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スクラップ・アンド・ビルド [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

スクラップ・アンド・ビルド

スクラップ・アンド・ビルド

  • 作者: 羽田 圭介
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/08/07
  • メディア: 単行本

1985年生まれ。現在31歳かな。又吉さんと同時に今作で芥川賞を受賞。
ようやく回ってきたのですが、私にはそのよさはよくわかりませんでした。
書き出しからの文章はすごい。圧倒的な力を感じるのですが。
登場するのは、主人公の青年と、デイサービスに通う弱ってきた祖父がほとんど。+言葉使いが荒くてびっくりする母と。
【人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。筋肉も内臓も脳も神経も、すべて連動しているんだよ。】
死を望む祖父にそうさせてあげたいと、わざと余計な介護にまわったりしますが(身体能力を衰えさせるために)、基本はよく面倒をみている孫と思います。

好きではなかったけれど、迫力があったのはデビュー作の方でしょう。また、又吉さん作の方が優れていたと思います。
いずれにせよ、また芥川賞はわからないと感じるのでした。
ちなみに「スクラップ・アンド・ビルド」(SCRAP & BUILD)は “非効率を廃棄・廃止して行政の効率化を行う” をさすようです。
(先日の、映像化したNHKドラマは録っていますので早めに復習してみます。)

そうはいっても、私はバラエティ番組に出演している羽田圭介(はだ・けいすけ)クンは好きで、結構見ています。正直でいいです。信条もおもしろい。ほうぼうで載っている短編は別として、長編にはもう手をつけないかもしれないけれど。
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父の生きる by伊藤比呂美 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

父の生きる (光文社文庫)

父の生きる (光文社文庫)

  • 作者: 伊藤 比呂美
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/06/09
  • メディア: 文庫

私は6紙の書評をチェックする仕事を担当していて、そこで存在を知りました。
1955年生まれの詩人・伊藤比呂美さんは現在ではカリフォルニア在住(あちらの方と再婚)。Ayuが赤ちゃんの頃、衿がよみあさった育児本の1つが「良いおっぱい悪いおっぱい」(1985年刊・Ayuは92年生まれ)でした。インパクト大。育児エッセイの火付け本であったと思います。
実父を熊本とカリフォルニアで遠距離介護(2009年から3年半に及んだ)、っていったいどういうこと?ありえない! の疑問から手にとりました。
実母が先に亡くなり、残されたお父さまをひとりっ子の比呂美さんが、行ったり来たりで介護。1~2か月カリフォルニアで過ごし、半月日本で暮らすというサイクルで。
要介護認定、ヘルパーさん、ケアマネさん、主治医、リハビリの手配を日本にいるうちに整え、毎日のように国際電話をいれ(もちろん日本時間を考慮しながら)、時にはヘルパーさんに電話口にも出てもらい、おかしいと思ったら、先方にアメリカから連絡し、とんでいってもらう。
そういうことだったのですね。遠く離れていても、比呂美さん流の「介護」が可能だった。
【離れている間は、毎日電話をかけます。一日に何度もかけます。独居を始めたばかりの頃、父が言いました。「夢を見ても、ばあさんに話せない、それがとても寂しい」と。それ以来、父が起きた頃を見計らって電話をかけます。カリフォルニアは夕方です。】

ご母堂がまだ病床だった頃。
【今回しみじみと私は、私こそが伊藤さんちの大黒柱であると認識した。(略)経済的には親は私に頼っていないし、私は親に頼っていないのだが。でも大黒柱だ。母の顔を撫でる、父と時代劇について語り合う、犬を叱る、犬と遊ぶ。そのひとつひとつが大切きわまりないことで、しかも私にしかできないのである。ところが私は、カリフォルニアでもけっこう大黒柱なのだ。ごはんは作るし、買い出しにも行くし、ゴミ出しは一手に引き受けているし、精神的にみんなをつなぎ止めているし。あっちでもこっちでも必要とされている。】

