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あの胸が岬のように遠かった&ドラマ化 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

あの胸が岬のように遠かった

あの胸が岬のように遠かった

  • 作者: 永田 和宏
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/03/24
  • メディア: 単行本

再現ドラマは先日放映されたが、未読だった私はまず原作を迷いなく先に読んでから~。

青春時代、河野さんは永田さんとN氏の間で揺れ動いた時期があった。それが主題でもあったのだろうが、原作はまずは永田さん自身の生まれた環境から詳しくあり、自叙伝のようなはじまりだった。
【河野にとって、火傷の痕を私に言うのに大きな勇気が要ったように、私にも河野にいつか告げなければならないことがあった。~母が早くに亡くなったこと、いまの母が産みの母親ではないこと。これは河野の火傷以上に、誰にも言ったことのない私の心の傷であり、秘密であった。】
お互いのこの打ち明けによって、二人の距離は決定的に近くなった。

河野さんの日記と、永田さんの日記や手紙から、それぞれがその時どう感じていたかが明かされていく。当時、N氏の存在はわかっていたのであるが(その動揺を悟られる河野さんも私は正直でスキ)、新たに知る事実もあった《N青年の歌が120首ほど抜き書きされていたそうだから、心中穏やかではなかったろう》。
その他すべてが赤裸々に綴られていると言っていい。

原作を読み終えてのTV視聴は、1つ1つが手にとるようにわかった。この順で、よかった☆時々、永田さん本人の実写を挟みながら、柄本佑さんが演じた。
結婚の挨拶を先方にしたあとの、永田さんの睡眠薬による自殺未遂(河野さんには生前知らされず)、そして最初に授かった子があったことまで忠実に映像化していたのには正直驚いた。
【私は後年、いろいろな講演の場で、「自分のいま居る場だけを世界と思わない」とか「人生の風通しの良さ」といったことに触れることが多いが、人間は追い詰められると、一点だけをひたすら見つめ続け、視線をゆったりと遊ばせるという余裕を失ってしまう。~ちょっとドアを開きさえすれば、すぐ横にはまったく別の大きな世界が開けていることに気がつかない。~】

息子さんの手による母親・河野さんの評伝で、細かいこのご家族のいろいろは既に知ってはいたが、夫・永田さんが自分の人生と共に、河野さんの青春を辿ったことは、ご自身の整理としても意味があったのだと想像した。
お二人とも膨大な歌を作ってきた。その背景が浮かぶことは、今後、読者もより深く感じ入ることができるのだ。

どこでもないところでー河野裕子(かわのゆうこ)エッセイコレクション 3  [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

どこでもないところで - 河野裕子エッセイ・コレクション*** (河野裕子エッセイ・コレクション 3)

どこでもないところで - 河野裕子エッセイ・コレクション*** (河野裕子エッセイ・コレクション 3)

  • 作者: 河野 裕子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/10/24
  • メディア: 単行本

エッセイ・コレクション3冊目。最終巻(2011~14年の刊行なのに追いつくのが遅くなりました!)。

【私を作歌に駆り立てて来たもの、それは、どろどろとした根源的ないのちのカオスの原不安めいた衝迫感、今のこの一瞬をおいて無いいのちの燃焼感、といったようなものであり、歌う対象が何であろうが委細かまわないことなのであった。ありていに言えば、意味とか感覚を越えた、何か得体の知れないものに始終衝き動かされて来た、という方が当っているかもしれない。】
【第一歌集(※『森のように獣のように』)には、18歳から25歳までの歌が収めてあるが、この時期は私の人生でも精神的に最も不安定な時期にあたるだろう。当時の私は、揺れやすく、しかもすぐに過剰反応してしまう自分自身の感受性と、どう折合いをつけて一日を暮らすかが一番の問題だった。恋人を得、相聞歌を作ることによって、辛うじて神経のバランスを保っていたようなところがある。】
激しい。情熱的だ。
「濫作、乱作型なのである」「依頼された歌数の10倍の歌を作ることを自分に課している」と。すごい量だ。
私は勝手に、草間彌生さんを思い出した。河野さんも作品を数多く生み出すことによって、心のバランスをとっている方と言えよう。

【わたしの場合、結論から先にいえば、テーマが決まってから歌を作ったということは、これまでの作歌を振り返って考えてみても、ほとんど無いといってよい。そういうことがあって作ったとしても、めったにいい作品にはならないのが常であった。】
テーマを与えられて作ることが多いのだと勝手に思っていた。そうでないということは、本当に詠みたくて生まれてきた歌たちばかりなのだな。

【十代、二十代の頃は、感受性と感覚で世界を受けとめ、歌を作っていた。現在の私は、自分も他者も、少しゆとりを持って眺め、日常の具体性を味わいたいと思っている。】
そういう段階の余生を十分に味わい、詠む時間がもっと欲しかったことだろう。
…この本の中では、自身の若い頃の歌集について多くを述べている。
夫の永田和宏さんも言っています。
《「愛の歌」はいくつになっても作ることができます。しかし「恋の歌」は、ある時期にしか作れないのかもしれないと私は思っています。》

