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向田邦子全集 新版 3・4 [向田邦子と妹・和子]

向田邦子全集〈3〉小説3 隣りの女、男どき女どき 小説

向田邦子全集〈3〉小説3 隣りの女、男どき女どき 小説

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/06
  • メディア: 単行本

『隣りの女』、『男どき女どき 小説』。
収録はいずれも「大人の作品」である。当時は、過激でもあったでしょう。
「隣りの女」の“女の行動力”、そして夫の“寛容力”…。「春が来た」も印象的。

向田邦子全集〈4〉小説4 寺内貫太郎一家

向田邦子全集〈4〉小説4 寺内貫太郎一家

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 単行本

『寺内貫太郎一家』、TVのドタバタ風景をちらと知っていたのが邪魔をして、作品もTVもどちらもちゃんと見てこなかった。
が、よかった~☆ この家族の姿が一見単純に見えるけれど深い。しみとおっている。あの「貫太郎」もいとおしいです。
お手伝いのミヨ(浅田美代子、ですね)。
【「旦那さん、謝るのなんか止めて下さい!あたし、旦那さんが謝るのなんて、見るの嫌です。旦那さんは、やっぱり威張っているほうが似合ってます」】
貫太郎の娘・静江は、男児を持つ男性と付き合っている。その男の子が帰ったあと、貫太郎のお尻の下からビー玉が出てきたシーンは向田さんさすがと思う。
【貫太郎は、女たちの手仕事を見るのが大好きである。冬のかき餅作り、白菜漬け。春の草餅に酒ずし、お彼岸のおはぎ。初夏のらっきょうと梅干。秋のたくあん。そして年の瀬の正月支度。その度に、仕事場から用ありげにやってきて、すしの具をつまんだりしながら見物する。「男はあっちへ行っとくれ」と邪魔にされるのだが-これが貫太郎の「四季」なのだ。】

小林亜星さんや姑役の樹木希林さんがちらつきながらも、確実に涙を誘う場面が何度もありました。秀作。
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向田邦子全集 新版 1・2 [向田邦子と妹・和子]

向田邦子全集〈1〉小説1 思い出トランプ

向田邦子全集〈1〉小説1 思い出トランプ

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本

『思い出トランプ』。13短編を収録。私、再読。
「かわうそ」は恐ろしい。「犬小屋」、印象に残る。


向田邦子全集〈2〉小説2 あ・うん

向田邦子全集〈2〉小説2 あ・うん

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/05
  • メディア: 単行本

『あ・うん』。これも再読。

読後感を残しておくことは、あとの自分にとって貴重だ、と思いました。
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愛という字 [向田邦子と妹・和子]

愛という字 (文春文庫)

愛という字 (文春文庫)

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1996/09
  • メディア: 文庫

この頃、これといって読みたいと思う本がなく、図書館内をあちらこちらぶらぶら、時間ばかりかかっている。今回借りたのはこれ。
向田邦子さんの放送台本を別人が小説化したものだったが、期待以上に十分世界は楽しめた。
「びっくり箱」「母上様・赤澤良雄」、よかった。
ということで、向田さんの家族&向田さんについては一度夢中になったので、再読のものも出てくるだろうが、最近新版で刊行されている『向田邦子全集』に手をつけようと思う。
文庫本より、私は行間に余裕のある単行本を好む。特別に持ち運びに困らなければ。

自分が向田さんの作品をゆっくり味わいたいという年齢になったのだと思うと感慨深い。。。
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あ・うん [向田邦子と妹・和子]

あ・うん (文春文庫)

あ・うん (文春文庫)

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/08
  • メディア: 文庫

↑新装版。
これは、まさに大人の小説でしょう。人の心の襞をおさえています。昭和55年の作。
“市井の家族の情景を鮮やかに描いた著者唯一の長篇小説”(カヴァー裏より)。

男2人が主役。
「水田仙吉」とその妻たみ、水田の無二の親友「門倉修造」、そして仙吉の娘さと子(18歳)、が主な登場人物。
ほかに二号サンも現れる。太平洋戦争をひかえた頃の設定だが、戦争に関係ない人々の心をかく。
門倉は仙吉の妻たみに憧れており、たみになんとはないことで怒られるたびに幸せを感じているのである。