ひとりとなったお父さまは、大の巨人ファンで、娘は全試合を観戦できるようスカパーの手配も国際電話でしちゃう。「科捜研の女」の沢口靖子が好き。一連の米倉涼子のドラマも好き。「おもしろいんだよねー」と電話で父親が話す。家に居ながらのこのTVという娯楽は、多くの高齢者を救っている。大きな役割だ。
ちらしに入っていたピザが食べたい発言、デパートの駅弁祭りの駅弁を要求したら、娘はそれにしたがって動く。「食べる」のもTVと同じく、数少ない大切な楽しみ。広告の威力。食の細くなった者の食欲を誘い出す、これはスゴイ(商売上手♪)。
お父さまはなかなか元気で(電話では愚痴も言い、野球の試合の報告もし…)たくさんのヘルパーさんに出入りしてもらい、しっかり生きていた。本当は娘にそばに長くいてもらいたかった。でも娘の生活もあるから、そこはのむしかなかった。
父上との会話から伝わる世界=もうこれを全部読んでもらうしかない。それでしか真意は伝わらない。と言えよう。

熊本に帰った時、そんなことを言うとは考えられないお父さまが「あんたがいなくなったら入院する」と。Dr.は「本人が入院するっておっしゃっているなら、こちらはもう大賛成」と、すぐに手配をしてくれた。そうか、考えたら入院するなり、介護施設に入るなりすれば、遠距離での見守る介護は十分可能なわけだ。要は、年をとっても自宅で過ごしたかったお父さんだったのだ。
前日の父は、まだ人間の父だった。しかしその当日、病院に行く直前の父は、おどろくほど老い衰えた、顔だちも表情も人格さえも変わってしまった父だった。ろくにしゃべることもできなかった。(略)病院から迎えが来た。~呂律のまわらない口調で私に指示した。どこに通帳があって、どこに現金があるか。それから迎えの車椅子に乗って、病院の車に連れられていった。(略)まさか10分後に死ぬとは思っていなかった。主治医のK先生も思っていなかった。】

【成田空港に着いたときの感じが変わった。~入国審査場にたどり着く直前に、降りる階段がある。降りながら見上げる壁に「おかえりなさい」と日本語で書いてある。あれにちょっとうるうるする、とこっちの在住の女たちがみんな言う。実は私もそうだ。~父が死んで、最初に帰ってきた7月。「おかえりなさい」の前で感じた根無し草感ほど、切実だったことはない。まだ友だちもいるし、親戚もいる、それなのに親がいなくなったというだけで、こんな心持ちが違うのかと。】
父親が住んでいた場所とは別に、著者は熊本に自宅も置いてある。介護に帰った時も、すぐ近くの自宅に夜は必ず戻っていた。仕事も持っていたし、そうでなければ自分の時間がなかった。
そんな帰る自宅は今まで通り日本にちゃんとあるのに、親を亡くすということは精神的にも肉体的にも「還る場所」の喪失感をもたらす、ということなのだろう。

今までの作風や主張からは、巻末の解説にもあるように、伊藤さんらしくない面がたくさん詰まった本だったし、だからこその本音も出ていたように思う。けしておろおろすることのなかった著者が、ここでは事情が違っていた。まちがいなく「お父さん子」だったという。文章に向かう姿勢はこのお父さまありき~とみました。
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記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記

記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記

  • 作者: 城戸 真亜子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2016/11/02
  • メディア: 単行本

1961年生まれの著者は画家でもある。この本も、絵の力が大きい。描かれているほとんどが「きれい」な部分でありましょう。「ほんわか」しているわけは、ない。事実はもっと厳しいだろうとは、読者も想像できますが、それを含んでもよい本と思いました。ポイントはしっかり織り込まれているので(こういうことが起きるだろうと)、認知症入門としても最適。絵も楽しませてくれます。
【母(※ご主人の母親)の不安を少しでもやわらげるため、そして理不尽に奪われていく記憶をつなぐため、日記帖をつけることを思いついた。】