息子・淳さんによるあとがき。
《母のエッセイをまとめた単行本はおそらくこれが最後になるだろう。母の大胆で率直な文章がもう生まれないことを今更ながら寂しく思うのであるが、~》
そうか。このエッセイ3冊は珠玉でした。歌人による随筆は珍しいのだそう。

お勧めは、やはり1冊目
日本語が恋しくなった、家族とのアメリカ生活を中心に綴る。なんと10年前!に読んだのだが、今でもその余韻を思い出せる。
2もよかった。この3は、短歌について多く書かれており(正岡子規についてなども)、どちらかといえば河野さんの人生に興味が大きい私は、その部分についてはふわっと目を通した。

先日のTVで淳さんが話していた「幼い頃の道草での矢印」のエピソードもあった。
子どもの発見とかしぐさを等身大で感じとろうとするところがいい。
歌人はそういう感受性を持ち合わせているものなのか。河野さん、だからかな。

しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
私の好きな句の1つですが、今回は「伴侶を歌った歌」として紹介されていました。!?
まぁ、誰を想って詠んだかは突き詰めなくてよいですよね。
永田さんも「どう解釈されるかは読者に任せる」と言っています。本当に言いたいことは言わない、で想像の遊びをしてもらうのでしたね~☆

早くもドラマ化! [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

『あの胸が岬のように遠かった』、まずは明日早朝、NHK BS4Kでドラマ放映
藤野涼子さん、が河野さんね。いい。『ひよっこ』での籠城シーン、あのドラマで一番好きでした。
私の環境で見られるまで待ちましょう《NHK BSプレミアムで22年春放送予定、とあり》。

書籍も刊行されたよう。早く読みたい。注目です

ほんたうに俺でよかつたのか [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

『ほんたうに俺でよかつたのか』は、先日NHK‐BS1で放送されたタイトルである(3月10日再放送予定)。

ようやく落ち着いて、春の光を感じるAyuを送り出した朝にゆっくり視聴することができた。
《このおふたりのことはマイカテゴリー内に詳しく☆》

妻の河野裕子さんが亡くなり、早いもので13回忌が来るそうだ。仏壇はない。自ら手を合わせることはまだしていない。認めたくないのだという。お骨もまだ、家にある。
だが、2018年にNHKディレクターと番組の取材で、若い頃のデートコースだった墓地を訪ねたことにより、そこを決めた。2人が尊敬する歌人が眠っていた場所だそう。
何よりである

主題はもちろん別のところにあるのだろう。けれど率直に私は、妻に先立たれた夫がこうして自分の食事を作り、ひとりでつつましくちゃんと暮らしている姿に、一番河野さんが安心していることを思った。

まずは東海道を、ゴール日本橋を目指し歩いている永田和宏さんが登場。ああ、こういう歩きが私もまたしたくなった。
息子の淳さん娘の紅さんも。息子さんはお父さまとお母さまによく似ており、娘さんは河野さんの面影そのまま。(永田さんは細胞学者だが)血とはすごいな、河野さんのことを今もより近くに感じているだろう。

妻の若い頃の日記と真正面に向き合うのはなかなか~と思うが、そこは創作者としての性なのか。もっと妻を知りたいのか、核心は自分が夫でよかったのかの確認か。
とにもかくにも、河野さんが強く魅力的な女性だったことは想像できる。

連載は終わったそうだから、いずれまとまることでしょう。早く読みたい
そして、私はおふたりの場所である京都にまた行きたい。今度は「哲学の道」あたりを長く、ただずっと歩いてみたい。
ちょうど4年前の今頃に訪ねたのだった・「桃の節句」は三十三間堂が「春桃会」で無料拝観♪》

桜花の記憶ー河野裕子(かわのゆうこ)エッセイコレクション 2 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

桜花の記憶 河野裕子エッセイ・コレクション

桜花の記憶 河野裕子エッセイ・コレクション

  • 作者: 河野裕子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: Kindle版

やはりすてきな一冊だった。歌だけでなく、随筆も素晴らしい。
27歳から亡くなる64歳までの文章と幅広いのだが、うまい具合に収録されている。
【子供たちがまだずっと小さかった頃、大学の研究生活に戻りはしたものの、亭主は無給で、生活が不安定だった~(略)大きな、強い、勢いのある歌を作ることによって、一日一日を渡り切ろうとしていた。(略)それらの歌は、なぜか好評だった。実際、私は亭主子供を蹴っ飛ばしてもいたのだが、体と体でぶつかりあえる家族という関係の、素手でさわれるところが、好きなのだった。】