【仙吉とふたりのときのたみは、暮しに追われる三十九歳の主婦である。門倉とふたりでならんで坐っていたときは、学校の先生みたいにみえた。いま、ふたりの男の間にいて、ゆったりとうちわの風を送るたみは、別の女のようにみずみずしくみえる。たみは、汗っかきの仙吉をあおぎ、三度に一度の割合いで門倉にも風を送っていた。】
娘さと子の視点でつづられるこの描写が天下一品なのであります。

そして時にはユニークに(小説自体は滑稽でもある)、
【~自分の花柄の座布団を差し出しながら、下に(門倉の)本妻がいて、二階におなかの大きい二号さんがいるという場面は、読みかけの「明治大正文学全集」のどこにも載っていないな、と思った。】
なんていう文章もある。

羽振りよく商売をしていた門倉の会社がつぶれる。
【(たみ)「門倉さんの仕事がお盛んなのはいいけど、うちのお父さんと開きがあり過ぎて、あたし、辛かった。口惜しかった。これで同じだとおもうと、うれしい」
「ありがとう。いただきます」 門倉はぐっと一息に(酒を)あけた。
もしかしたら、これはラブ・シーンというものではないか。梯子段の途中までおりかけ、そこでためらっていた素足のさと子は息が苦しくなった。】

そういうさと子にも淡い恋が芽生える。
【三日逢わないと三日分の出来ごとを、さと子は石川義彦に話すのが楽しみだった。】
最後にさと子には運命が待っていることになる。。。

門倉の妻。
【~この頃、たしかに門倉はうちにいるわ。でもうちの居間やサンルームに転がっているのは、門倉の抜殻(ぬけがら)。死骸よ」~「女はね、死骸と暮したって、ちっとも楽しくなんかないのよ。生きて生き生きして、仕事して、儲けて、遊んでいるあの人のほうが、辛いけど、ああ、あたしはこの人の女房だ、そういう実感があったわ」】

山口瞳氏の解説より。
≪~男にしかわからないはずだと思っていた心の動きを、女の向田邦子がどうして察知することができたのか。私は、それを怖しく思い、憎ったらしいようにも思う。~人間関係を描くときの向田邦子には凄まじいばかりのリアリティがある。こんな小説は、めったにあるものではない。~
『あ・うん』は、本来、小説家ならば、三年も四年もかけて、じっくり書きこむべき性質のテーマと内容を持った作品である。そこのところを彼女はずばっと切り捨ててしまう。~≫

たしかに特別な小説。(上質な?)大人の話だけれど、どこにでもありそうなお話。根底はほのぼの、なのである。(ドラマにもなったそうですね。見たいなぁ。)
でも、私は向田さんの随筆の方が好きだな、わかるなとは思うのでした。それを確信しました。
…ほんとうにこれで向田さんの作品はしばらくおやすみ、です。
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姉貴の尻尾―向田邦子の思い出 [向田邦子と妹・和子]

姉貴の尻尾―向田邦子の思い出 (講談社文庫)

姉貴の尻尾―向田邦子の思い出 (講談社文庫)

  • 作者: 向田 保雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1993/05/15
  • メディア: 文庫

まだつづいています。。。
これは邦子さんのすぐ下の弟(2つ違い)が、姉の死から2年後に刊行(1983年初版)。
このきょうだいは4人。邦子・保雄・廸子(みちこ・この人だけ既婚)・和子。下2人は4つずつ違う。
だから、女と男の違いはあれど、姉は弟と小さい時から行動を一緒にすることが多かった。

姉が亡くなって、思い出話を書かないかという話はすぐにあったそうだ。←まず商売なんでしょうね…このお誘い。
着飾らない文章、末妹の和子さん同様、やはり弟さんもいけてると感じました。
この著者・保雄さん、実はもう亡くなっています(姉がS4だから、S6年生まれ)。和子さんの方の読後感で書きましたが、一人暮らしで、マンションで倒れているところを発見された時には死亡していたと思われます。姉の13回忌を終えた「あと」なことはこの本からはっきりしました。
そして、和子さんが「この兄はとても融通がきかなかった」と著書で書いてあることから、兄がもうこの世にいないからこそ、和子さんがその後(邦子さん没後20年経って)姉に関連する出版が可能だったことも大きく察せられます。

