SSブログ
田中一村を訪ねて・奄美大島へ ブログトップ
前の15件 | -

日本のゴーギャン 田中一村伝 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

日本のゴーギャン 田中一村伝 (小学館文庫)

日本のゴーギャン 田中一村伝 (小学館文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1999/05
  • メディア: 文庫

奄美の一村美術館で購入し、読むのが今になった。読了し、ますます一村が魅力的になった。
一村は、絵の才能はあっても、最後まで裕福にはほど遠かった。勤め人にならず、商業画家にもならず。
満足のいく絵を生み出すために、紬職人として5年働いて、3年間絵だけを描き…などだった。
【この軌道を進むことは、絶対に素人の趣味なんかに妥協せず、自分の良心が満足するまで、練り抜くことです。】
【いざそれより外に、生きて行く道がなくなった場合は、やりますが、その後で再び画の世界へ戻ることはできない様に思われます。】
【(売れる絵を描くということは)素人にわかり易い妥協した絵をかくことになります。これは退歩であり、怠けたことになります。】
人物を描くことをしなかった一村だが、肖像画をかくアルバイトが思わぬ副収入となったことはある。気品があり、精細な筆づかいで的確に故人(家族の希望で古い写真をもとに)の人となりを表現した。どんな手間がかかっても、三千円を上回ることはなく、無料でかくことさえあった。
【昭和52年9月、だれにも見とられなかったが、奄美の豊かな自然に抱きとられていったような、きれいな最期だった。】
享年69歳。ずっと自分を支えてくれ、独身で通した姉に遠慮もあり、まとまりかけた縁談もあったが、一村も生涯ひとりの生活を選んだ。
…なんといっても、まずは一村の画風が好きだ。和と洋の要素がどちらも感じられ、そのコントラストがよい、と思うものに、私は惹かれる。
nice!(0) 

お年玉袋&カレンダー&年賀状 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

SH3L01700001.jpg
あけましておめでとうございます。大人になったのか、体力がついたのか、Ayuは♪紅白も全部見、そのあと民放で井上芳雄クンがカウントダウン明けに、ウエストサイド~を唄っていたのでラッキー!と聴き、「年のはじめはさだまさし」は録画セットしていたので開始のところだけ確認、TVを消し、ようやく眠りについた母娘でした。
【2人の姪と、Ayuへのお年玉袋。←「社会人」だからもう要らないんだけどね。】
111229_1402~010002.jpg
奄美大島「田中一村美術館」でGetしてきたカレンダーです。売店の人が「今回は有名どころ(一村の絵の中でも)ですよ」と言っていました。仮にマイナーな絵でも私は歓迎ですが。毎年欲しいなぁ。
【一村のグッズはそんじょそこらでは売っていないのです《だから良い!のですがね》。管理(版権?)は「日曜美術館」で一気に有名になったからでしょう、NHK関連会社が一括しています。一村の絵をラベルにしているのは、1社の酒メーカーのみ(奄美でも出会えませんでした)、“大島紬”にその絵を再現しているのは、私たちが最後に奄美で食事したホテルが設けていた「大島紬美術館」を運営しているその紬会社のみ(一村は晩年「魚」をよく描いたのですが、その魚を提供した魚屋の息子が今の社長云々…との縁で)だそうです。その3社のみ使用許可です。(絵葉書等のグッズは、奄美空港などである程度販売しています。)】

年賀状は、私とAyu分で、親戚宛て含め年内に49枚投函、元旦にたくさん頂戴し、また出しますが、「今後も計60枚以内」と思っています。荷物も、人付き合いも、スリムに&濃くを目指します。
喪中はがきが毎年増えます。Ayuの小学校介助員だった先生は、震災で姪御さんをはじめ故郷岩手で8名の親戚を失ったとあり、言葉をなくしました。ほかにも家族が石巻で被災されたお知らせがあり、今さらですが被害の大きさを痛感しました。私の近くにも、福島から住み移っている方が多数いるようで(申し訳ないのですがよく知りませんでした。こういうことは公の機関もあえて公表しないのか、ちょっと疑問も感じています)、たぶん同じスーパーで毎日たくさんすれ違っていると思われます。
寒い冬に、住み慣れた土地&家で過ごせていることをもっとありがたく思わなければ。
nice!(1) 

