SSブログ

Yちゃん

Yちゃん。
新卒の職場で出会ってからもう35年でしょうか。日頃のメールや便りはもちろん、年に2、3回のペースで美術展や食事などを共にしてきました。

当時、同じ課(人文社会科学書担当)に配属されましたが、Yちゃんは一年経たずに事務職に異動。サービス業のため休暇サイクルは不安定。加えて、書店店頭の煩雑な勤務(バブル期の店頭は混みました…)に心身ともについていけず、早くから上司に相談していたことをあとで知りました。

月日が経ち、私はシングルとなって、転勤地の地方から娘を連れて東京の実家へ。保育園に預け、近所にパート勤めしながら、Yちゃんと時々会いました(その頃は私の両親も元気でAyuをみてもらえました)。まだまだ子育てに余裕がない私の、貴重な時間でした。

この移住後も、PCで交わすメールでは「今期はこのドラマがおもしろい」等々、たわいもない近況を報告しあってきました(『鎌倉殿の~』の記憶があるうちに会って話をしたいね~とYちゃんは言っていました)。私のblog、そして彼女のFacebook(友人のみ公開)は、お互い一字一句目を通してきました

近頃は、旅先の蓼科親湯温泉から彼女にハガキを。それを受けてYちゃんからはメールが、続いて私が久しぶりに封書の手紙を出しておりました。

今月上旬、YちゃんのFacebook更新のお知らせが自動メールで届いていましたので、G.W.にどこかへ出かけた報告かなーと気軽に寄ったところ、姪御さんによる文章が掲載されていました。
伯母であるYちゃんが数日前に突然死したというのです。同居だったYちゃんお母さまによると、おそらく苦しまず、そしてやすらかな顔であったと。
絶句。どうして。
YちゃんのFacebookには、4月末の外出についての記述がごく普通にありました。
Facebookに明記があったYちゃんの妹さんにとりいそぎメール連絡したところ、Yちゃんのお母さまが私にお電話したい旨の返信がありました。

ご両親にかける言葉は、まだ(永久に…かも)持ち合わせていません。なにより、あまりに突然のことで私自身が把握しきれていません。落ち着いたお話はできないでしょう。
《家族で既に済まされ、弔問、香典、供花は辞退されるとの旨。》
この頃は、共に高齢の親の話が中心でした。娘さんに先立たれたご両親のお気持ちは計り知れません。

私はお母さま宛てにお手紙を書き、くれぐれも返事は気になさらぬよう記しました(私の母と同年のお母さま・「書く」ことがとてもしんどい年齢です)。
妹さんから無事手紙が届いたメールをいただき、前日まで体調に変わりはなく、何が原因かは調べてもわからなかったことをあらためて聞きました。

私よりナイーブな体質を持っていたことはたしかですが《外泊は体力的に難しいとの申告あり・私と真逆で、朝に弱い夜型でした》、かといって大きな病をかかえていたわけではなく(服薬ナシ)、いつも朗らかにたくさんおしゃべりしてくれたYちゃん。
お互い2人姉妹の長女で、妹は家庭を持っている共通項がありました(どちらの姪も最近結婚)。
が、決定的に違うのは、Yちゃんちは「アカデミック」なfamilyなこと。全員そろって『日曜美術館』や『大河ドラマ』を視聴するお宅で、私の憧れでもありました。

昨年10月末に池袋で手を振って別れたのが最後になってしまいました(彼女は大型電器店のPC売り場に寄って帰ると~:あの頃はお互い「Windows8.1」のママでサポート終了が近く、「どうする?」が話題でした)。
いや、今もって私にはまったく実感がないのです
《ある程度時間が経っていたので「?」に過ぎませんが、副反応が強かったと聞いていた(38.5度まで発熱、頭痛・吐き気が強く寝込んだと聞いた)4回目となるオミクロン株のワクチン接種との因果関係を疑いたくもなります。》

会ったらYちゃんに渡そうと思っていたモノ、彼女宛てに使う予定だった絵葉書のBOX…。
新しく作ったメガネも見てもらっていたかったし、春から始めた俳句の話もしたかった。
また美味しい食事もするはずでした。
何よりまずこちらへ遊びにきてもらいたかった。私の運転する車にも乗ってもらいたかった。

これからの私の日々、変わることなくYちゃんに報告するように重ねていくしかありません
次の東京行きはまだ計画にないけれど、彼女とはもう待ち合わせすることが出来ないのです。

こんな哀しいことが突然あった今年の5月でした。
大切な友・Yちゃんの分も、私はかみしめてこれからの人生をなるだけ楽しく悔いなく過ごしていこうと思うばかりです。