S23~26年(邦子19~22歳)、弟と2人、母方の祖父母に(麻布)下宿の時期があり、そこに同居していた叔父がNHKに勤めていました。その関係で、公開放送によく2人で出かけたことが、その後の邦子に大きな影響を与えたことを知りました。

この本のまん中には、自分ひとりだけで姉の遺体と対面し、異国で荼毘に付し、日本で待つ家族に遺骨を持ち帰った一週間のことが克明に記されています。
この、こと細かな経過は、家族にも話していない・話せなかった。顔を見て話す勇気はなかった。死後2年経ち、こうして世に出版することで、母親や妹たちにさりげなく報告したかった、とありました。

ラジオからの搭乗者の氏名、“…ケイ・ムコウダ ケイ・ムコウダ…” が哀しく耳に残っていること、あちこちから問合せやお見舞の電話がかかってきて、ものを言う前に顔をこすらないと顔面が硬直しそうだったこと。

現地台湾には、ひとりで。すぐ下の妹さん(家庭持ち)が行きたがったそうですが、このときばかりは「2度あることは3度ある」と考え、きょうだい代表として“飛行機に乗るのは自分だけ”、としたこと
(下の妹・和子さんは、高齢の母親と留守番するしかなかったと思われます)。

真夏8月の惨事(取材旅行でもあったのでしょう、他に3人同行していたよう。20代の若い女性も…)、台湾での遺体安置状態は大変なものだったとか。一両日に身元確認をしなければ暑さにもたない。
でも、弟はひと目で姉を見つける。間違いないと確信したといいます(未確認が多い中)。51歳の姉、日頃よく会うことの多かったきょうだい。弟はすぐわかったのです。
台湾での火葬。断ったのだが、“台湾の儀式”にのっとって(他の搭乗外国人も同じだったことでしょう)。姉も苦笑していただろうと。

自分ひとりだけが、動いている姉と、動いていない姉を知っている。これでよかったのかもありながら、遺骨と共に飛行機を降りる。下の妹の顔が目に入った。。。
→私はここで涙をこらえました。もう完全に感情移入してしまってますから。

【アジア航空のKさん。「あの状態では、機体が2つに割れた瞬間に、お亡くなりになっています。ツバを飲み込む間もありませんね」とおっしゃった。どんな言葉よりも、一番の慰めだった。
~苦痛も恐怖もなかったとすれば、それは故人のために喜んでやらなければならないことだった。】

事故のことが中心になりましたが、世間で評価されている邦子さん、実はおっちょこちょいの姉だったと綴られています。
ハンドバック関係の仕事をしていた弟が、姉にあげたBagはたった3つのみ。その1つが一緒に灰となったそうです。乳癌を患ったあとの姉にあげた軽いBagは、最後の旅のおともでした。

…もうおしまい、といいましたが、またこれを読んで向田作品に興味がわいてしまいました。
まだ読書は続けることに。。。

検索していて、こちらに出会う。
私とまったく同じように、「向田邦子の恋文」から、妹和子さん、そして弟さんを…とすすんだ読者はやっぱりいるのね、とうれしく思いました☆
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眠る盃 [向田邦子と妹・和子]

眠る盃

眠る盃

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1982/06
  • メディア: 文庫

私が手にした初版は昭和57年。つまりは亡くなった翌年。私が図書館から借りた文庫はボロボロで水ぬれあともありました。でも、十分カバーをつけて(いつもだけど)読めました。何百人もが読んできたのでしょうね。26年前のものです。

好評だった初随筆「父の詫び状」の第2弾。でも実際には、「~詫び状」以前にちょこちょこ雑誌等で書いていたものを集めた感じが強いです。「~詫び状」以後、かかれた文章はごくわずかと思われます(ここから彼女にはその後の死まで時間はなかったのです・「~詫び状」は亡くなった昭和56年・1981年に刊行)。

「~詫び状」は作品としてヒットしたものの、題材?にされてしまった家族には「あんなこと書いて~」の連発だったらしいのですね(笑)。二度と書かない(発表しない)ように、と反撃された。だから、これは当時の向田さんの身辺が中心で、基本は幼い頃については書いていません。その点は、やっぱり「~詫び状」の方が見事に、昭和の記録史となっています。

