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2月&3月 [振り返る&迎える]

≪振り返る2月≫
映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」鑑賞☆☆☆☆☆・チェコ一等書記官の講演を聴く☆☆☆☆・Ayu勤務先見学☆☆☆☆・Ayu血液検査異常なし☆☆☆☆・東京マラソン観戦☆☆☆☆・2月ラストに雪★★☆・Ayuしもやけで皮膚科(先月に続き2度目)にかかる★★★

≪迎える3月≫
Ayu余暇ダンス今年度ラスト・Ayu職場グループ全体懇親会(前・後期で一度ずつ)・シーズン前の東京ドーム野球観戦・Ayu職場面談(年度末に・更新確認みたいなものだと思われる)etc…

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日常に追われ、また図書館予約本が一気にどんどん用意され(時々そういう波がくる・苦笑)、まめに更新できなくて反省。
Ayuが働きはじめてまもなく丸一年。有休をとってまでは、、、!?と見学したい気持ちはあるのに先延ばしにしており、ようやく(どなたか同じ保護者を誘って…と思っていたが実際合わせるのも難しい)平日午前中の用事を済ませたあと、単独で覗いてきました。結果、これでよかった☆
その親だけだからこそ、聞ける話もありますし。
あらためて、清潔な職場で、いまどきの音楽をかけながら穏やかに作業を進めていること等々の様子がわかり、このタイミングででもとにかく行けてよかったと。正確に報告がすべて伝わる子ではないので、時々挨拶がてらまた職場見学は必要ね、と思いました。
帰りの会でみなでお茶を入れていただくのですが、そのコーヒーの量が多いのにびっくり。利尿作用が強い飲み物ですし、寒い中バスを長く待つことも多いので、極力少なくするようお願いしてきました。こういう毎日の流れの中での小さなことが一番知りたかったのでした。
また、寒い冬のせいか?、歩くスピードや行動全体が遅くなってきていると家庭で感じていて(先方も同じように気にかけており、でもそれが職場に限ったことでなく、おうちでもそうならばそれはそれで安心しました、とおっしゃっていただきました)、まれに甲状腺機能低下が原因のこともあるという情報を得て、さっそく近所の新しい内科医で、この際だからと血液検査でわかることを細かく調べてもらいました。結果、多少低下ぎみはあるが、「お母さんくらいの年齢の女性なら(爆!)普通によくある数値で、薬を出すほどではないですよ。ほかも問題なし。行動の遅さがそのまま続くようなら、半年や一年のスパンでまた検査にきてみてください」とのこと。幼いダウン症児に多い白血病の疑いなどもまずないとのこと(貧血度など皆無、私よりずっと健康値でした!)。
ひと安心はしましたが、全面的に問題解決というわけではないので…。いろいろ年齢的なこともあるのかなぁ~。ただの「通る道(通過点)」であるとよいのですが。
1つ1つ納得して進みたい性格が強くなってきたのか。ますます自分のペースを守りたいのかなぁ。まぁ、しかたないのかな~。
日常に大きな差し支えは、なし。「早くしなさい!」といつも叫んでいる親に、わざと反抗しているふしもあるような、ないような?!?
そうそう、Ayuこの冬は左手のしもやけが発生(初めて)、弱い薬では変化なく、その上にまた塗る薬(職場では生地丸め作業でなく、販売担当に多くまわるよう、加減もしてくれています)と、ビタミンE補充の飲み薬(末梢循環障害回復のため・手足の冷たさがある)も皮膚科で出してもらいました。あたたかくなると自然とよくなるはずだそうですが。
そういう意味でも、本格的な春が待ち遠しい、です。
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雪:休ませました

Ayu、往きは大丈夫でも帰りが心配(バス来ない、道滑る)、迷わず今回は休ませました。
私はかなり早めに家を出たものの、見事にいつも利用の地下鉄が途中から各駅に3分以上止まるようになり、路線を慌てて乗り換え、始業5分前にすべりこみました。
ほんとうにもろい、です。
雪かきしていない日陰の凍結が、明日以降も心配。
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第6回東京マラソン