帰途につく [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

奄美空港。これは私たちが乗った羽田直行便ではない、小型機です。
ここで一応解散。
また会えましたら…と、最後まで名を名乗る必要もなく、自己紹介もなく、でも共通の思い出ができたみなさんとさよなら。。。

さて、実は、行きの手荷物でヒヤッ~!がありました。
「ナイフのようなものがありますね」
大切な先輩からずっと前にいただいた、スイス土産の携帯ミニナイフ等が反応したのです。
処分するつもりはなかったので、機内に預ける荷物の中に入れて、事なきとなりました。
もちろん帰りは、それと同じ方法で問題なく通過。
また、国内飛行なら飲み物持ち込み可ですが、封を一度あけたペットボトルなどは臭いチェックまでされます。ひと目でわかるよう封を切らないでおくのが賢明。
みなさま、ご注意を。

Ayu、羽田到着~♪

これで奄美旅日記は終わりです。
後日談はまた書く、でしょう・笑。
2011-11-29T18_12_40-6dc5b.jpg
SH3L0144.jpg
nice!(0) 

きょうも自然散策 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

このツアーは、主に奄美の自然に出会うものであり、私の一番狙いの、画家・田中一村は、隠れた方のテーマとなっています(でも、碑&美術館&居住地の3つを網羅しているのだからスゴい)。
まぁ、その自然を描いた一村、であるわけですが。

ひとり参加のご婦人に「(カメラ)撮りますよー、いつでも言ってくださいね」と声かけましたが、「いいのー、わたし植物だけ撮るから」。
こんな方たちばかりでしたー。
私とAyuは甘えて、添乗員さんらに2人揃ったショットを何度もお願いしました。
2011-11-29T17_32_07-d637a.jpg2011-11-29T17_32_08-f1e25.jpg
SH3L0143.jpg
【西郷隆盛と奥さんの住まい・右上】
【最後の食事、洋食ランチ(旅行中、食事の写真は全部撮っていたのですが、ここはコース風だったため一度にテーブルに並ばずすっかり忘れてしまいました:ここはもう空港に近いホテル)をいただいたロビーの、複製・一村の絵たちの前で・左上】
《ここは「大島紬美術館」もあり、初めてその生地に触れました。ツルツルで、表裏がなく、まったくの想像外の肌触りでした。最高級は2000万円も。》
nice!(0) 

最終3晩目の部屋が一番! [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

島の踊りをおそわりながら見よう見まねで舞いました。いい運動でした。

初日と同じ宿です。参加者の部屋に差が出ないよう(移動のマイクロバス座席も)、添乗員さんはくるくると連日交換して配慮してくれます。この日は広かった。小スイート並みでは。
どなたかは初日にこちら、だったのでしょう。
2011-11-29T08_34_52-5d4ce.jpg2011-11-29T08_34_53-f8d63.jpg
2011-11-29T08_34_53-f25af.jpg
nice!(0) 

マングローブの森&亜熱帯原生林 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

「子どもに戻って裸足になってください」 ネイチャーガイドにしたがって、久しぶりに泥に素足をおろしました。
Ayu「きもちいい~」

日本に居ながら亜熱帯植物に触れあえました。
SH3L01020001.jpgSH3L01040001.jpgSH3L01120001.jpg

nice!(0) 
共通テーマ:moblog

加計呂麻島へ [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

加計呂麻島まで、海上タクシー(小船)で10分足らず。
ガジュマルの木。
作家・島尾敏雄の碑(「死の棘」、挑戦しようと思ったが長く難しい?ようでパス状態)。
2011-11-26T08_41_48-fcae0.jpg2011-11-26T08_41_48-8f13b.jpg
2011-11-26T08_41_48-6edfe.jpg
nice!(0) 