【《長女・紅さんの》結婚式の翌日、紅(こう)がちょっとした用事があってやってきた。その少しあとに永田が帰ってきて、え?何、今帰った?それじゃあ電話してみるか、と受話器をとりあげたのをみて呆れた。あなた紅は人妻なんですよ、父親はおとなしくしていらっしゃい。もう保護者じゃないんだから、おせっかいはあきませんよと母親のわたしは言う。(略)父親としても、母親としてもお役目が終わりましたねと言うと、夫は寂しくも安らかな表情で頷いた。わたしも同じ表情をしていたことと思う。】
この時、著者の命はあとわずかであった。
【(略)体を病んでいても、歌は健やかな歌を作りたい。(略)病気をしていても健やかであり続けることは、大きな広い場につづく道があることを約束している予感が、しきりにする。】
【(略)食べたいという指令を出すのだが、舌と消化器官が働かない。何を食べようとしても一口で箸を置いてしまう。おいしく食べられるということは人生の半分くらいの楽しみだったんだなあと、しみじみ思う。】

【たんぽぽのぽぽのあたりをそつと撫で入り日は小さきひかりを収(しま)ふ】

年齢七掛け説』。近ごろはそう言う、とあった。だれもが自分の客観的年齢と、実感年齢のズレを感じていると。これ、いい得ているのではないか。私もこれで計算するとまだまだこれからだ♪
【人間はだれも、生きている間は人生からおりることはできない。毎日毎日が、現役なのである。】

津島佑子さんには2カ所で触れていた。重なる思いがあったらしい。
河野さんも津島さんも、男前な女の人。ちゃんと言うことは言う強い人だったと。

幼い時の話もいい《息子・淳さんの本にもあった》。世代は違うが、この人のふるさとの様子は私自身の小さい頃の記憶を呼び起こしてくれる。淡々とした語り口なのだがやはり上手いのだと思う。

妻がどんどん近くなる [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

今朝のA新聞「喪の旅」に永田和宏さんが。早くも10年。「妻がどんどん近くなる」と。
姿を現実に失っても、一番大切な心に、在る。ましてや作品は家族にはもちろん、他者にも響き続ける。新しい読者さえ呼ぶ。

評伝・河野裕子 たつぷりと真水を抱きて [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

評伝・河野裕子:たつぷりと真水を抱きて

評伝・河野裕子:たつぷりと真水を抱きて

  • 作者: 永田 淳
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2015/08/18
  • メディア: 単行本

私は歌人「河野裕子さん」を表面的にしか理解していなかった。息子が著したこの厚い本(寝っ転がってでは読めなかった!)でようやく把握しようとしている。

…しばらく永田和宏さん&河野裕子(かわのゆうこ)さん夫婦、そして同じく歌人である長男(この本の著者「淳」さん)・長女「紅(こう)さん」の家族から私は遠ざかっていた。
師走に入った頃、自分のblogを遡っていて、急に関連書を読み広げたくなった。
私は未だにガラケーとスマホの間のガラホ族なため、スマホで記事がどう見えているのか?不明なのだが、興味を持ってくれた方にはできればPCで右欄のカテゴリーから「河野裕子さんとその家族」をスクロールして眺めて欲しい

以前、NHKの再現ドラマなどから、闘病中の河野さんの精神状態は激しかったことを知った。当然だろう、普段は穏やかな方が死がちらつく病を得て正常心を失ったのだ…と安易に受けとっていた。
いや、河野さんは幼少の頃から、男まさりの気性だったのだ。強い。いつでもはっきりしている。きっと『夫である永田さん』よりも(※詳細はカテゴリー内を参照)。
そして精神が昂ぶりやすい性質を元来持ち合わせていた。

息子である永田淳さんが、母方の家系のことからまず触れている。「家族」そして「幼い頃の記憶」は河野さんにとって、永遠に詠み続けた題材であった。よくここまで活字におこしたと思う《それは向田邦子さんの妹・和子さんが(自らの責任を持って正確に)姉の恋模様などを公表し、より真の作家の姿をとらえてもらおうとした読者への誠実さと同じだ》。

【とにかく「欲しいと思ったらどんなことがあってもみんな自分のものにしてきた。ほんとうに心をこめてそれを願ったときだけは、不思議に自分のものになったのである」(『森のように獣のように』あとがきより)といった性格である。】

【母は私の連れ合いに、幾度となく「男は3回脱皮します」と言い続けていた。言わんとするところは、若いころの男は幼稚だが、年を経るに従って、あるいは壁に直面しそれを乗り越えるたびに、脱皮しながら成長し強くなっていくんだ、脱皮を繰り返すたびに強く逞しくなっていく、だから現状の息子(つまり私である)だけを見て評価しないでほしい、そんなことが真意であったのだろうと思う。】

