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私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として [よんでみました]

私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として

私が愛した東京電力―福島第一原発の保守管理者として

  • 作者: 蓮池 透
  • 出版社/メーカー: かもがわ出版
  • 発売日: 2011/09/22
  • メディア: 単行本

拉致被害者の兄でもある著者は、東京電力にお勤めだったことをどこかで知り、では柏崎刈羽原発だったのでしょうと思い込んでいたら、地元勤務は一度もなかったそうです。2009年夏に退社されています。言い方が悪いかもしれませんが、時期としてはよかったということでしょう。そして今、関連会社に所属しているわけでもないので、この刊行があります。
トータルで32年間東電に勤めたなかで、5年半ほど福島第一原発、残りの26, 7年が本店、あるいは本店付の電力中央研究所、日本原燃などで、どちらかというと東京勤務が多かったそうです。
詳しい原発のしくみは私にはもちろんわかりません。ただ、おそろしく付箋がついた本です。いろいろと書き抜きたいのですが、莫大な量、そしてまだまだ予約者待ちの本なので、早く返却せねば。
(【 】内はいつものように引用です。)
【~私は2年前に東電を退職して縁を切りました。第三者的な観点といいますか、客観的に今度の事故を捉えて、自分の考えを発信したいという気持ちでいます。なぜかというと、国や東電の記者会見などでの発表を見ていると、事務的で、あまりにも抑揚のない発言が多いことが大変気になるからです。感情を出して発言しろとは言わないのですが、聞いている人にはまったくわかりません。これでは何も伝わらないのではないかという気がするのです。~】

著者は(福島)原発で実際に働いていた専門家です。
【私はいま、原発はいずれ自滅する、あるいはフェイドアウト(徐々に終わらせる)しかないと考えています。そう考えるに到った理由を、お話したいと思います。】
…で本文は続いていきます。
「“節電”は反対」、とはっきり書いています。節電で、たとえば老人が夏の暑さにやられては元も子もない。ネオンのない銀座でどうする。少しずつ、少しずつ、原子力は終わらせていく、それが一番の形だと。
5年半の福島第一原発勤務で合計して約100ミリシーベルト被曝しているそうです。東電社員のなかでも多い方。

1955年生まれ。東京理科大学電気工学科卒業。原子燃料サイクル部部長などを歴任。97年から2005年まで北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長、その後副代表。
東電は、自らの志望であったわけではなく、音楽好きだったのでレコード会社にいきたかったが、ひどい就職氷河期だった。父親の「東電受けたみたら」の一言で、とんとん進んだそうです。親としては、大学で東京に出てしまった長男がいつか地元の柏崎勤務となり、戻ってくれたら、があったようです。
「原発ってうさんくさいな」(詳しい訳はすみません、省略)が当時あったが(略)。消極的な入社だったので「“東京電力”だから東京にいたいな」くらいのことしか思っていなかった…。
【研究所といっても名ばかりで、自分の手で研究するわけでなく、すべて外注で、メーカーや研究所に委託研究するのです。せいぜい共同研究です。】
【私は隠蔽体質というより、簡単にいうと独占企業の奢りの体質があるのだと思います。】
【では東電は変われるか、どう変わるべきかということですが、私は東電だからあの事故が起きたとは言えないと思っています。東電を擁護するということではなくて、どの電力会社でも起き得たということです。なぜなら、体質からいって電力会社がほぼ似たり寄ったりだからです。】
【~あれを防ごうと思えばできたはずです。電源設備をもう少し高いところに置くとか、いくら津波が来てもすべて防ぐような要塞みたいなガチガチのプラントをつくれば、今回は耐えたはずです。~ただ、そのためにはお金がかかるのです。そこの問題なのです。電力会社は一応株式会社ですから、利潤を追求するわけです。だからどうしても安全とコストの綱引きが絶対にあるのです。】
お金儲けをしなくていい、どんどんお金を使っていいというのなら、何重にもしたり、ドームのなかに入れてしまうことも技術的には可能なのだそうです。
だから安全、なわけではないのですが。

【私は「このままいけば原発は自滅するな」と在職中から思っていました。最終処分場をつくって初めて軽水炉の核燃料サイクルは完結するわけですが、「サイクルができていないなかで原発を精力的につくってよいのか」という疑問は、核燃料サイクルの仕事に携わって、現実がわかってきて初めて感じるようになりました。原発をどんどんつくるよりは、まず核燃料サイクルをきちんと完結させることが大切だろうと思ったのです。】
被曝、は大人と比べると確実に子どもに対して大きい、とも。被害の大きかった地域の方から移住した方がよいか聞かれる時、子どもを守るのなら迷わずYesと答えているそうです。  
【今回の事故で、シーベルトとかベクレルとは何かということが話題になりましたが、日本は被爆国の割にあまりにも放射線についての知識が普及していないと思います。フランスなどはもっと教育が行き届いていて~政府の責任のもとに一般の人たちへの啓発運動のようなことをやっています。】
その通りでしょう。《別問題ですが、私は「年金教育」も国でちゃんとすべきと思います。学生時代、そんなことほんと知りませんでしたから。大人になってからのことなんて考えない。一本化&改革決定してからやるつもり?いつになる?どちらにしても小学生からでもやってね、そうしたら将来の加入者は増えるのでない??》