そうはいっても短いエッセイたちは、”よませてくれます”。
「眠る盃(さかずき)」、なんて洒落ているタイトル! と思っていたのですが、なんということはない、向田さんが♪荒城の月 の歌詞で「~めぐる盃 かげさして~」という部分を、長い間「眠る盃」と思い込んでいた、に所以しているのでありました。

「あ」「字のない葉書」(←これはやはり泣けます。私は場所構わず涙が出る寸前までいき、こらえました。学童疎開した幼い妹に、父親が「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい」と言ってきかせたエピソードです。)「うしろ姿」「中野のライオン」「新宿のライオン」等、おすすめです。

発表した文章に対して、反響とはすぐにあるものなのですね。向田さんの随筆には、読者からの電話についてかなりの箇所で読んだ気がします(それによって筆も中断せざるをえないことも)。あれから四半世紀、今は著者本人に迷惑がかからないよううまくシャットアウトされているのでしょうね。

篠山紀信氏についての、文章より。
【私は、篠山氏が、女たちの胃袋まで写しておいでなのに感動した。登場する女優たちはみな粗食である。先っぽの剥げた塗箸をチャラチャラ言わせて、沢庵でお茶漬をかきこんできたように見える。あれは『濹東綺譚』のお雪だったか、たずねていった男の前で、鍋のふたをあけ、さつまいもの煮ころがしの匂いを嗅いで、饐えていないかどうかをたしかめる場面があった。これだけで、女は美しい娼婦の味方になれるのである。】

現時代を、今向田さんが綴ったとしたら、どう書かれたのでしょうね。読んでみたかったです。
…「向田さん“自身”の本」は、一度ここで小休止としましょう。
実際の脚本作品は、まだ私には理解に遠い気がしています(いや、当時の向田さんと変わらない年齢まで私も既にきちゃっているのだとは思うんですがネ)。
今は、「父の詫び状」の余韻に浸っていたい気分です。

≪私は未だに、ドラマ「阿修羅のごとく」(1979年放映・NHK)を思い出すと、ちょっとコワイのですよ、あの大人の世界が。私はまだ中学生なりたてくらいだったのですがなぜか見ちゃったんですねぇ、鮮明に残っています。
宇崎竜童さん、出ていましたね。だいぶ若かったと思いますがよくおぼえています。「ハゲタカ」の1話は、怖いもの見たさで再放送、また見てしまいました。やっぱりスゴかった…。≫
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父の詫び状 [向田邦子と妹・和子]

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/08/03
  • メディア: 文庫

文句なしに素晴らしい。やっぱり向田邦子さんはすごい人です。(※1981年初版・亡くなったのもこの年)
「生活人の昭和史」としても評価が高い、ということですが、向田さんの少女時代の記憶をもとに描いたこの極上のエッセイを「なつかしい」と感じて読めるのは、昭和40年代生まれの人までがぎりぎりではないでしょうか。
平成生まれが、この作品に今後郷愁を感じることができるのかとふと思ってしまいました。
なので、その年代の方までは(笑)、男性も是非手にとって読んで欲しいと願います。

「父の詫び状」は、この本の巻頭エッセイのタイトルです(24作収録)。保険会社支店長の父を持った娘のちょっとした苦労が描かれています。
これに限らず、どれもこれもが秀作。そのことは「解説」に的確にありました。
【向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である。】
そう、「利発」な人というより「名人」!!
【その観察の鋭さは、彼女が記憶を読む職人であった以上に、世間を視る職人であることを物語っている。】

この作品は、著者が乳癌を患っていなければ生まれていなかったのです(詳細略)。そんな不自由な時期に、なんと「左手で」綴ったものなのです。“気張って言えば、誰に宛てるともつかない、のんきな遺言状を書いて置こうかな、という気持もどこかにあった”とあります。

【このような文章を気負わずに書くためには、やはりある程度の年齢になることが必要だったろう。若年の者がエッセイを書くのに不向きなのは、経験の多寡が問題なのではなく、自分の存在している位置を見定めることが難しいからだ。しかし、向田邦子は、その年齢と、思いもかけぬ病という二つの要因によって、二つの直線が交わることで一点が確定されるように、自分の位置というものを無理なく見定めることができたにちがいない。
「経験」と「記憶」と「位置」。そのどれが欠けても『父の詫び状』が生まれることはなかった。】
≪以上、沢木耕太郎:解説。若い自分に「解説」を書くことを委ねてくれた向田本人に、この文章を届ける(読んでもらう)ことが出来ずにご本人亡くなってしまうこととなる。≫