家の中にはわかりやすいよう「貼り紙」のオンパレード。言ってわからないことでも、これは本人がストーンと理解してくれた。「ゴミはここに捨ててくださいね」「トイレ」の表示など。
同居する前の部屋は、一見片づいているようで何かがおかしかった。冷蔵庫には買ってあることを忘れてしまってまた同じものが入っており、充満するすえた匂い。きれいにたたんで積んである衣服は、よくみると食べこぼしがついたままで、シミやカビが発生。季節感のないものもちらほら。
【(略)だから、たとえ3年前から周知の事実で、昨日と今頃同じことを言っていたとしても、本人にとってはいつもはじめての告白なのです。】
介護保険利用についても紹介。ヘルパーさんの訪問介護、デイサービスを利用したことは、家族の負担が減ったこともそうですが(それによってやさしく接することができたり、腹の立つことも時には飲み込めるなら必要!)、なによりお母さんの生活にメリハリが生まれたこと、家族以外との交流の場ができたことが大きかったといいます。

【朝、ひとり目覚めた母は、見慣れない部屋の様子に驚かされます。「ここどこかしら。起こしに来た人は誰なの? 」なにも思い出せない不安に襲われているのです。~自分がおむつのようなものをはいていることや、それが汚れていることに大変なショックを受けているはずです。~朝はいつもなにも思い出せない自分に驚愕する悲しい時間なのです。】
この一文だけで、本人はもちろん、周囲の苦労が想像できます(このほかに「妄想」も多いのです…)。繰り返し々、こちらもうまく答えていかねばならないでしょう。詳細は省きますが、義父(既に他界)によると認知症の予兆は十分あったといいます。離れて暮らしていると、子どもたちは気づくのが遅れるし、何より連れ合いである義父としても心配をかけたくなかったのでしょう(火事を出しかけたことも…!)。
「もしかして…」が少しでもあったら早くに地域包括センター(←我が家は車イス必需が大きかったですが、歩行の問題でDr.にかかったことと、ここに相談したことでいろいろ進み、結果的に病気も、危ぶまれた認知問題もすべてくい止められました)や、ご近所のお医者に相談すること。進行がゆっくりになる方法が、その時点ではありますそこを過ぎてしますと、本人にも家族にも負担増になります。
【~出勤前の朝、家を出る時間にトイレがビショビショ。でも意図してそうなるわけではありません。本人が一番ショックを受けているはず…。これには、一日も早いトイレの進化を待つしかありません。おしりも、床も、便器も、サッと温水できれいに洗えるシャワーが付いたユニットトイレがあればラクチン。誰も悲しまずに済むのですから。】
歯はいのち:総入れ歯はよくないのでは。固いものを噛まないことで、口の筋肉がどんどん弱くなる。それによって口を閉めておくことが難しくなり、いつも舌が半分出ているような状態に。誤嚥も心配な状況になる。80歳になっても自分の歯が20本以上~はとても大切。あー、私も定期健診行かなければ!
ショートステイ先でお母さんは大腿部骨折をしてしまいます。なぜ、リハビリの機関で~! 骨折は高齢者にとって決定的なのです。寝たきりになる大きなきっかけとなります。歩くことはもちろん、何日も横になっていたので立つことさえできなくなってしまいます。
これを機に「もうご家庭では無理ですよ」となり、施設に入ることに。介護度は最高の「5」。 

…夫の話がほとんど出てこないのですが、きちっとしていた母に育てられたので、その変化に息子がついていけない、認めたくないということもあるようです。実の息子なのに、もうそれさえわからなくなっていく。受け入れがたい気持ちもわからなくはない。

【もしも介護をすることになったら、決して自分だけが犠牲になったなどと思わないでほしい。そこには介護に携わらなかったら、きっと得られなかったであろう、たくさんの気づきがあるからだ。~偉い人もそうでない人もみんな等しく~自然の流れには逆らえず人は無力だということ。】
これは、障害のある娘がいる私のような家庭も同じですね~。
いわゆる「認知症」と比べると、我が娘は最近の記憶も、学習能力もあるのでひとりでできることも多い(もちろんできないこともたくさん…ですが)。できることを喜べたら、少しは高齢者介護の気持ちの負担も減るかもしれません。そして大変な時は、家庭で止めずに、助けを申請(介護保険利用・みな80歳になったらどこかしらに該当するのでは?)すること。積極的に調べてみること(これをする人としない人の差が大きい気のでは・障害者を持つ家庭にもこれは感じています・詳しい人はバシバシとフル活用していますヨ)。
介護用品レンタル・購入や手すり設置など、たいていは1割、2割の負担で可能です。
「介護度判定」の訪問はいつでも、もちろん無料でやってくれます(介護保険料を払っているのですから)。その上で、利用(事業所と契約)するかはまた別。現に我が父は、一年目は使用することなく(どことも契約せず)でした。足腰が弱ってきたなと思う高齢者は、毎年判定をお願いしたら、少しずつ度数は上がっていくのが常でしょう(昨今は判定も厳しくなっているようですが、家族も必要度をうまくアピールしていくこと)。
たとえ、介護サービスの必要がないとわかっても(めでたいこと)、要介護には該当しない「要支援度」があるかの判定はしてくれるので、『寝たきりにならない体操の会』のような紹介もいろいろとしてくれるはずです。ご本人の気持ち次第ですねー。
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週末介護 by岸本葉子さん [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