【~そういうところに原子力発電所が来て、地元にお金が落ちて、多少なりとも潤ったのです。~原発の立地地域の問題は、米軍基地を抱える地域と似たところがあります。米軍基地の地元の人たちは大変なリスクを背負っているわけですが、かといって日本人は米軍基地があることでの便益を、漠然として「国防」とか「抑止力」と意識する人はいたにしても、ほとんど具体的に実感することはありません。同様に原発についても、地元の人はリスクを負っていて、首都圏の人にはそれなりのメリットがあるわけですが、それへの自覚がないのです。私の新潟の母親がよく言うのです。「おっかない原発があって、できた電気はみんな東京に行っているのだから。東京の人間が一回でもご迷惑をおかけしますと来たことがあるか」と。地元の人間はそういうふうに思っています。】
思いはここまで私は至っていなかった。地元の人は、そうなのだ。それが本音なのだろう…。
考えさせられる。

【日本原燃に出向した後、東電本店原子燃料サイクル部に戻ったのですが、「お前は拉致問題での活動が大変だから、そこに座っていろ」と、窓際に置かれました。名前だけ部長などとつけられていましたが、無言のプレッシャーがありました。~日本原燃にいるときは、所帯が小さく、「頑張れよ」とか、「昨日のテレビの発言はよかったですよ」などという反響があったのですが、東電に戻ると、テレビやラジオに出ても無反応になってしまい一切無視。それに触れるのはタブーのようになってしまいました。それがまた怖いようなプレッシャーになってしまい、とてもやりにくかったです。
東電には早期定年退職選択制度があり、私が55歳のときにその制度が終わる年度だったのです。それを選択すると多少の退職金の上乗せがあるのですが、居場所もないし、居づらいし、かえって迷惑がかかるのだったら、いっそのこと辞めてしまえと思って、自分で選びました。その代わり「東電とはいっさい縁を切れ」と言われました。普通なら55歳から57歳になると、東電に残るか、関連会社に転籍するか等、選択しなければいけないのです。
私の場合、早期定年選択ですから、東電関連会社には一切行きませんという誓約書を書いて、2009年6月いっぱいで辞めたのです。それが「縁を切る」ことなのです。
実際に東電と縁を切ってみると、すっきりしました。そうでなければいまこんなことを言っていられません。OBはみな「愛社精神」が旺盛で、事故後も一切口をつぐんでいます。同期で東電に入社した人たちの間でメールのやりとりがあります。ほとんど関連会社に行っていますので、その会社が事故以降整理されるとか、そうなったらどうしようというメールが行き交っています。】

最後に、拉致問題についてもありました。
【本当は国がやってくれないのだったら、われわれが助けに行くぐらいの気持ちで、家族会が乗り込むぐらいのことをやってもいいと思うのです。セキュリティが心配だから国が守ってほしいと要望して、行けばいいのです。
でも家族会は、「われわれは絶対に訪朝しない」と言っている。向こうに行っても言い含められて帰ってくるだけだというのが理由です。~日本に帰ってきて、彼らはこう言っていたけれども何も確認できませんでしたと言えばいいわけです。それだけでも大きなメッセージになるわけです。家族会が直談判に行ったということなら、それはけっこうアピールできると思うのです。
~私は家族会を除名された身分ですので、なかなか言えないのです。~】
難しい問題です。今、国にお願いしても、優先順位筆頭にはなってくれないだろう、すぐに動いてはくれないだろう、が私たち市民の感覚です。でもそれはそれ、これはこれ、です。
国として手はないの、と思うばかりです。
《私は、以前新潟市に約2年おりました。横田めぐみさんが拉致されたとされる付近でAyuを海水浴させたこともあります。お父さまの赴任先の会社前もよく通り過ぎていました。
東京に戻り、ほどなくこれらの拉致問題が初めて明らかになり、あああの場所だったのだと結びつくようになりました。めぐみさんと私は歳も近いですし、突然いなくなった当時中学生のお嬢さんを持つ、特にお母さまの心情をときどき考えます。。。》
…長くなりましたが、この本の著者は、こうして何もわからない読者に原発の説明をしてくれています。早期退職した意味は大きい、ということでしょう。
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