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恒例の東京マラソン、1時間ほど家族そろって沿道観戦しました。
今年は初めてケータイのワンセグ機能があり、TV放送で途中経過を確認しつつ、で便利ではありました。
TOPを待ち構えている時(速い車椅子選手は既に通過~)、隣りのおじさんに「川内くんはどうだ?」と聞かれ、「遅れたみたいですよ-」と伝えるとがっかりしてました(笑)。じきに走り抜けていきましたが。これは、まさに一瞬の出来事です。
しかし、見事だったゴールのデッドヒートは、全体の流れと共にちゃんとナマで見ていなかったワケで、じっと家でTV見ていた方が、そのマラソン自体の把握は出来ます。難しいところです。
強い人の走りを直接見たいのだけれど、次回は大量の一般ランナー(仮装の参加者が多くなってから?)が通り過ぎる時間帯から応援に出ようか、、、とも。
でも、はやる心を抑えるのが無理かなー!?
トップアスリートの脚の筋肉は素敵です。あの肉体、瞬間だけでも見る価値あるよなー、やっぱり。
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光が見えた

ここ10日ばかり、いろいろありました。Ayuの職場見学をしたりetc…。また書きます。
仕事中に、不謹慎かもしれませんが、ふっと考えをめぐらせ、実行できたらと思ったら、光がさし、気持ちが急に明るくなりました。
心の中に“近い目標がある”ということは、よい。
【ペイネのチョコレート】
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カーネーション 2 [テレビ]

楽しみにしていたのに、本日、周防さん役のスタジオパーク出演は見事国会中継で流れてしまいました。延期して、放送してくれればよいのですが、出演自体がおじゃんかもしれません。是非ともお願いしたい!

ところで、ヒロイン尾野さんは、長女役と実年齢、逆転しているのでは?(笑)。《←同じ1981年生まれだったようです:後日確認。》
最近、サザエさんにしか見えません。
 ↓
【朗報】
綾野剛さん3月1日(木)放送予定です。よかった~☆
また、こちらもボツになっていた、ほっしゃん。は、月曜20日に録画でオンエアです。
29日はヒロイン尾野さんも予定されています。
…私は晩年のヒロイン交代、もちろん反対派です。どうなるのかなー。
老けメイクも、彼女なら絶対OKと思うし。。。
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クールダウン [Ayuの余暇]

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ダンス2時間の最後10分程は、ヒーリング音楽に合わせてストレッチ。クールダウンです。
今年度役員の私も、来月でお役目終了(5月まで引継ぎ処理がありますが)。
6月からは、Ayuたちと一緒にしっかりダンスに参加するつもり。まずは形からと、自分用のジャージ上下を買いました。年齢のせいか、つい“ピンク”に走りがち(憧れ?)。
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2012年度4月はじまり手帳 [かいもの]

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前回に続き、「LOCONIC:A5マンスリー手帳」です(¥1,050也)。今回も表紙に透明ポケット付きを探していたのですが、色のキツめなものしか店頭になく、こちらに。中味は同じです。ちょっと変化も欲しましたが、いいなと思った仲間のA6判はやはり小さめ(もう眼にツラい)&巻末の白紙が余計で、これに落ち着きました。
全体にビニールカヴァーがついているので、“図書館カレンダー&Ayuピアノレッスン年間予定表”もそこに挟めばほぼ今まで通り使えるでしょう。
このパターンで、2年連用手帳があったら先の予定が見通せて便利なのに~!と考えたのですが、それでは分厚くなってしまい結局No!かな!?
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ALWAYS三丁目の夕日’64 3D [Movie]