さて、向田さんの本文ですが、これは紹介しているときりがないです。もう本を持った方が賢明。
その中からもいくつかあえて(私の備忘録として)。
【(母親に海外旅行をプレゼントし、見送りに。)~母の乗っている飛行機がゆっくりと滑走路で向きを変え始めた。急に胸がしめつけられるような気持になった。
「どうか落ちないで下さい。どうしても落ちるのだったら帰りにして下さい」】
せめて、楽しい旅行を味わってから、の娘の心境。なぜだか飛行機墜落がらみのエピソードがいくつも出てくること、読者としても不思議でならない。

【~こういう時の子供たち(向田家は4人姉弟妹)のいでたちというのが全員パジャマに毛糸の腹巻なのである。】
泊り客が来たくだり、湯たんぽのエピソードはなんともほほえましい。≪子供たちの夜≫

戦争時のことも。
【「空襲」 この日本語は一体誰がつけたのか知らないが、まさに空から襲うのだ。】

父親の職業柄、転校を何度も経験した。
【「しっかりご飯を食べてゆけ。空きっ腹だと相手に呑まれるぞ」 朝の食卓で、大きなご飯茶碗を手に、父が演説する。~いじめられるかどうかは、この一瞬で決るんだぞ、といいながら朝刊を持った父がご不浄に立ってゆく。~祖母は、母を突いて忍び笑いをしながら、「お父さん、自分のこといってるよ」~~子供たちと一緒で、父も新しく支店長として乗り込むのである。】≪隣りの匂い≫

小学校3年からの3年、鹿児島で過ごす。
【夏目漱石全集、明治大正文学全集、世界文学全集…一冊を何日かけて読んだのか、いや子供心にどれほどのことが判ったのか、今にして思えば、何故あと三年五年待って、もう少し分別がついてから読まなかったのか全く悔まれるのだが、とにかく鹿児島にいた足かけ三年の間に、このへんのところは全部「読んだ」ようだ。】
【平凡なお嫁さんになるつもりだった人生コースが、どこでどう間違ったのか、私はいまだに独り身で、テレビのホームドラマを書いて暮している。格別の才もなく、どこで学んだわけでもない私が、曲りなりにも「人の気持のあれこれ」を綴って身すぎ世すぎをしている原点-というと大袈裟だが-もとのところをたどって見ると、鹿児島で過ごした三年間に行き当る。】≪薩摩揚≫
精神は見事に早熟だったのでしょう。それにしても少女が記憶したわずか10歳前後からの数年間で培われた感受性…、それをひたひたとわからせてくれる作品集であります。

今、一冊だけ無人島に持って行きなさい、というなら、何度も読み返してもまちがいなく耐えてくれる、この本ですね、私。

(おそらく初版の単行本を母が持っていたらしいのですが、グルグルと親きょうだいに回ったらしく我が家の蔵書としては今はどこにあるのかわからないそうです。いつか自分で買っておきます。)

ホームドラマ作りを仕事としていた人による文章だからなのでしょう、1つ1つがまさに目に浮かぶ随筆集です。
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かけがえのない贈り物―ままやと姉・向田邦子 [向田邦子と妹・和子]

かけがえのない贈り物―ままやと姉・向田邦子 (文春文庫)

かけがえのない贈り物―ままやと姉・向田邦子 (文春文庫)

  • 作者: 向田 和子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1997/11
  • メディア: 文庫

現在出版されている和子さんの著作として私が最後に読むことになってしまったが、実はこれが妹さんの第一作目です(初版は94年)。
そしてこれが、私は一番好きかも知れません。
和子さん自身のことが一人称で書いてあるから。
姉あっての和子さんではあったかもしれないけれど(姉ながら第二の母だったと)、
やはり和子さんは和子さん。
とても好感がもてた一冊でした。
そしてこれが好評だったから、次の執筆依頼もきたのでしょう。

20年営業した、料理屋「ままや」を中心にいろいろと書かれています。
(もう閉まってしまった「ままや」だけれど、そのメニューのいくつかを大切に守っている当時の板前さんによる店が、今も新橋にあることが↓前書「向田邦子 暮しの愉しみ」よりわかりました。どなたかいつかご一緒してくれたら嬉しいです・笑。
参考までに貼らせてもらいました

