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桜花の記憶ー河野裕子(かわのゆうこ)エッセイコレクション 2 [河野裕子(かわの・ゆうこ)さんと家族]

桜花の記憶 河野裕子エッセイ・コレクション

桜花の記憶 河野裕子エッセイ・コレクション

  • 作者: 河野裕子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: Kindle版

やはりすてきな一冊だった。歌だけでなく、随筆も素晴らしい。
27歳から亡くなる64歳までの文章と幅広いのだが、うまい具合に収録されている。
【子供たちがまだずっと小さかった頃、大学の研究生活に戻りはしたものの、亭主は無給で、生活が不安定だった~(略)大きな、強い、勢いのある歌を作ることによって、一日一日を渡り切ろうとしていた。(略)それらの歌は、なぜか好評だった。実際、私は亭主子供を蹴っ飛ばしてもいたのだが、体と体でぶつかりあえる家族という関係の、素手でさわれるところが、好きなのだった。】

【《長女・紅さんの》結婚式の翌日、紅(こう)がちょっとした用事があってやってきた。その少しあとに永田が帰ってきて、え?何、今帰った?それじゃあ電話してみるか、と受話器をとりあげたのをみて呆れた。あなた紅は人妻なんですよ、父親はおとなしくしていらっしゃい。もう保護者じゃないんだから、おせっかいはあきませんよと母親のわたしは言う。(略)父親としても、母親としてもお役目が終わりましたねと言うと、夫は寂しくも安らかな表情で頷いた。わたしも同じ表情をしていたことと思う。】
この時、著者の命はあとわずかであった。
【(略)体を病んでいても、歌は健やかな歌を作りたい。(略)病気をしていても健やかであり続けることは、大きな広い場につづく道があることを約束している予感が、しきりにする。】
【(略)食べたいという指令を出すのだが、舌と消化器官が働かない。何を食べようとしても一口で箸を置いてしまう。おいしく食べられるということは人生の半分くらいの楽しみだったんだなあと、しみじみ思う。】

【たんぽぽのぽぽのあたりをそつと撫で入り日は小さきひかりを収(しま)ふ】

年齢七掛け説』。近ごろはそう言う、とあった。だれもが自分の客観的年齢と、実感年齢のズレを感じていると。これ、いい得ているのではないか。私もこれで計算するとまだまだこれからだ♪
【人間はだれも、生きている間は人生からおりることはできない。毎日毎日が、現役なのである。】

津島佑子さんには2カ所で触れていた。重なる思いがあったらしい。
河野さんも津島さんも、男前な女の人。ちゃんと言うことは言う強い人だったと。

幼い時の話もいい《息子・淳さんの本にもあった》。世代は違うが、この人のふるさとの様子は私自身の小さい頃の記憶を呼び起こしてくれる。淡々とした語り口なのだがやはり上手いのだと思う。