宅に招かれたとき志賀直哉がいて、大作家二人との対談に参加した。二人の姿は覚えているのだが、話の内容を思い出せないのだ。
当時、私は記憶力が抜群で「忘れるはずがない」と思っていた。ところが、年を取って忘れることを覚えたのだ。せめて、日記に残していれば、と思うが後の祭りである。】

【反戦主義者の私が通訳士官となった理由の一つが、何か特別な情報を入手して、一日でも早く戦争を終わらせようという思いだった。それはついぞ果たせなかったが、平和への思いは絶えることはない。~戦後、日本は一人も戦死していない。素晴らしいことだ。ところが~(略)
私は戦争体験者として、国際問題の解決には軍事行動を取るべきではないと思っている。~】
【(指揮者・小澤征爾と対談)太平洋戦争を知り、海外から日本を俯瞰してきた私たちは、戦後の平和憲法がどう評価され、日本がどう見られているかを肌で分かっている。二人とも徹底した平和主義者なのは、そんな共通体験があるからだろう。対談で小澤は、最近の日本について、戦争を知らない政治家ばかりになっていることを懸念して「何か落とし穴が待っているような気がする」と漏らした。私も全く同感だった。】

「キーンさん」のことを、誠己さんは書いている。
【1942年2月に19歳で米国海軍の日本語学校に入学し、一か月で日本語を習得の後、20歳で情報将校としてハワイに派遣され戦場に残された書類を翻訳し、戦死した日本兵の身体から抜き取られた、時には血痕さえ残る手帳の日記を解読したり、捕虜を尋問したりした。21歳で~日本軍最初の玉砕を目の当たりにした。22歳の4月から沖縄戦に参戦し、8月6日グアム島で原爆を知り、15日捕虜たちと玉音放送を聞いて終戦を迎えた。23歳だった。】

キーンさんは日本の古典文学だけでなく、日本を祖国以上に愛している研究者だとはもちろん知っているし、戦争中に通訳の務めをしていたことも承知していた。若くして日本文学との出会いがまずあったからこそ辿りついた道だが、あらためて戦前、国として日本の情報を得るための日本語だったことも同時に思い知った気がしています。
そういう時代の中にあり、日本兵への寄り添いも当時から十分持っていたご本人は、さぞ複雑だったことでしょう。
新潟県柏崎市にドナルド・キーン・センター柏崎があることはこの本で初めて知りました。いつかじっくり訪ねることができたらと思っています(冬期は休館あり)。特に、終戦前後の資料に興味を持つ。

また、憂いておられるのは、最近大学でも「日本文学」(いわゆる『文学部』)に重きがおかれていないこと。古典は原文からではなく、やさしくかみ砕いた現代語訳(例えば『源氏物語』など)からでまずよいのだから、優れた日本文学をもっと知って欲しいと。いきなり古語原文から入る、今の教育の方法は間違っているとも書いておられました。
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週末介護 by岸本葉子さん [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

週末介護

週末介護

  • 作者: 岸本 葉子
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2016/07/16
  • メディア: 単行本

期待以上によい本でした。実のお父さまが徐々に認知症となり、きょうだいで1つのマンションを拠点に、かわるがわる曜日交替で介護した記録です。その5年間、入院期間以外は自分たちで最期まで見守りました(享年90歳・お姉さんの息子さんも、男手として力を発揮しました)。
まったくの介護初心者が、探りながらもみなが出来るだけ居心地よく過ごせるよう進んでいった様子が手にとるように浮かびました。エッセイとして読むのもOK。我が父は、ここまで突入していないけれど、いずれ…と考えると参考になります。というか、人間の終焉はこう進んでいくのが常、ということでありましょう。
お母さまは70代の時に入院し、アッという間に亡くなってしまわれたということで、介護ははじめての体験だったそうです。お父さまは著者のお兄さまと同居しており、多くは語らなかったけれど、もの忘れが進んだことを子どもたちは悟ります。お兄さんの仕事場と家が遠いこと、兄と姉だけにまかせきりにはできないと、岸本さんは自分の自宅近くにお父さまの住む理想のマンションを一年かけて探し出します。介護者の部屋も確保できて、交代で出入りしやすく、便利と感じ寄りついてくれるところを!

【きょうだいで一致していたのは「きれいな老人」をめざそうということだ。~ふと父の服を見て息を呑んだ。胸の前が食べこぼしのようなしみでいっぱいだ。】
【問題を解決したのは、腕のいい床屋との出会いである。~「総合整髪」というコースがあり、洗髪から散髪、ヒゲ剃り、眉毛切りまでして、仕上げに蒸しタオルで顔を温めてくれるようだ。まるで「男のエステ」である。~前に来ていた人がそのコースのお金をレジで払っていたが、湯上りのようなさっぱりしたようすだ。同じコースを頼むと、父もたいへん気持ちいいらしく、途中から口を大きくまるく開け、完全に身を委ねきって眠っていた。】
【公園に行った日は、たとえ公園に行ったことは忘れてしまっても、表情や頬の色つやに生命力を浴びた痕跡のようなものが、一日じゅう残るのだった。】

トイレの問題、ボリュームを高くするTVのこと、ひとりで外出してしまい先方から連絡をもらったことetc…、次第々に出てきます(介護保険については、入浴で使う椅子は重宝したとあったので、我が家も業者からもらっているカタログを見直してみよう)。
【5年間の間にも体の状態、とれる姿勢、できる動きは変わっていく。それに合わせて一回一回買い替えていたら、破産していた。レンタルできるのがありがたい。】