週末介護

週末介護

  • 作者: 岸本 葉子
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2016/07/16
  • メディア: 単行本

期待以上によい本でした。実のお父さまが徐々に認知症となり、きょうだいで1つのマンションを拠点に、かわるがわる曜日交替で介護した記録です。その5年間、入院期間以外は自分たちで最期まで見守りました(享年90歳・お姉さんの息子さんも、男手として力を発揮しました)。
まったくの介護初心者が、探りながらもみなが出来るだけ居心地よく過ごせるよう進んでいった様子が手にとるように浮かびました。エッセイとして読むのもOK。我が父は、ここまで突入していないけれど、いずれ…と考えると参考になります。というか、人間の終焉はこう進んでいくのが常、ということでありましょう。
お母さまは70代の時に入院し、アッという間に亡くなってしまわれたということで、介護ははじめての体験だったそうです。お父さまは著者のお兄さまと同居しており、多くは語らなかったけれど、もの忘れが進んだことを子どもたちは悟ります。お兄さんの仕事場と家が遠いこと、兄と姉だけにまかせきりにはできないと、岸本さんは自分の自宅近くにお父さまの住む理想のマンションを一年かけて探し出します。介護者の部屋も確保できて、交代で出入りしやすく、便利と感じ寄りついてくれるところを!

【きょうだいで一致していたのは「きれいな老人」をめざそうということだ。~ふと父の服を見て息を呑んだ。胸の前が食べこぼしのようなしみでいっぱいだ。】
【問題を解決したのは、腕のいい床屋との出会いである。~「総合整髪」というコースがあり、洗髪から散髪、ヒゲ剃り、眉毛切りまでして、仕上げに蒸しタオルで顔を温めてくれるようだ。まるで「男のエステ」である。~前に来ていた人がそのコースのお金をレジで払っていたが、湯上りのようなさっぱりしたようすだ。同じコースを頼むと、父もたいへん気持ちいいらしく、途中から口を大きくまるく開け、完全に身を委ねきって眠っていた。】
【公園に行った日は、たとえ公園に行ったことは忘れてしまっても、表情や頬の色つやに生命力を浴びた痕跡のようなものが、一日じゅう残るのだった。】

トイレの問題、ボリュームを高くするTVのこと、ひとりで外出してしまい先方から連絡をもらったことetc…、次第々に出てきます(介護保険については、入浴で使う椅子は重宝したとあったので、我が家も業者からもらっているカタログを見直してみよう)。
【5年間の間にも体の状態、とれる姿勢、できる動きは変わっていく。それに合わせて一回一回買い替えていたら、破産していた。レンタルできるのがありがたい。】

何度も同じ会話になること。
【やがて気づいた。父にはこういう話を何回したっていいんだ、と。】
社会人で、むろんいい年をして…だが、ほかの誰にもできないけれど、「じまん話」がお父さまへは何度でもできた。「またか」という顔をされることはない(例えば「きれいだねぇ」と言ってくれる服についてなど)。そのつどはじめて聞いたような相づちを打ってくれる

固い介護体験としてではなく、お父さまのからだが少しずつ終わりにむかっていく、その日常をきょうだいを挟んで過ごした時間を閉じ込めてあり、よく綴って残してくれたなぁと。
きれいごとではない、個々の違いの難しさにも触れており、著者は『これを書いて、ようやく介護を終えることができた』と。
ソフトカヴァーで、装幀としても、全体の雰囲気がよい。さすが晶文社さん。いずれ文庫になるのでしょうが、私はこの 「単行本ならでは」 の手触りが好きです。