【私が成人するまでで一番本を読んだ時期がおそらく、このアメリカ時代である。母同様、日本語に飢えていたのかもしれない。土曜日ごとに日本語学校で図書館から本を借りてきては読んでいた】(妹・紅さんも)
アメリカの自由な気風や文化を摂取し、傾倒しながらもやはり母は抜け難く大和言葉を愛し続けたのだろうという気がしてならない。】
アメリカでの生活経験は、家族4人にとって大きかった。それは河野さんのエッセイにも瑞々しく書かれていた。

しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ】(歌人の後輩の世話)
おせっかいなところもあった。面倒見がよいというか、自分以外のことで働いた。
…この句は、母親である者ならみな共感できると思う。

【歌人として死にゆくよりもこの子らの母親であり君の妻として死ぬ】
息子と娘そして夫にとっては、ふつうの生活する母親(妻)であった。戦後もっとも注目を浴びていた女性歌人という以前に。

息子のことを。
【どこでどう暮らしてゐるのか生野菜むさぼり食う顔難民めきて】
俵万智氏からは、母・河野より「子どもはいくつになってもそのときが一番かわいいのよ」と言われたと聞いた。当時、大学生だった著者(淳)はほとんど家に帰らず、だったそうだが。

乳癌になった時、世間への公表はしない(まずは伏せておく)というのが夫の考えだった。のちにそれは杞憂に終わったそう。
【~病を包み隠した母の歌など読みたくはなかった、と思うのである。そのような歌は間違いなく「濁った」歌であったろう。】
その通り☆

【今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇って欲しかつた医学書閉ぢて】
→歌は詠むが、本来は理系の夫。こう正直に言える河野さんが私は好き。

【風呂の蓋洗ひながら歌ふ歌もなし夫や子遠し彼ら働く】
→自分だけ具合が悪くて家にいる。みなは外で働いているのに。孤独感も募った。

印象深いのは、両親が世間から結婚をまだ許されない若い頃に授かった子をあきらめた事実を書いていること《著者は勝手に兄、と解釈しているそう》。
20歳の頃、自分に恋人ができた際、父親から聞かされたそうだ。自分たちのような苦しみにあわぬよう忠告したのだろう。黙っていることもできただろうに、親としての苦い経験をきちんと伝えた家族(この若かりし件については母当人の句も残っている…)なのだ。

あとがきより。
【~しかしそれでよかったのだと思う。こうして書く機会を強制的であれ与えられたことで、もう一度母を私の中に定位できたと感じている。】
自身も出版社代表である著者が、白水社の編集者に絶対に刊行すべき~と押されてこの本が誕生した。

河野さんが亡くなってから、存在を知った口である。私は。恥ずかしながら。でもこういう出会いが多いのも事実かと。森まゆみさんも、作家が忘れられないためには(亡くなってから)早くに動く(書として刊行)ことが重要~と読んだばかり

亡くなって昨年がちょうど10年だったのだ。時間は経ったのだな(本書は逝去3年後刊・これだけ整理したのだから早い☆)。
河野さん自身によるエッセイを早く読みたくてたまらない。
《そして仁和寺あたり(また京都に)をいつか訪ねたいとたくらんでいる私。》
→《第5回衿賞

あなたと短歌 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

あなたと短歌

あなたと短歌

  • 作者: 永田和宏
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2018/01/04
  • メディア: 単行本

よい本だった。説明するまでもない永田和宏氏と、モデルであり国連でも活躍する知花くららさんとの、短歌にまつわる対談など。
歌の初心者(つまり私)にはわかりやすかった。

知花は、昨年いきなり角川短歌賞佳作受賞の経歴あり。
【知花:~前に先生がおっしゃっていたドーナツの穴ですね。本当に言いたいことは言わない。】
【永田:そうです。歌は自分の気持ちを全部詰め込んで、私はこう思ったのだから、あなたもそう思ってください、と読者に押し付けるのではなくて、どう解釈されるかは読者に任せてそっと渡す。これは初心者に限らず本当に大事なことで、僕が一番強調したいことですね。】
一番言いたいことは言わない。これをとにかく何度も述べていました。

【永田:せっかくだからもうひとつ大切なことを言っておこう。歌の言葉はなるべく漢語じゃなくて、大和(やまと)言葉を使ってほしい。たとえば「書籍」ではなくて「本」にするとかね。】
音読みより、訓読み好きの私には合ってますね(笑)。

駅、旅、雨などのお題による一般からの歌などで、ふたり語り合います。
私が秀作と思うものを。
【鳥栖駅に列車乗り継ぐ十分間夫と義兄と掻き込むうどん】
【病床で時刻表繰り旅程練るどこへ行けてもどこにも行かず】
【君の背に午後の光が跳ね返り汗ばむシャツに昨夜の彷徨】
【唇にまづ一粒の雨の来てやがて万朶の花を打ちゆく】
 ※「万朶:ばんだ」(花のついた)多くの枝
【ため息をつくたび窓につく汚れ拭き取る妻はころころ笑ふ】
【ガリガリ君清少納言に齧らせて『あてなるもの』と言わせてみたい】
【点滴で逝ってしまった我が父の何であったか最後の食事】
【眠ること食べることにも体力が必要なのだと老いたる父は】
【あと五段あたりで押し戻さんとするビル風といふ冬に出会えり】
【観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生】栗木京子(歌人)