田中一村の絵 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

ホテルからの朝の景色。一村の絵も飾ってありました。
初めてバイキング式の朝食。Ayuにとっては量を調節できるので好都合♪
2011-11-26T06_36_49-ffd30.jpg2011-11-26T06_36_50-80c73.jpg
SH3L00830001.jpg
nice!(0) 

五衛門風呂 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

2日目の宿。
五衛門風呂は気持ちよかった。また入りにきたいなぁ。
奄美焼酎がズラリ。一滴も飲みませんでしたが。
2011-11-26T06_21_32-e78d7.jpg
2011-11-26T06_21_33-36eea.jpg2011-11-26T06_21_33-d3aa6.jpg
nice!(0) 

ボードウォークで散策 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

奄美で一番高い山・湯湾岳(ゆわんだけ:694m)の頂へ。
展望台のはしごにAyuもチャレンジ。こわごわと降りる時には、みなさんが(この写真の、登っている方たち)見守って応援してくれました~。
2011-11-25T05_36_26-66283.jpg2011-11-25T05_36_25-c9bf7.jpg
nice!(0) 

被害の爪跡 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

奄美はここのところ、水害続きです。昨年10月に豪雨があり、さらに今年8月、そして今月2日にあり。復興の矢先、3月の大震災発生で、優先順位が変わり、まだまだここかしこに崖崩れ跡が。
少人数なので、このマイクロバスで移動しています。
道が狭く、落ちてきた大きな石をどけなくては進めないところがあり、運転手・バスガイド・添乗員・奄美の観光ガイドさん総出で片付けてくださっているところ。
2011-11-25T05_33_58-64cf3.jpg2011-11-25T05_33_58-7f1cb.jpg
2011-11-25T05_33_58-0b377.jpg
nice!(0) 

田中一村居住跡 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

栃木生まれの一村は、晩年の19年間を奄美で過ごし、作品を大成させました。
なぜこの地を選んだかは謎なのだそうですが、一部の説として、あの山下清が立ち寄った?施設があり(山下氏の作品が所蔵されている・その障害者施設ヨコを通過)、その画風に憧れたから、があるそうです。
奄美のハンセン病施設を間借りして生活していたことでも一村は有名です。
昭和52年、69歳の時、この住まいで亡くなりました。そんなに昔の人ではないのです。
周囲には、一村ゆかりの植物も集められていました。
2011-11-25T05_29_26-9fccf.jpg2011-11-25T05_29_26-16290.jpg
nice!(0) 

1&3日目の宿 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

また最後の泊まりもここ、になります。一部荷物は預けました。
部屋からのview&室内。
気温は平年23度くらいのところ、東京並みの19度、風が冷たい2日目スタートとなりました。上着必需。
時間経つごとに曇りから見事晴れに。
2011-11-25T05_22_39-62289.jpg2011-11-25T05_22_39-c2cfe.jpg
2011-11-25T05_22_39-2eb21.jpg
nice!(0) 

♪奄美島唄 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

1日目の晩ごはん「黒豚しゃぶしゃぶ」。
奄美島唄♪、の演奏も。

東京から1,300㎞離れている奄美は、夕方5時半でも明るかったです(その分朝も遅い)。
SH3L00260001.jpgSH3L00280001.jpgSH3L00250001.jpg

nice!(0) 

あやまり岬、そして田中一村美術館 [田中一村を訪ねて・奄美大島へ]

添乗員ありコース。私たち含め12名参加。本当は13名でようやく成立なはず・笑。おひとり参加も、うち4名いらっしゃいます。すべて初老の、私の親世代ちょっと下?くらいです。
【あやまり岬、とは「綾の毬」から。】
その中の方、とAyu。
この方向ではありませんが、喜界島まで見えました。

衿念願の「田中一村美術館」。誰ひとりいない空間で(Ayuは一緒ですが~)、一村の絵とむかいあうことが出来、至福の時間でした。
SH3L00170001.jpgSH3L00240001.jpg

nice!(0) 
前の15件 | - 田中一村を訪ねて・奄美大島へ ブログトップ