《最後になりましたが。著者:1961年生まれ。東京大学教養学部卒。エッセイスト。最近では俳句番組でお見かけしますね。自身のガン体験の本や老いじたくについて…もいずれ読んでみましょうか。→自分でも忘れていましたポツポツ読んでいますね。 》
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ケアマネジャーさん決まる [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

車イス必要度を考慮してくださったのでしょう、父は昨夏判定より1度上がり「要介護2」に認定されました。
(「1」では介護保険を使ってのレンタルができない枠だったため、別の機関でお借りしていました・「2」以上に該当しない人、また一般に骨折等の際、最長1年間に限り無料貸与可能:父はめいっぱい使わせてもらい、先日無事お返しできました。)

とりいそぎ通院等でまず必要な道具=車イス、私の有休(このところ疲れていて乱れとんだ身辺の整理整頓も必要だったため)に合わせて、先日カタログで選んだ型を届けてもらうことになっておりました。
そうしましたら、父の窓口になっている私が在宅であることから、先方の介護事業者が今後担当するケアマネジャー(男性)も同時に伺ってよいですか?の運びとなり、うまい具合に(予想外に忙しくはなりましたが~・苦笑)平日の午前中にこまごまと用事を済ますことができました。

先日の業者との契約で初めて知ったこと。
●例えばデイサービス等を使わず、最低限で車イスをレンタルするだけだとしても、担当ケアマネジャーさんによる月に一度の来訪(面会)が必要(状態の把握)。
…娘の私がいなくても、本人である父とそのフォローをしている母がいる自宅を訪ねてもらう、で構わないわけですが、最初の数回は《高齢者のアクティビティ》について素人ながらも学んできた私でもあり(興味大!)、同席したいと考えています。
  ↓
今後、父の介護に関するいろいろは、右欄 “マイカテゴリー「認知症に関する検定試験ほか」” に収めていきます。おかげさまで、今のところは認知症という判定はついておりません。歩行難の症状を改善する薬の処方が効果をみせ、好きなTV野球観戦にもついていっております・危ういところを早めに医者にかかりよい方向に・早期に動くのが肝心です~

…昨夏(初回)、今夏(更新)と介護度の認定を受けたので、来夏にはまた公から来ていただくのだな~と思い込んでいたところ、落ち着いて書類を見直すと次回は2年後に再認定でした! ちょっと荷がおりました。
(また、ここ数日の新聞記事に『介護度認定、3年に一度に延びる?方向へ』もあり。高齢化社会、必要度が高まってほうぼうに負担が大きくなっている。)
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舞台「ペコロスの母に会いに行く」 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

ペコロスの母に会いに行く

ペコロスの母に会いに行く

  • 作者: 岡野 雄一
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2012/07/07
  • メディア: 単行本

「ペコロス」とは小さな玉ねぎのこと。つまりは、実母を介護する男性の演者は、言葉は悪いですが「ハゲ」でなければなりません。ですから、東国原氏となったのでしょう。
認知症を描いた作画「ペコロス~」、その原作は忘れられなく、この舞台情報は耳にしていたものの、数日前になって席を押さえました《それでもよい1階席(←衿は絶対コレにこだわる)をGet!》。
主役級(といっても周りの役者さんが揃っていた)の東国原氏は、数時間前まで民放TVに出演していて、あー芝居に影響したらイヤだなと正直思いましたが、特に支障はなかったようです。
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なかなかよかったです。あのユニークな世界観健在で、肝心なところはしっかりと盛り込まれていたように思います。(「幕間の暗闇」の回数が多かったのは少し気になりましたが、場面分けは回転舞台ではなかったのでいたしかたなし?)
また、原作をめくってみたいな。一読あれ、です。
【天王洲(てんのうず)は、ずいぶん前の井上芳雄クン・リサイタル以来だったけれど、やっぱり無機質なコンクリートジャングルでNo!でした…写真:銀河のイメージ?劇場入口。】