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今回、主題歌がすてきだなぁ♪と思っていて、通常版と迷ったのですが、3DでAyuと観てきました。
当たりです! 最初の東京タワーの俯瞰だけでも3Dで見る価値あり、です。
東京オリンピックからほぼ一年後にうまれた私、当時の記憶はないわけですが、それでもああこれあった、というシーンがここかしこでした。
1、2は、TV放映でのカット版&CMで細切れ…をさらーっとしか見ていなかったのですが、十分楽しめました。鈴木オートの男の子はあんなに大きくなっちゃったのですね。小さい時、かわいかったなぁ~。
堤さんは、本当はあんなパッチ姿は似合わないのに、と思いながらも、あの夫婦の組み合わせでなきゃもうダメね。
文句なしで、どなたにもおすすめ。
言いたくないけれど、ちょっと昔はよかった…。たまにはベタに浸ってもよいでしょう。
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スタジオパークからこんにちは [テレビ]

『あさイチ』と≪4月からナマで「よるイチ」始まるらしいですね。略す言い方は好きではないですが(苦笑)。私はイノッチのスタイルのよさとファッションが結構好み・トーク運びもね☆≫、『スタジオパークからこんにちは』は、話題・出演者によって、録画チェックしてます。
『あさイチ』、10日(金)はカーネーションのヒロイン尾野真千子さんですよ。
『スタジオパークからこんにちは』は、少し先ですが、とうとう17日(金)、“周防さん”(綾野剛さん)です。今思うと、あれはかっこいい役すぎましたね。あんな得なポジションないワ。

と、ここまで私がよく寄らせてもらっている朝ドラフリークさんのサイトから情報入手したのですが、発見しました、15日(水)は金澤翔子さんです。『平清盛』の題字作者、です(あれ、ちょっとNHKはコンパクトにしすぎじゃない?と思ってます。もうちょっと自然に拡大&迫力出して欲しかった!)。
金澤さんは、ダウン症の障害がありますが、書家としての活躍、めざましいですね。
それも素晴らしいのですが、私は彼女が、お母さまとやられている書道教室で、一般のお子さんたちに手を添えて指導している姿がなによりもなによりも好きです。
→『スタパ』は、国会中継で予定が変更されることが多く要注意ですが、みなさんもお楽しみに☆
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私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として [よんでみました]

私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として

私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として

  • 作者: 蓮池 透
  • 出版社/メーカー: かもがわ出版
  • 発売日: 2011/09/22
  • メディア: 単行本

拉致被害者の兄でもある著者は、東京電力にお勤めだったことをどこかで知り、では柏崎刈羽原発だったのでしょうと思い込んでいたら、地元勤務は一度もなかったそうです。2009年夏に退社されています。言い方が悪いかもしれませんが、時期としてはよかったということでしょう。そして今、関連会社に所属しているわけでもないので、この刊行があります。
トータルで32年間東電に勤めたなかで、5年半ほど福島第一原発、残りの26, 7年が本店、あるいは本店付の電力中央研究所、日本原燃などで、どちらかというと東京勤務が多かったそうです。
詳しい原発のしくみは私にはもちろんわかりません。ただ、おそろしく付箋がついた本です。いろいろと書き抜きたいのですが、莫大な量、そしてまだまだ予約者待ちの本なので、早く返却せねば。
(【 】内はいつものように引用です。)
【~私は2年前に東電を退職して縁を切りました。第三者的な観点といいますか、客観的に今度の事故を捉えて、自分の考えを発信したいという気持ちでいます。なぜかというと、国や東電の記者会見などでの発表を見ていると、事務的で、あまりにも抑揚のない発言が多いことが大変気になるからです。感情を出して発言しろとは言わないのですが、聞いている人にはまったくわかりません。これでは何も伝わらないのではないかという気がするのです。~】