【知花:私が短歌を始めたきっかけが、与謝野晶子でした。~他人からどう見られようと自分が信じた道を貫く姿勢や、そんな強さと裏表にある危うさや脆さのようなものを感じる歌に出会うと、もうたまらない! 自分を剥き出しにしては行きづらい世の中で、どこか憧れもあるのかもしれません。】
ちなみに知花さんには、女性誌の編集部に「本当に出して大丈夫ですか?」と事務所に3回くらい確認された歌があります ↓
【知つているでしよきつく手首を縛つても心まで奪えぬことくらゐ】

知花さん、「歌会」に初参加。事前に参加者全員が詠草(一首)を提出します。作者は伏せられ、歌のみが番号とともに印刷されたものが当日配布されます。司会が歌を読み上げ、一首ずつ全員で歌を評しあう形で進行。参加者は入り口に置いてある番号札を取っていき、その番号の歌になったとき、最初に評す役目を担う。その後は挙手をして思い思いの評を。
私が好きな『俳句さく咲く!』(Eテレ)でも、作者は隠してみなで論議する場面はとてもおもしろい。

例えば、
【公園でスズメを眺めていたはずが泣く声のする砂を見ていた】
これをどう解釈するか。ある人は、自分の子か孫のことだと。いや、これは作者自身では、と。
私は、後者の方。寂しい心情の歌と感じました。
…というふうに、あくまで読者がさまざまに想像する、その余韻というか「幅」が歌にはなくてはいけない。はっきり読んではダメ。

永田さん、「機会詠」について。
社会の出来事や政治、あるいは身のまわりに起きた事件や、自分が目にしたさまざまな社会的出来事を素材として詠んだ歌のこと。
【僕は、機会詠はすごく大事だと思っています。たとえば大きな事件が起こったとして、それ自体は記録に残るんだけど、庶民がそれをどんな気持ちで受け止めたか、リアルな感情っていうのは歴史の書に残っていかない。それら庶民の感情の総体とでもいうものは、一般の人たちが作る短歌やポエムとかのなかにだけ、唯一、残っていくわけです。】
短歌(5・7・5・7・7)だけでなく、そういう川柳(5・7・5)もよく見かけますよね《新聞誌上に》。季節や叙情的なものでなく、そういうものから気軽に作っていってもよいかもしれません。
まずは「数を作ること」だそうです。
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森のやうに獣のやうに [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

森のやうに獣のやうに―河野裕子歌集

森のやうに獣のやうに―河野裕子歌集

  • 作者: 河野 裕子
  • 出版社/メーカー: 沖積舎
  • 発売日: 1987/11
  • メディア: 単行本

《ここからしばらくは昨年読了済みで未記録だったものを~》

「活字」の感じのよい本でした。昭和38~47年。著者が17~25歳という初々しい時期の歌集です。
今までに転記した歌以外より。
【光ある教室の隅の木の椅子に 柔らかくもの言ふ君が座りをり】
【誰からも知らされてゐぬ病名を 不意に虞(おそ)るる雑踏の中】
【陽にすかし葉脈くらき見つめをり 二人のひとを愛してしまへり】
【われよりも優しき少女に逢い給へと 狂ほしく身を闇に折りたり】
【君がもつ汗水のにほい髪のにほいがかぎわけて初夏に入りゆく】
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あなた 河野裕子歌集 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

あなた 河野裕子歌集

あなた 河野裕子歌集

  • 作者: 河野 裕子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: 単行本

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息がー2010年8月、この歌をさいごに遺して、現代短歌を代表する女性歌人・河野裕子は世を去った。その生涯につくられた歌のなかから、夫・永田和宏、長男・永田淳、長女・永田紅の三歌人が1500首あまりを選ぶ(約6500首より)。15ある歌集すべての書影・あとがき、年譜も収録した~決定版アンソロジー。』
今回、河野さんの歌というより、それぞれの歌集の選者となった家族がしたためた書き下ろしエッセイの方に重点を置き、ページをめくっていきました。

第一歌集は、17~25歳までの作品。永田さんいうところの、
「愛の歌」はいくつになっても作ることができます。しかし「恋の歌」は、ある時期にしか作れないのかもしれないと私は思っています。~、ですネ。
寝ぐせつきしあなたの髪を風が吹くいちめんにあかるい街をゆくとき
あとに夫となる永田さんとは21歳で出会い(「同人誌」がらみ・既に2人は歌を編んでいたのでした)、26歳で結婚することとなります。
当時、永田がほめた桜の歌。
夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと
永田さんの感想に押されるようにして、河野さんは角川短歌賞に応募を決心、初めてで見事受賞。突っ張って、そういうのには背を向けていた男たちを差し置いて河野はいともやすやすと…とありました。