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さて、Ayuは先日誕生日を迎え(年女です)、その当日はお互い休みをとり、Ayu歯科定期健診&無料パス更新(ありがたいことに障害者は申請で都バス・都営地下鉄のパスを発行してもらえます)&耳鼻科《ダウン症は耳穴が狭くできているので時々専門家に奥の点検・掃除をしてもらうとよい》へ(案の定、片方はかたまりがあり、ふやかしの点耳薬を入れて、翌日再診、完全にきれいになりました)。
父の車椅子も公の某所で借りて帰ってきました(通算で「丸一年」になり、無料貸し出しはもう出来ないそうでこれがラスト・別の手立てであたる予定)。
【お誕生日のランチは、景色のよい上層階にある「役所のレストラン」で。一般にも開放されています。一度、寄ってみたかったのだ。Ayuが選んだのは「カツ丼」、私は冷やしたぬきうどん。双方¥430でした・笑】
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土曜は医者 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

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父はいろいろな検査が済み、新しい飲み薬を少量から試していくことになりました。合って、効果が出てきますように。
車椅子操作、実際にAyuに委ねるのは難しいです・苦笑。
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ペコロスの母 3冊 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

分野的に「検定試験」にしました。Eテレ録画の、この著者の特集をようやく見終わったので整理します。

ペコロスの母に会いに行く

ペコロスの母に会いに行く

  • 作者: 岡野 雄一
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2012/07/07
  • メディア: 単行本

著者は昭和25年生まれ。出版社で編集の仕事、40歳で子連れで長崎にUターン。
だいぶ前に話題となりましたのでご存知の方も多いでしょう(日本漫画家協会賞優秀賞受賞)。図書館本は既に11刷でした。徐々に認知機能をわずらっていった母を漫画で描きます。
連れ合いを亡くしてから、認知症の症状が出ます。母みつえは大正12年生まれ。大正8年生まれの父さとる(つまり著者の父親)は、若い頃は暴力を振るったり、飲んで給料を持ち帰らないなど、さんざん苦労させられたのですが、母親がみる世界の中では「よい人」になっていきました。それには、子どもの方が実は救われたそうです(著者の中でも父親像が ↑ に)。

【(施設で世話してくださっている方が)「お母さんが明け方、縫い物ばしよんなったとです。ふとんのへりば持って」(本人は縫い物をしているつもり)】
【僕は母がうらやましいと思う。認知症になって、母の中に父が生き返ったのだから、ボケること(忘れること)もそんなに悪いことばかりじゃないんだと。】

ボケて幸せな生き方: 「ペコロスの母」に学ぶ (小学館新書)

ボケて幸せな生き方: 「ペコロスの母」に学ぶ (小学館新書)

  • 作者: 岡野 雄一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: 単行本

若い時、酒乱だった父親の背景が前書より細かくあり。ふんわりな話し口調もよかったです。
入院先から直接グループホームへ。
【あとで人に聞いた話ですが、病院から施設に直行するというのはスムーズにいくケースが多いそうです。本人は入院の延長だと思って納得しやすい。自宅に帰っていたら、抵抗していただろうと。】

ペコロスの母の玉手箱

ペコロスの母の玉手箱

  • 作者: 岡野 雄一
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2014/10/21
  • メディア: 単行本

図書館から用意される都合上、この順の読破となりましたが、認知症の理解の上でも、これでちょうどよく、しんみりと読み終えました。
ひどい酒乱だった父も、後年は穏やかな性格に。
亡くなった父親が(母を)迎えにきたという回想のシーンで(コマが大きかったと思う)涙。
お母さまは、だんだんに発語がなくなっていき…。

…メモ程度の読後感ですが、チャンスがあればこの漫画をどうぞ。一目瞭然です。絵もとてもあたたかです。
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チョコパ&蝉 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

有休で父の診察に付き添う。静脈注射のあと、3時間後に検査だったので、病院のレストランで父母とランチ。
私とAyuは普段から外食の機会も多いが、両親はほとんどないので(特に母は外食を好まない)、これもよい時間であった。
「デザート頼む?」と聞いたら、母迷わず「チョコレートパフェ」。別腹ね、と希望通りに。こんなこともない。いい思い出だわ。