著者は(福島)原発で実際に働いていた専門家です。
【私はいま、原発はいずれ自滅する、あるいはフェイドアウト(徐々に終わらせる)しかないと考えています。そう考えるに到った理由を、お話したいと思います。】
…で本文は続いていきます。
「“節電”は反対」、とはっきり書いています。節電で、たとえば老人が夏の暑さにやられては元も子もない。ネオンのない銀座でどうする。少しずつ、少しずつ、原子力は終わらせていく、それが一番の形だと。
5年半の福島第一原発勤務で合計して約100ミリシーベルト被曝しているそうです。東電社員のなかでも多い方。

1955年生まれ。東京理科大学電気工学科卒業。原子燃料サイクル部部長などを歴任。97年から2005年まで北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長、その後副代表。
東電は、自らの志望であったわけではなく、音楽好きだったのでレコード会社にいきたかったが、ひどい就職氷河期だった。父親の「東電受けたみたら」の一言で、とんとん進んだそうです。親としては、大学で東京に出てしまった長男がいつか地元の柏崎勤務となり、戻ってくれたら、があったようです。
「原発ってうさんくさいな」(詳しい訳はすみません、省略)が当時あったが(略)。消極的な入社だったので「“東京電力”だから東京にいたいな」くらいのことしか思っていなかった…。
【研究所といっても名ばかりで、自分の手で研究するわけでなく、すべて外注で、メーカーや研究所に委託研究するのです。せいぜい共同研究です。】
【私は隠蔽体質というより、簡単にいうと独占企業の奢りの体質があるのだと思います。】
【では東電は変われるか、どう変わるべきかということですが、私は東電だからあの事故が起きたとは言えないと思っています。東電を擁護するということではなくて、どの電力会社でも起き得たということです。なぜなら、体質からいって電力会社がほぼ似たり寄ったりだからです。】
【~あれを防ごうと思えばできたはずです。電源設備をもう少し高いところに置くとか、いくら津波が来てもすべて防ぐような要塞みたいなガチガチのプラントをつくれば、今回は耐えたはずです。~ただ、そのためにはお金がかかるのです。そこの問題なのです。電力会社は一応株式会社ですから、利潤を追求するわけです。だからどうしても安全とコストの綱引きが絶対にあるのです。】
お金儲けをしなくていい、どんどんお金を使っていいというのなら、何重にもしたり、ドームのなかに入れてしまうことも技術的には可能なのだそうです。
だから安全、なわけではないのですが。

【私は「このままいけば原発は自滅するな」と在職中から思っていました。最終処分場をつくって初めて軽水炉の核燃料サイクルは完結するわけですが、「サイクルができていないなかで原発を精力的につくってよいのか」という疑問は、核燃料サイクルの仕事に携わって、現実がわかってきて初めて感じるようになりました。原発をどんどんつくるよりは、まず核燃料サイクルをきちんと完結させることが大切だろうと思ったのです。】
被曝、は大人と比べると確実に子どもに対して大きい、とも。被害の大きかった地域の方から移住した方がよいか聞かれる時、子どもを守るのなら迷わずYesと答えているそうです。  
【今回の事故で、シーベルトとかベクレルとは何かということが話題になりましたが、日本は被爆国の割にあまりにも放射線についての知識が普及していないと思います。フランスなどはもっと教育が行き届いていて~政府の責任のもとに一般の人たちへの啓発運動のようなことをやっています。】
その通りでしょう。《別問題ですが、私は「年金教育」も国でちゃんとすべきと思います。学生時代、そんなことほんと知りませんでしたから。大人になってからのことなんて考えない。一本化&改革決定してからやるつもり?いつになる?どちらにしても小学生からでもやってね、そうしたら将来の加入者は増えるのでない??》