子を持つと、一気に主題はそちらへとうつります。
【寂しさを知り分けし子が母を呼ぶ草笛よりも繊きそのこゑ】
【動物園の匂ひかすかに持ち帰り吾子ふさふさと陽をまとひ眠る】
~第一歌集(1972年)上梓の後の5年間に、私は生涯の伴侶と二人の子供たちを得ました。この者たちは、それまで狭小なおのれひとりの世界に閉じこもっていた私に、様ざまなものを与えてくれました。

《私が母のお腹のなかで胎動を始めてから、母が死ぬまでに作られた、私を歌った歌は実に500首に近い。古今東西見回してみても、私ほどに歌に詠まれた息子はいないのではないだろうか。》
…1973年生まれの長男(歌人、出版社:青磁社代表)の言葉であります。
前にも転記してますが、やはりこれはいい。
子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る

「決定版アンソロジー」といっているだけあり、永田さんも繊細な部分まで書いています。いや、私がまだ具体的に永田さんが妻のことを語った随筆にあたっていないので、知らなかったというだけかもしれないのですが。自分の父親と妻が同居においてうまく行かず引っ越しした、というような事実などにも及んでいます。
向田邦子さんの妹・和子さんが『作家として世に作品が出ているのだから、読者がいる以上、その背景は包み隠さず公表していくのがつとめだ』みたいなことを書かれていたのを思い出しました。

長女(1975年生まれ・歌人、生化学研究者)紅(こう)さん。
母は、男名のようで女の子らしい名前、というのが好きだった。》
紅さんの兄・淳さんの長男は櫂(かい)くん。永田夫妻の初孫。河野さんの容態がもう予断を許さないというとき、「おれ、歌作ろうかな」(小5当時)と言い出したそうだ。
《父は母の耳元で大声で「おい!櫂が歌を作るってよ!」と、どこか哀願するような調子で叫んだ。薄れゆく意識の中で母はそのことを知って死んでいってくれたのだろうか。今では高校2年生、近頃はサボりがちながらも、すこし変わった歌を作り続けている。》そうだ。

【ごはんを炊く 誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい
…50年ほど歌を作ってきてほんとうによかったと、この頃しみじみ思う。歌が無ければ、たぶんわたしは病気に負けてしまって、呆然と暮らすしかなかった。】

紅さん。
《母が亡くなってはじめて、気づいた。風呂場で小さくなった石鹸を見ると、
【薄くなりし石鹸に石鹸を貼りつけて子供ふたり洗い終へたり】
をかならず思い出す。
『葦舟』は、母が自分で手にすることのできた最後の歌集になった。個人的にいちばん好きである。はじめから透明な部分だけを掬い取ろうとすると嘘くさくなる。とりあえず何でもほうり込んで混ぜておく。そうして生じる沈殿も上澄みもひっくるめて歌なのだということが、このごろの私にも心強く思われる。》

【二年もすれば丈を越されるこの櫂を抱きしめぬ十歳の弾むからだを】
【抱きしめてどの子もどの子も撫でておくわたしに他に何ができよう】
亡くなるまでに、孫(淳さんの子:長男・櫂に続き、長女・玲、次男・陽、三男・颯)4人となっていました。
【夏帽子かぶりし子供がおりてくる石段の上にしやがんだりして】
紅さんは、河野さんが亡くなる年に結婚。その後、母になりました。紅さんのお子さんと会うことは叶いませんでした。実のお母さまを失ってからの出産&子育て、考えるところがあったと想像します…。
【洗濯機の終了ブザーが鳴るまでにまだ少しあり夕蟬のこゑ】

《(永田さん)河野裕子は2010年8月12日の夜に亡くなった。亡くなる当日まで歌を作りつづけた。~鉛筆を持ち続ける力がなくなると、彼女の口から出る言葉を、身近にいるものが書きとめるという形で数十首の歌が残された。~私も、娘の紅も、息子の淳も、それぞれが口述筆記によって歌人の河野裕子の最後の場に立ち会うことができたことを、幸せなことだと思っている。意識して、そんな機会をそれぞれに残してくれたのかもしれない。》

私はまだ、壮絶な闘病中の様子を文章としてみてはいません。
それは、2012年放映のBSプレミアムドラマで知ったのみ(今となっては録画を残しておけばよかった)。それ以前に、NHK・ETV特集もあったそうで見たかった(巻末年譜より)。
ぼちぼちと、深くいってみます。

…そうそう、この家族の拠点は「京都」です。昔々、2度の修学旅行で訪れたのみ。私には敷居高く思われる場所なので敬遠(笑)してきましたが、このタイミングに「大人になってからの京都旅」をしっとりとするのもよい?…と思ったりも。 太宰《津軽》ホームズ《ロンドン》と追いかけたように。
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あの午後の椅子 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