本日は森うっそうの通勤帰り道、初セミが鳴いてましたー。
梅雨明けももうすぐ、ね(蒸し暑くてかなわん)。
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せっせと父につき合う [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

今回は地元の耳鼻科に付き添う。Ayuがかかっていたこともあり、様子がわかっている私と父のふたりで。
数年前から、食事中にのみ鼻水がひっきりなしに出ていた。ティッシュも大量に使う。時には止まらないくしゃみが伴うこともある。ずっとほうりっぱなしにしていた。私だったら、不快ですぐに診てもらっていたと思う。
診察OPENと共に、車椅子で受け付け。「血管運動性鼻炎」とのこと。自律神経とも関係しているそうで、とりたてて心配なことはないようだ。1カ月分の飲み薬を処方してもらった。これで、改善するといいなぁ。そのすっきり感を父には味わってもらいたい←医者嫌いを脱却して欲しい。

午後、Ayuはヘルパーさんとみっちり2時間ダンスに出かけてもらう。初めてのヘルパーさんだったが、このダンスの会には今までも他の利用者で経験済み、安心しておまかせできた。特に、帰りのバスでは会話が弾んだそうで、その様子を聞くたびに、家族以外とのふれあいは貴重だと痛感する。

さて、よく晴れて暑かったですが、下はどんよりした梅雨空・夕方の、我が家玄関前の廊下からの景色です。東京スカイツリー(左)も、曇りだと存在自体がすべて隠れてしまうことも。
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まったく忙しい月でありました① [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

Ayuはダンスへ。通常は午後からなのですが、午前中に私は母と父の付き添いで病院へ行くので、朝早くからヘルパーさんと出かけてもらいました。
父はとにかく医者嫌い。しかし、歩行や認知機能がおぼつかなくなってきたため、いよいよ改善してもらわねば家族も大変です。どうにか受診の設定をつけました。

外出時に、杖ではアウトになったため、車椅子を急きょ借りねば…と地域包括支援センターにTEL。
私が受けていた講習ではケアマネジャーさんなどその道のプロがいらしたので、いろいろ聞いてはおりました。その時の情報や、数年前からの知識がこういう形で役に立つとは正直想像もしておりませんでした。むしろ、Ayuのために生かせると考えていたわけで。今ではAyuが祖父のフォローに十分なっております。》
とりあえず、台数に余裕があるとわかり(※他地域で同サービスがあるかは不明)、翌日には母にとりにいってもらいました。これで、本日もタクシーに折り畳んで乗せてもらい、初診を無事済ますことができました。
若いDr.だったのですが、認知機能の検査ではいわゆるよくあるパターンの患者への質問だったので、笑ってはいけないのですが、私は内心おかしくも…。「100から7を引いていく」「さくら・ねこ・でんしゃ の3つを覚えて、あとで聞き直す」等。
歩行の衰え症状(病気)から、全体に下降している?と思われ(まぁ一番は、ただの「老い」ならよいのですが)、来月に2回の検査予約が入り、帰宅いたしました。
ちなみに、介護度認定はこれから…の予定です。

そんななんだかんだで、平日帰宅するなり電話をしたり…の最近の私でした。夜7時までやっていたり、土曜にも窓口があることは、本当に勤め人には助かります。
で、今月はもうひとつようやく完全解決した件があったのでした。これはまた~。
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車椅子デビュー [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

室内の移動はどうにかひとりで大丈夫なのだが、外出時は杖だけではどうにもならなくなった父。
車椅子は、思ったよりうまく出来ていた。
さっそくカットに連れていった。こんなことならもっと早く借りていればよかった。
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手すり [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

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今の段階で「高齢のため」を理由に設置してもらえる手すりがつきました(無料範囲は「浴室&トイレ」のみ)。歩行があやうい父のため。
早いうちに、室内もところどころにあったらなおよい。バレリーナの練習のようなバーが(苦笑)。
80近い、が2名いるのだから、遅かれ早かれ足元の対策はしていかないとな…。
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新幹線日帰りツアー敢行! [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