【~そういうところに原子力発電所が来て、地元にお金が落ちて、多少なりとも潤ったのです。~原発の立地地域の問題は、米軍基地を抱える地域と似たところがあります。米軍基地の地元の人たちは大変なリスクを背負っているわけですが、かといって日本人は米軍基地があることでの便益を、漠然として「国防」とか「抑止力」と意識する人はいたにしても、ほとんど具体的に実感することはありません。同様に原発についても、地元の人はリスクを負っていて、首都圏の人にはそれなりのメリットがあるわけですが、それへの自覚がないのです。私の新潟の母親がよく言うのです。「おっかない原発があって、できた電気はみんな東京に行っているのだから。東京の人間が一回でもご迷惑をおかけしますと来たことがあるか」と。地元の人間はそういうふうに思っています。】
思いはここまで私は至っていなかった。地元の人は、そうなのだ。それが本音なのだろう…。
考えさせられる。

【日本原燃に出向した後、東電本店原子燃料サイクル部に戻ったのですが、「お前は拉致問題での活動が大変だから、そこに座っていろ」と、窓際に置かれました。名前だけ部長などとつけられていましたが、無言のプレッシャーがありました。~日本原燃にいるときは、所帯が小さく、「頑張れよ」とか、「昨日のテレビの発言はよかったですよ」などという反響があったのですが、東電に戻ると、テレビやラジオに出ても無反応になってしまい一切無視。それに触れるのはタブーのようになってしまいました。それがまた怖いようなプレッシャーになってしまい、とてもやりにくかったです。
東電には早期定年退職選択制度があり、私が55歳のときにその制度が終わる年度だったのです。それを選択すると多少の退職金の上乗せがあるのですが、居場所もないし、居づらいし、かえって迷惑がかかるのだったら、いっそのこと辞めてしまえと思って、自分で選びました。その代わり「東電とはいっさい縁を切れ」と言われました。普通なら55歳から57歳になると、東電に残るか、関連会社に転籍するか等、選択しなければいけないのです。
私の場合、早期定年選択ですから、東電関連会社には一切行きませんという誓約書を書いて、2009年6月いっぱいで辞めたのです。それが「縁を切る」ことなのです。
実際に東電と縁を切ってみると、すっきりしました。そうでなければいまこんなことを言っていられません。OBはみな「愛社精神」が旺盛で、事故後も一切口をつぐんでいます。同期で東電に入社した人たちの間でメールのやりとりがあります。ほとんど関連会社に行っていますので、その会社が事故以降整理されるとか、そうなったらどうしようというメールが行き交っています。】

最後に、拉致問題についてもありました。
【本当は国がやってくれないのだったら、われわれが助けに行くぐらいの気持ちで、家族会が乗り込むぐらいのことをやってもいいと思うのです。セキュリティが心配だから国が守ってほしいと要望して、行けばいいのです。
でも家族会は、「われわれは絶対に訪朝しない」と言っている。向こうに行っても言い含められて帰ってくるだけだというのが理由です。~日本に帰ってきて、彼らはこう言っていたけれども何も確認できませんでしたと言えばいいわけです。それだけでも大きなメッセージになるわけです。家族会が直談判に行ったということなら、それはけっこうアピールできると思うのです。
~私は家族会を除名された身分ですので、なかなか言えないのです。~】
難しい問題です。今、国にお願いしても、優先順位筆頭にはなってくれないだろう、すぐに動いてはくれないだろう、が私たち市民の感覚です。でもそれはそれ、これはこれ、です。
国として手はないの、と思うばかりです。
《私は、以前新潟市に約2年おりました。横田めぐみさんが拉致されたとされる付近でAyuを海水浴させたこともあります。お父さまの赴任先の会社前もよく通り過ぎていました。
東京に戻り、ほどなくこれらの拉致問題が初めて明らかになり、あああの場所だったのだと結びつくようになりました。めぐみさんと私は歳も近いですし、突然いなくなった当時中学生のお嬢さんを持つ、特にお母さまの心情をときどき考えます。。。》
…長くなりましたが、この本の著者は、こうして何もわからない読者に原発の説明をしてくれています。早期退職した意味は大きい、ということでしょう。
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