あの午後の椅子

あの午後の椅子

  • 作者: 永田 和宏
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2016/06/25
  • メディア: 単行本

先日、「河野裕子(かわのゆうこ)さんと家族」というカテゴリーを右にもうけました。久しぶりに、“追ってみようか欲” が出てきました。
夫である永田和宏さん(1947年生まれ・京都大学名誉教授・専門は細胞生物学、そして歌人)の数々のエッセイをまとめたもの。少し前まで、日曜朝のEテレ「NHK短歌」も担当。あの髪は、結婚以来自ら切ってきた、というのだから驚きました。メイクさんに「もしかしてご自分でカットされてますか?」と指摘されたそうです。次の機会にはじっくり見てみよう・笑。
既に書いてきたので、詳しくは割愛しますが、妻を病で亡くし、そのあともこうして歌人として&その他活動されている姿に私は素直によいなぁと思うのであります。
けして、めそめそとはせず。
そして、亡くなったのちも、人は人の中で生きていくこと、もしかすると実際に生きていた時より深い愛となることもあるのだと思わされます。死は終わりではない、と。

あの午後の椅子は静かに泣いてゐた あなたであつたかわたしであつたか
【あつと言ふ間に過ぎた時間と人は言ふそれより短いこれからの時間】
「今となると、再発を告げられたばかりの妻の目に止まることを考えれば、なんという思いやりのないストレートな歌かと思わざるを得ない」とあります。

【相槌を打つ声のなきこの家に気難しくも老いてゆくのか】
何よりもよく話す夫婦だったそう。

…たくさんの本に追われ、拾い読みになってしまいましたが、ゆっくりとこの世界は追ってみます。文中、永田さんが触れていた他の本もあたってみたい。
この4人の歌人家族に、どうしても心掴まれてしまう私です。
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人生の節目で読んでほしい短歌 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

人生の節目で読んでほしい短歌 (NHK出版新書 456)

人生の節目で読んでほしい短歌 (NHK出版新書 456)

  • 作者: 永田 和宏
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2015/03/06
  • メディア: 新書

この歌人一家については以前にも書いています。この著者は、乳癌で亡くなった歌人・河野裕子の夫であり、自身も歌人、そして細胞学者(1947年生まれ)。長男(永田淳)も長女(永田紅)も歌を作り、前者は歌集を主に刊行する出版社を自ら立ち上げているはずです。私はこの版元の本を手にするたびに、この家族を勝手にとても深く感じています。
タイトル通り、多数の歌人の作品を紹介、時には自分の、妻ら家族の歌もとり混ぜて。月刊『NHK短歌』の連載に大幅に加筆したもの。
※【 】は、永田和宏自身のコメントの部分です。…以下は、わたし。

《恋の時間》より。
●だしぬけにぼくが抱いても雨が降りはじめたときの顔をしている 加藤治郎
●くちづけを離せばすなはち聞こえ来ておちあひ川の夜の水音 河野裕子
…できすぎていると思われる「おちあひ川」は著者妻の実家に実存する川だそう。
●花水木の道があれよりも長くても短くても愛を告げられなかった 吉川宏志
【「愛の歌」はいくつになっても作ることができます。しかし「恋の歌」は、ある時期にしか作れないのかもしれないと私は思っています。】

《卒業》より。
●校塔に鳩多き日や卒業す 中村草田男
…親戚が「お前は腐った男だ」と面罵した、そこから名とした、のエピソード、私は初耳でした。

《結婚》より
●この子には着物を残してやれるのみ婚の準備ひとつもし得ず 河野裕子
●結婚はひと月後(のち)に迫れども連れだちて鍋や皿など買ひにも行けず 同
【河野裕子が娘の紅(こう)の結婚式に臨んだのは、亡くなる4カ月前のことでした。】

《出産》より
●産み終えて仁王のごとき妻の顔うちのめされて吾はありたり 大島史洋
【「仁王のごとき」迫力に「うちのめされ」たと言う。白髪三千丈的な誇大表現が活きています。】
●不可思議は天に二日(にじつ)のあるよりもわが体(たい)に鳴る三つの心臓 与謝野晶子
…双子を身籠っていた晶子が、自分の心臓と合わせて3つ。考えると、おなかにいる間はもう1つの心臓を体にもっていることになる。当たり前のことなのですが。私にとっては、「男児」をおなかにもつ、は、“自分と違う性別をその時だけ持っている” という事実はとても不思議に思うのです。
●吾(あ)を産みし母より汝(な)れの父よりもいのち間近にわが肉を蹴る 河野裕子
●いまわれが産み落とされし感覚に瞑(つむ)るとき子は横に置かれぬ 米川千嘉子

