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美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ [よんでみました]

美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ (小学館文庫)

美しい昔 近藤紘一が愛したサイゴン、バンコク、そしてパリ (小学館文庫)

  • 作者: 野地 秩嘉
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2013/08/02
  • メディア: 文庫

日本航空SKYWARDに2011年から2012年にかけて連載された『美しい昔』を加筆、解説を加える。

【あの頃、ベトナムについての戦争のレポートはたくさんありました。だから、一般の日本人はベトナムといえば戦争の国だと思っていた。けれど、(彼は)庶民とその生活をベースにした話を書いた。そこが他の記者、ジャーナリストとの最大の違いです。by文藝春秋編集者・新井信】
【日本人が戦争以外のベトナムを知ったのは彼の功績。】

【赴任する前年のこと、近藤は最初の奥さんを亡くしています。しかも、前妻は心を病んだすえに亡くなっています。そのことがあってから、近藤は『オレが悪いんだ』と言っていました。あいつは自分の命を失ってもやむを得ないという状況に自分を追い込みたかったのでしょう。by高校時代からの友人・元NHKアナウンサー吉川精一】
【吉川によれば近藤紘一は「絵に描いたようなブルジョア」の生まれ育ちだった。(略)進学した早稲田でフランス文学に傾倒した近藤が出会ったのが駐仏大使の長女だった(フランス映画に出てくる女優さんみたいな人~)。大学を出た24歳で結婚。最初の任地で新婚生活を送った後、2年間のパリ留学に出発する。仏文を専攻した若者にとって憧れの地であり、吸収すべきことは無限にあった。しかし、妻の様子に異変が起こったのはパリに着いて間もない頃のこと。パリの町で生活することに舞い上がってしまい、本当は日本に帰りたかった妻の病気には気づかなかった。】
この妻の母親も同じ病で早くに亡くなっていたそう。

【サイゴンがホーチミンと改称されたのは1975年5月1日のこと。北ベトナム政府はサイゴンが陥落した翌日、すぐに町の名前を変えた。】
そうか、サイゴン→ホーチミン だ。

近藤が書いた文章の一節より。
【“南国の自然は、圧倒的”だ。“西洋人は自然を征服”し、“日本人は自然と調和しながらこれを利用する”といわれる。】

ビトロンという食べ物にはさすがに私もついていけない。
【近藤:孵化寸前のアヒルの卵である。「半熟卵」かと思って何気なくサジで割ったところ、「なかば固形化し、なかばまだドロドロのヒナがニュッと顔を出した」ので、椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。】
でも、これを食べるかどうかでベトナム人は人を「試す」?とか。
今では若い人が好まなくなったこともあり、ビトロン売りの数は減少したそうだ。

【妻のナウと娘のユンは近藤と家族になったことで、日本という国を得た。国籍を取り、日本人となった。(略)だから、人はふたりのベトナム人女性を幸せだ、幸せになったという。だが、本当にそうなのか。
私は逆だと思う。誰よりも幸せをもらったのは近藤だ。彼は妻と娘に日本の国籍を与えた。しかし、代わりにベトナムという国をもらっている。彼にとってベトナムは、家族と職業をもたらせてくれた国だ。(略)近藤はナウとユンに与えたものよりもはるかに大きな新しい人生をもらった。】
新しい妻が親戚に物品を送ったりなど、散財の負担は常にあった。このために、自転車操業で近藤は作品をどんどん書かねばならなかった。それで体を壊した…もたぶんにあったかもしれない。
(また、元来の当時の近藤ファンの中には、亡くなって数十年も経つのに、根掘り葉掘り第三者が書くことに反感の読者もいるようだ。)
けれども、「ダリアのような笑顔を浴びせたナウさん」との出会いが、近藤氏を華開かせたのは事実だろう。太く短く、詰まった人生だった。
ベトナムの匂い漂う熱いPHOTOふんだんの、一冊でした。
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サイゴンから来た妻と娘 [よんでみました]

昨年、記録できなかった分の続きです。。。

サイゴンから来た妻と娘 (小学館文庫)

サイゴンから来た妻と娘 (小学館文庫)

  • 作者: 近藤 紘一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2013/08/02
  • メディア: 文庫

このタイトルは当時ベストセラーになったので記憶にある方も多いだろう。第10回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
…国内線に乗って機内誌で(奄美に行った時か)、近藤紘一氏に関する文章を読み、ずっと気になっていたが、初版は1978年、既に図書館では閉架書庫に(活字が古いだろうからこれを借りるのはやめた)。再文庫化を待ちわびていました!

著者は、1940年生まれ。早稲田大学卒業後、サンケイ新聞に入社。フランス留学を経て、サイゴン特派員、バンコク特派員。
前妻を心の病で亡くし≪このエピソードが機内誌にあった≫、その後ベトナムの女性と結婚。
…45歳の若さで亡くなったのが、なんとも惜しい(彼の父親は胃ガンの権威。近藤家は代々医者の家系であったのに、判明時には末期だった)。

解説より:【特派員としてベトナムに赴任した新聞記者が出会ったのは現地の女性とその娘。結婚してやってきた彼女たちが繰り広げるカルチャーギャップと国際結婚の現実を描く。1978年に発表されるやベストセラーとなり、NHKでドラマ化もされた(林隆三主演)。著作累計100万部以上のノンフィクション作家となった、著者の原点といえる傑作。】

飼っていたウサギを妻が最後食べてしまう場面は強烈。
【お釈迦さまを敬い、輪廻転生を自明のことわりとして受けとめる以上、彼女は今後も動物を自らと等価値のものとして親身に遇し、かつ、必要とあれば彼らを平然と殺戮し続けるだろう。これは感情や感覚の問題ではなさそうだ。彼女の国の風土と文化に裏打ちされた、然るべき行為であり、父祖伝来の生活の規範なのだろう。】

文章は常にいきいきとしていた。
彼の私生活を、第三者のノンフィクション作家が綴ったその機内誌をまとめたものが、この文庫と同時刊行。本来、私の興味はそっちの方。
ではそちらの記録へ↑。
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