何度も同じ会話になること。
【やがて気づいた。父にはこういう話を何回したっていいんだ、と。】
社会人で、むろんいい年をして…だが、ほかの誰にもできないけれど、「じまん話」がお父さまへは何度でもできた。「またか」という顔をされることはない(例えば「きれいだねぇ」と言ってくれる服についてなど)。そのつどはじめて聞いたような相づちを打ってくれる

固い介護体験としてではなく、お父さまのからだが少しずつ終わりにむかっていく、その日常をきょうだいを挟んで過ごした時間を閉じ込めてあり、よく綴って残してくれたなぁと。
きれいごとではない、個々の違いの難しさにも触れており、著者は『これを書いて、ようやく介護を終えることができた』と。
ソフトカヴァーで、装幀としても、全体の雰囲気がよい。さすが晶文社さん。いずれ文庫になるのでしょうが、私はこの 「単行本ならでは」 の手触りが好きです。

《最後になりましたが。著者:1961年生まれ。東京大学教養学部卒。エッセイスト。最近では俳句番組でお見かけしますね。自身のガン体験の本や老いじたくについて…もいずれ読んでみましょうか。→自分でも忘れていましたポツポツ読んでいますね。 》
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色づいてきました

今朝、バス停に向かうAyu。都内も色づいてきました。
いきなり冬になった感があり、秋もののブラウスたちが泣いています。ちょっと立ち止まって欲しいです。
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ペース乱されつつも… [Ayuいとこたちと]

衿の妹が帰省中。こちらで進学し寮生活を送っている、Ayuの下の従妹も久しぶりに顔を出してくれ、秋のケーキで「19歳」をお祝いしました。
ルーティーンが決まっているAyuは、叔母たちの来客はとても嬉しい反面、いつもと微妙に違ってくる(非日常)生活は本当は苦手。
でも、こういう体験を重ねることがAyuには必要なのです。
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諏訪大社 [信州にて(2018.7以前)]

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【諏訪大社付近の正統派みやげ。特に「大社せんべい(ピーナッツ)」は家族に好評でした・コワイコワイと言いながらもAyuが会いたがっていたネコ「今度は春かなぁ~」・庭もすっかり秋(初冬?)模様でした。】
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諏訪湖ウォーキング② [山登り&ウォーキング]

一周は16km。半周は8km。私の気持ちは長い方でしたが、一緒にお弁当をとりたい都合や、自然を楽しむ余裕を優先し、後者に。
この間、約12000歩。びっくりしたのは、叔母宅から現地スタートまでの歩数がなんと670歩だったこと!車に乗ってしまう、ということはいかに歩かないか、でした。
叔母地元から団体45名でのバス。その道中の紅葉は、諏訪湖周辺より進んでおり、車窓も十分楽しみました。なにより快晴、ひなたは暑いくらいでした。
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【わかりづらいですが、ゴール手前にはりっぱな足湯・ウォーキングコースは整備されているけれど観光化もしているので自然も上手に残してほしい】
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【汗を流したあとは「片倉館」という温泉へ。洋館好きの私にはたまりませんでした・湖畔でひとりのんびりと湯冷まし】
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諏訪湖ウォーキング① [山登り&ウォーキング]

霜が降りていた朝(寒い。朝の着替えで、服が冷たい)。
今回のメインイベントへ~!
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【これより出発「釜口水門」からまもなく~・印象的なポプラ・叔母&叔母お友だち(偶然同じメーカーの鮮やかなリュック)】
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【ありがたやー、叔母作お弁当。先日のに対抗!?シナノスイーツ(りんご)入っています】
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今年3度目 [信州にて(2018.7以前)]

谷間の金曜日も休み、3泊4日で私ひとりだけ来ています。
(大きな目的は「諏訪湖ウォーキング」の参加です☆)
祝日スタート、さすがに渋滞ありで30分到着は遅れましたが、さっそく馬肉うどん店で叔母と温まりました。といっても昼は暖かい。夜はしんしん冷えます。
【つるし柿していました・叔母も月末には神奈川へ戻ります。】
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11時過ぎにランチ [Ayuの通院]

祝日前に休みをとり、3カ月半ぶりにAyuは歯科定期健診。50分かけて、きれいに磨いてもらいました(それはそれは、私もやってもらいたいくらい丁寧な障害者歯科です)。
この頃は仕上げ磨きもなかなかやらせてくれず、毎食後の歯磨き習慣は徹底しているもののサーッと終わりにしている様子なので、夕飯後は砂時計やタイマーを使う、をすすめられました(今晩だけでしょうが、歯科で指導されたように手鏡持ちながらやっていました)。
その後、JRで移動して予防接種会場(会社の健康保険組合)近くでおひるをと目星をつけていたのですが、11時で既にお腹がすいたポーズ。あえなく歯科近くで、前にも入ったことのあるレストランへ。
【ランチメニュー、〆めのミルクティー。】

私もAyuも久方ぶりの注射。人が一杯でびっくり。「中学生以上の扶養家族も推進」なのですが、見回したところほかに一組しかいなかったような。
問診票には年齢を24歳と書いているけれど、まずみえないだろうなー(この子たちが幼くみえるのはメイクもしていないから、とあらためて。そういえば卒業校メンバーでの成人を祝う会では、軽度の女の子はみなお化粧して来ていたものなー。Ayuは色つきリップさせるくらいだけ。簡単な着物を着させた時に薄化粧させたきり。Ayuは乾燥には弱いので肌を守る程度のものは気をつけていかなくてはネ)。
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