【姉の四十九日までのことは書きたくない。】
見事にその部分の詳細は抜けている。でも、この本のあと和子さんは別の数々の著書で数年後には書いてくれている。時間が必要だったのだろう。
実際には“姉の髪の毛をブラシより探したり、歯形を探したり…”、マスコミに追いかけられたり、酷な現実が続いたそうだ。

邦子さんの亡き後、その愛猫マミオが死を迎えた話は、何回読んでもじんとくる。
【「マミオ、ありがとう! お姉ちゃんありがとう! マミオをお返しします。~マミオを預からせてもらって楽しかった。~」
マミオの死は、ただの猫の死ではなかった。姉の死がもっともっと身近に迫ってきた。
今までは、どこかで姉が長い旅に出ている、そんな錯覚にとらわれていたのだった。
もう本物、逃げ道がない。】

【姉のさりげない一言が深い重大な意味を持っていたこと、そして私が全く気づかずに通り過ぎてしまった、言葉に出さない姉の沈黙の部分の、限りないやさしさと思いやりにも、「あっそうか、そうだったのか!」と、十数年経った今になって、やっと気がつきました。】

…カテゴリーに『向田邦子と妹・和子』をつくりました。
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向田邦子の青春,向田邦子 暮しの愉しみ [向田邦子と妹・和子]

向田邦子の青春―写真とエッセイで綴る姉の素顔 (文春文庫)

向田邦子の青春―写真とエッセイで綴る姉の素顔 (文春文庫)

  • 作者: 向田 和子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2002/08
  • メディア: 文庫

サブタイトル通り、若き日の写真がいっぱいの本。撮り手がいた(「向田邦子の恋文」にあるお相手)ともいわれていますが、これだけたくさんキマッたポーズで残っているのもすごいし、うらやましいと思います。

文章の中に「利発」とありました。
そう、向田邦子さんはまさに「利発」という言葉がぴったりの女性では。

【姉は十代の後半から二十代にかけて、弟妹たちによくセーターや手袋を編んでくれた。~
姉はどんな服であっても、何日もかけて作るということはなかった。「今晩スカートを作る」と決めたら、その一晩で作った。】
器用さももちろん、人並み以上の集中力はその後の仕事にも生きていたことでしょう。

【姉はメモを取るという習慣はなかった。必要なことは覚えていた。大切なことは忘れなかった。
~むろん日記も書いたことがなかった。】
やはり「利発」。幼い頃の記憶をあれだけ鮮明に綴れる…自分にとって大事なことは決して忘れなかった人なのでしょう。

<とんぼの本>向田邦子 暮しの愉しみ

<とんぼの本>向田邦子 暮しの愉しみ

  • 作者: 向田 邦子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/06/25
  • メディア: 単行本

末妹の和子さんが98年まで営業した「ままや」の評判料理を中心に、写真ばかり並んだ本。
「さつまいものレモン煮」、ああ美味しそう。

邦子さんは「思い出トランプ」で直木賞をとったこともあってか(その半年後、S56年に台湾航空機事故で亡くなった・享年51歳)、海外旅行先では『トランプ』をたくさん買い求めてはみなに配っていたという。

『トランプ』…これ、ほうぼうの旅先で買ってくる、というの、なんだかイイ気がしました。国によって特徴もありそう、でも遊び方は万国共通しているし。絵柄もいろいろ揃ったら楽しそう。必ず使ってもらえそうだし。
(って、私は海外旅行をこの先するチャンスが巡ってくるかはかなり?ですけれど。)
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のんびりします:お盆 [向田邦子と妹・和子]

読後感をためています。
池田(晶子)哲学ワールドに感じ入り、そして向田ワールドにまだまだ浸っています。
私もこの歳になってようやく向田作品に本当の意味でがっちり出会えたのだと思います。

長期予報通り、暑い夏です。これからしばらくクーラーなし(我が家はつけない)生活。出勤している方が私は涼んでいられるのです。

休みの初日の明日はおたのしみが2つ。
あとの休みはもろもろの雑用こなして過ごす。高校野球も見たいです。

Ayuの宿題もちゃんとみなきゃ。この休みに大方済まさせないと。(前期・後期制だからか28日から学校なのです。)
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向田邦子の遺言 [向田邦子と妹・和子]