《子の死・親の死》より
●真新しき革のベルトが悲しかり最後に貰う許可なく貰う 永田淳
…河野裕子の父が亡くなった時、孫である永田淳が詠む。残された革のベルトをそっと貰ってきた。率直でいい歌。直球で伝わります。

《ペットロス》より
…現代の世の中、ペットを失う歌も増えているそうです。その中の著者の文章より一部。
【~私は偶然の符号に意味をつけたりはしない人間ですが、これには(説明略)ちょっと参りました。】
…さすが、科学者(京都大学名誉教授)。偶然、に感傷しないと明言しているのは。
「だからこそ、そういう方から生まれる歌は興味深い」 ということです、よね。
●よろぼえる犬に願える安楽死いつの日か子がわれに願わん 玉井清弘
…人間世界に置き換えて。切実です。

…最後に著者の作。
●母を知らぬわれに母無き五十年湖(うみ)に降る雪ふりながら消ゆ 永田和宏
…著者は、3歳で母を亡くしています。葬儀の朝の記憶が、もっとも古い記憶というだけで、母自身のおぼえはないとのこと。
●一日が過ぎれば一日減ってゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ 永田和宏
前にも紹介していますが。妻の命の期限を感じる日々。この1首に凝縮されていると思います。
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うたの家~歌人・河野裕子とその家族 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

そんなわけで恥ずかしながら、録り溜めていたTV番組を消化している。
昨夏8月放映のNHKプレミアムドラマ。歌人・河野裕子さんの乳癌闘病10年、2010年8月に64歳で亡くなるまでの事実を下敷きに家族の物語をフィクションで描く。
1年以上前に一冊だけ関連書を読んだが、こんな家族の葛藤があったことは初めて知った。穏やかで崇高な歌人&学者一家の母も、自分にだけ襲ってきた病に心が追い込まれ、家族に当たった日々もあったのだ。その後、精神科医との出会いもあり、落ち着いていく。しかし、数年後には転移。髪があるうちに撮る写真…。最期まで歌を詠んだ。
実の家族(夫・息子・娘)のインタビューも挟みながら、胸に詰まるドラマだった。

夫・永田和宏氏(歌人、細胞生物学者、京都大学名誉教授)のうた
「一日が過ぎれば一日減ってゆく 君との時間もうすぐ夏至だ」
これも、もう少し追っていきたい。
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たったこれだけの家族ー河野裕子(かわのゆうこ)エッセイコレクション 1 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

たったこれだけの家族―河野裕子エッセイ・コレクション (河野裕子エッセイ・コレクション 1)

たったこれだけの家族―河野裕子エッセイ・コレクション (河野裕子エッセイ・コレクション 1)

  • 作者: 河野 裕子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2011/07/10
  • メディア: 単行本

私も、亡くなってから方々の記事で知った歌人だ。1946年生まれ。高校生の時代から、朝日歌壇に投稿している。エッセイは、予想に反し、85年頃から家族4人、ワシントン近くで暮らしていた文章が中心。京都新聞にアメリカから連載していた。息子さんのことが多く語られている。
【さて、授業が始まると、いよいよみんなよくしゃべること。だれかが発言するたびに、すかさずシャレが飛び、合いの手が入り、まぜっ返す者がある。】
日本の学校の授業ではこんなことないのだろう。こういうのが本当の授業だと思う。
…短いエッセイの集まり、様子が目に浮かびやすい。きどっていなくて、それでいて流れる文体。
【日本に居ても人並みより背の低い私。(~アメリカの生活で)様ざまな人種の人間が混沌と暮らしている中では、お互いの身体的差異は圧倒的だった。細かいことにこだわっている暇はない。~小さな身体は、くっきりと、これはこれで私のもの、という「私」としての個を感じてもいた。】
アメリカに、憧れるのはこういうところだ。見た目にもいろいろな人がいるから、小さいことにいちいちかまってはいられない。いい意味でも悪い意味でもやはり自由な国、、、。

【子供時代が終わり、少女期が過ぎ、大人になってからも、ずっと私はひとり遊びの世界の住人だった。何かひとつのことに熱中し、心の力を傾けていないと、自分が不安で落ち着かなかった。~歌作りの現場は、意志と体力と集中力が勝負である。~しかし一首のために幾晩徹夜して励んだとしても、よそ目には遊びとしか見えないだろう。然り、と私は答えよう。一見役に立たないもの、無駄なもの、何でもないものの中に価値を見つけ出しそれに熱中する。ひとり遊びの本領である。】

子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
ふたりのお子さんは、もうりっぱな大人になられ(長女「紅」(こう)さんの名前がまたステキ)、お孫さんのひとりが河野さんの死のあと、歌をつくりはじめたそうだ(あとがきは夫による)。
図書館予約はだいぶ待った。手元に同じようにようやく来た他書に追われ(まだまだこの本も待っている人がいる)、急いで読んだが、出会えてよかった。さわやかな余韻が残っている。
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