先日、講座受講を共にした仲間と平日に出かけてきました。主な目的は、その中のひとりTさんが高齢者施設を複数経営しており、見学させてもらうことによって、今後それらのような立ち上げに関わる者たちの参考とするため。
今回は、スマホでのLINE連絡網“外”だった私を含むケイタイ組数名はCメールで簡潔な連絡を受けるだけとすっかりお膳立てしてもらったため、東京駅新幹線自由席ホームで待ち合わせたところ「7名」も集まったことにびっくり!(現地のTさんを合わせると8名となりました:受講者計12名中。)
遠方は名古屋方面から新幹線乗り継ぎで~。
新幹線で1時間少々で、閑静な土地へ。Tさんとアシスタントが大きな車で出迎えてくれ、終日、各施設はもちろん、昼食の手配(おすすめの「チャーシューたっぷり白河ラーメン」)、観光(ゴヨウツツジが見事☆)も織り込んでくれ、たくさん走ってもらいました。
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自然環境に恵まれ、空間が閉ざされることのないグループホームにはみなが「いいなぁ」を連発でした。日中、個室に入ったままの方はおらず、みなさんリビングに。
職員の利用者への丁寧な言葉使いの徹底、Tさん自身の実際の対応の仕方など、異業種の私にも(直接の仕事でなかったのは私ともう一人のみ)得ることは大でした。
帰りの新幹線も話が弾みました。この講座でいつも隣り同士で仲よくしてもらった2つ年下のMちゃん(看護師、介護福祉士etc…)のこれまでの道のり話、も私を大きく動かしました。それはまたおいおい…。
講座最終日からちょうど2カ月の日に、打ち上げで決めた予定通りに集まることができました☆
この日の計8名は、男3女5、年齢は20~60代まで。こんなに幅広く交流できる輪はそうはないでしょう。「高かった(笑)受講料だけど、このつながりを持てたことが一番♪」と人生の先輩でもあるケアマネ【ケアマネジャー:私はまだ福祉資格・職業の詳しい別もわかっていない恥ずかしい状態デス】が一言。同感。
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祝認定&証明写真 [我が家の介護いろいろ&認知症関連]

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年末より先月末まで、実習を含め平日計8日間研修を受け、発表&レポート計3題を提出していた件、ようやく通知が届き、認定されました~。応援してくださっていた方、とりいそぎご報告いたします☆
【地元ケーキ屋さんのシュークリームで自分祝い・シューが香ばしく固いのがよい】

そこで知り合った仲間と、スマホ⇔ケイタイでCメールが行きかいました(スマホ組はLINEの輪でつながっている模様・私は未だケイタイ)。異口同音に『(待つ時間が)長かったねー』と。

民間の社団法人による「認知症アクティビティ・ケア専門士 3級」(現段階ではこの級のみ)を学んでいました。2009年の第1回基礎検定(今では12回まで済。その後「応用検定」も設けられそちらも10回が終了。衿は「応用」には挑戦しておらず、今後の受験は未定)を踏まえての、受講でした。回想法、音楽療法、園芸療法、化粧療法、運動療法などを第一線の講師が少人数の私たち(12名)にレクチャー。福祉系資格を持ち、現場で働く仲間が大半でしたが、私のような本職でない方も数人いたことは心強かったです。
また追々、振り返りながら書いていくかもしれません。

…で、認定証発行のため、3×4㎝の写真提出が求められました。書類には「スナップ写真不可」とあり。あー。2~3年前のものを切り抜いて使おうと考えていたのですが、その方が勝手かも、ですね(年齢詐称)。
はて、撮影どうするか。今は東京メトロの駅の数多くに、あの「証明写真」BOXがあるとわかり、初経験してみようと。仕事帰りはぐったり疲れ顔なので、せめて…と朝に~。「衿」のあるブラウスを着て・苦笑。
『もう一回チャンスがあります・撮り直ししますか?』と表示されたので、機械の指示に従い再度パチリ。「あれ、最初の方がよかったらどうなるんだろ?」と不安に思ったら、ちゃんと『どちらを選びますか?』と、2パターンを並べてくれるのですね。納得いくようにうまくできているわ。
…ちなみに、3年ごとに更新の研修があります。顔写真はママと思いますが・笑。
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