向田邦子の遺言 (文春文庫)

向田邦子の遺言 (文春文庫)

  • 作者: 向田 和子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 文庫

妹作:向田邦子本の2冊目として読む。
読む人は高齢だと設定したのか。この文春文庫、活字が大きくて読みやすい。

【~いろんな状況で何かをやるとき、表だって具体的に指示をする姉では決してなかった。
「私は人生や自分の家族について、こう考えているので、こうやります。あなたも、考えて、やってね」
この「遺言書もどき」も、事務的な文書の装いの裏に、姉の肉声が騙し絵になったり暗号になったりしながらちりばめられている。そう私は実感するようになったのだ。
それで、まずこの遺言状が私に語りかけているのが、「言いたいことがあったなら、人生の別れが来る前に言うべきだ」という教訓だと私は覚った。とすると、姉が姉の思いを潜ませたこの遺言状の始末も、私が生きている間にしておかなければならない。私が託されたのだったら、自分で最後まで責任を持たされなければいけない。
私も、あと何年生きられるか分からないけれど、自分できちんと判断できるときに、自分の手できちんとしたい。
もしも今、表に出さなかったら違う人の手に渡って違う形になるかもわからない。だから、そういう意味でも、自分で判断がつくときに出すべきだ、と考えたのだ。】
長い引用になった。チェーホフの妹、と、一緒だ。家族が家族のことを自分がしっかりしているうちに正しく整理しておきたい、という願いと役目。(←これがきっかけで今回も手をつけたわけだが。)
http://blog.so-net.ne.jp/eri-green/2007-07-01-1

実際の、その「遺言もどき」の内容(時期の違う2通がある)は、この本でどうぞ。
お金のことも(母、きょうだいへの分配)ちゃん書いてあります。それを全部公開しています。
邦子さん(S4年生まれ・S56年死亡)には子どもがなかったから、きょうだいに分けるしかなかった。
そしてこの4人きょうだいで、結婚したのは次女だけ。台湾での死を受け、とんでいった長男(弟)も生涯未婚のまま、その後65歳の若さでひとりマンションで倒れているところを発見されました。
この著者、妹和子さん(S13年生まれ)も独身。

【(邦子遺書より)~どこで命を終るのも運です。体を無理したり、仕事を休んだりして、骨を拾いにくることはありません。】

【(S56年)8月末は、実はシルクロードに行く予定だったのだが、政情が不安定だというので取り止めていた。でもスケジュールは空けてあったので、急遽、目的地を台湾に変更したのだ。】

邦子は猫をかわいがっていた。主人が亡くなったあとも、生き続けた猫「マミオ」。
【(4年後、マミオ亡くなる。)母と私はありったけ泣いた。姉が亡くなったときには涙さえ出なかった二人だったが、このときはありったけに泣いた。
それは、マミオと姉の思い出がないまぜになった、やるせない涙だった。】
ここ、涙のツボだ。

【姉は生命保険には一切入っていなかった(父親が保険会社に勤めていたのに)。~父親の顔を立てて、なんていう発想は持たなかった人だし、そもそも生命保険という制度そのものに関心がなかったようだ。
『紺の背広で会社へ通い、キチンと月給袋を持ってくる男。35歳になったらローンで家を建てる、と人生の青写真が出来ている男』を徹底して軽蔑していた姉は、そういう男が律儀に加入しているに違いない生命保険も、軽蔑の対象にしていただろうことは容易に想像がつく。】

但し、海外旅行に行く時は「旅行保険」に入っていたそうだ。受取人は和子さん。
でも、その時は行き先が直前に変わったこともあって「旅行保険」はかけていなかった。

が、
【~ちゃんとした旅行会社では入らなかったけれど、飛行機に乗るときに、空港で自動でガチャーンとやるのには入っていたのだ。そのことは、事故の後、保険会社からの電話で判った。】
やっぱり飛行機に乗る際は、一応覚悟、でしょうか。

『父の詫び状』『眠る盃』(向田邦子著)の2冊はいずれ読まないと、です。
後書に、和子さんが学童疎開した時の父とハガキのエピソードが載っているそうです。これ、この文庫本書に紹介されていますが(p173~)、泣かせます(“字のない葉書”)。

和子さんは、姉の意向もあって(それがほとんどかな)「ままや」という料理店を開いていました。
【私が保険会社のOLを辞めて軽食喫茶の店を始めようかと考えたときも、「安全だけど退屈な場所に一生いても、絵にならないものね」と賛成してくれたのは、姉だった。その喫茶店に飽きたらなくなって、何か料理を扱う店でもやりたいなと、ボンヤリ考えるだけで実行に移す気概のない私に、カツを入れてくれたのが、姉だったのだ。
私の心もとない願望に、姉は自分の死の予感を重ね合わせ、それで「私には時間がないの」とせき立てながら、しゃにむに「ままや」を興したのだ。】
乳癌の発病がきっかけで、放送作家としてだけでなく、随筆を書き始めた邦子。
常に「死」を身近に感じながら生きていたのかもしれない。
それでも直木賞をとった翌年に飛行機事故で命を落とすとは思っていなかったことでしょう。

まだまだ付箋箇所はありましたが、このへんで。
和子さんの著書に限って(いろいろな人が向田邦子のことは書いていますが)、邦子の人生を振り返ってみようかと思います。あと3冊、あるかな。

《純情きらりより・太宰家の家族》《無言館館主・窪島誠一郎という人と人生》《向田邦子の秘められた一生》の3本は、この頃の私の読書の主題でしょうか?
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向田邦子の恋文 [向田邦子と妹・和子]

向田邦子の恋文 (新潮文庫)

向田邦子の恋文 (新潮文庫)

  • 作者: 向田 和子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 文庫

深かったです。哀しいというか、ジーンときて。
作家邦子は長女、そのあと長男、次女、三女。三女和子さんの著。お姉さんの血、ありますね。十分、文章が上手です。上手というか、ひややかにさらっと、が、邦子さん調、ですよね。

前半は、邦子が33歳(S38年)頃、懇意にしていた「N氏に宛てた手紙」&「N氏自身の日記」を連動して紹介しています。
邦子は作品を書くために缶詰になったホテルから、まるでメールのようなつぶやいている言葉で埋めつくした手紙を出しています。世話女房のようでありながら、一方で自分の実家の家族を守るためにも生活していました。
N氏には妻子がありましたが、既に別に住み、離れに実の母親がいる住まいで暮らしていました。病も患っていました。記録映画のカメラマンだったということで、N氏が撮影したと思われる若き日の邦子の美しいポートレートが残っています。

【整理整頓は姉の数少ない苦手なことだった。むしの知らせでもあったのか。】
飛行機事故にあった台湾へ行く前だけは、マンションがきれいだったのだそうだ。

【二十畳の部屋にスチール製の整理棚が三箱あった。姉好みでない素材なので違和感を持ったが、抽斗(ひきだし)ごとに「説明書」「スクラップ」「年金」「保険」「(外)旅行」「手紙」「名刺」「要返・切」「う」等々、見出しが付いている。
「う」は“うまいもの”の略である。取り寄せたいものの新聞や記事やチラシを破ったり、ちぎったり~していた。】

【所有していた、中川一政の(もうひとつの)書は、
 もう、我は駄目だと思ふ時もある やつてゆかうといふ時もある】

【母(向田せい:現在100歳近いはず)の決定はいつもギリギリに下される。長男の保雄、次女の廸子(みちこ)、三女の私が思い思いにああだ、こうだと言うのを黙って聞いて、泳がせておいて、ここ一番というときに言葉少なく、感情を表にあまり出さず、きっぱりと「お母さんはこうします」と宣言する。
姉の遺品をどうするか、というときも、そうだった。】

最後の最後を読むまで、N氏は病死だと思って私は読んでいた。
【死の2年前、N氏は脳卒中で倒れ、足が不自由になり、働けない状態にあった。私がそのことを知ったのは、姉の死から20年経った平成13年の夏、姉の“秘め事”を自分の責任において公開しておいた方がいいと決めたからである。NHKの衛星放送が没後20年のドキュメンタリー番組をつくり、そのなかで紹介された。番組の制作スタッフが調べてくれたところ、N氏は自ら死を選んだという。】

沢村貞子さんの恋、も重ねて私は思い出していた。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/Eri-to-Ayu/sub24.html#sawamurasadako

…手にする出会いがあってよかったという本。続けて妹・和子さん著を読みます。
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