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向田邦子の遺言 [向田邦子と妹・和子]

向田邦子の遺言 (文春文庫)

向田邦子の遺言 (文春文庫)

  • 作者: 向田 和子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 文庫

妹作:向田邦子本の2冊目として読む。
読む人は高齢だと設定したのか。この文春文庫、活字が大きくて読みやすい。

【~いろんな状況で何かをやるとき、表だって具体的に指示をする姉では決してなかった。
「私は人生や自分の家族について、こう考えているので、こうやります。あなたも、考えて、やってね」
この「遺言書もどき」も、事務的な文書の装いの裏に、姉の肉声が騙し絵になったり暗号になったりしながらちりばめられている。そう私は実感するようになったのだ。
それで、まずこの遺言状が私に語りかけているのが、「言いたいことがあったなら、人生の別れが来る前に言うべきだ」という教訓だと私は覚った。とすると、姉が姉の思いを潜ませたこの遺言状の始末も、私が生きている間にしておかなければならない。私が託されたのだったら、自分で最後まで責任を持たされなければいけない。
私も、あと何年生きられるか分からないけれど、自分できちんと判断できるときに、自分の手できちんとしたい。
もしも今、表に出さなかったら違う人の手に渡って違う形になるかもわからない。だから、そういう意味でも、自分で判断がつくときに出すべきだ、と考えたのだ。】
長い引用になった。チェーホフの妹、と、一緒だ。家族が家族のことを自分がしっかりしているうちに正しく整理しておきたい、という願いと役目。(←これがきっかけで今回も手をつけたわけだが。)
http://blog.so-net.ne.jp/eri-green/2007-07-01-1

実際の、その「遺言もどき」の内容(時期の違う2通がある)は、この本でどうぞ。
お金のことも(母、きょうだいへの分配)ちゃん書いてあります。それを全部公開しています。
邦子さん(S4年生まれ・S56年死亡)には子どもがなかったから、きょうだいに分けるしかなかった。
そしてこの4人きょうだいで、結婚したのは次女だけ。台湾での死を受け、とんでいった長男(弟)も生涯未婚のまま、その後65歳の若さでひとりマンションで倒れているところを発見されました。
この著者、妹和子さん(S13年生まれ)も独身。

【(邦子遺書より)~どこで命を終るのも運です。体を無理したり、仕事を休んだりして、骨を拾いにくることはありません。】

【(S56年)8月末は、実はシルクロードに行く予定だったのだが、政情が不安定だというので取り止めていた。でもスケジュールは空けてあったので、急遽、目的地を台湾に変更したのだ。】

邦子は猫をかわいがっていた。主人が亡くなったあとも、生き続けた猫「マミオ」。
【(4年後、マミオ亡くなる。)母と私はありったけ泣いた。姉が亡くなったときには涙さえ出なかった二人だったが、このときはありったけに泣いた。
それは、マミオと姉の思い出がないまぜになった、やるせない涙だった。】
ここ、涙のツボだ。

【姉は生命保険には一切入っていなかった(父親が保険会社に勤めていたのに)。~父親の顔を立てて、なんていう発想は持たなかった人だし、そもそも生命保険という制度そのものに関心がなかったようだ。
『紺の背広で会社へ通い、キチンと月給袋を持ってくる男。35歳になったらローンで家を建てる、と人生の青写真が出来ている男』を徹底して軽蔑していた姉は、そういう男が律儀に加入しているに違いない生命保険も、軽蔑の対象にしていただろうことは容易に想像がつく。】

但し、海外旅行に行く時は「旅行保険」に入っていたそうだ。受取人は和子さん。
でも、その時は行き先が直前に変わったこともあって「旅行保険」はかけていなかった。

が、
【~ちゃんとした旅行会社では入らなかったけれど、飛行機に乗るときに、空港で自動でガチャーンとやるのには入っていたのだ。そのことは、事故の後、保険会社からの電話で判った。】
やっぱり飛行機に乗る際は、一応覚悟、でしょうか。

『父の詫び状』『眠る盃』(向田邦子著)の2冊はいずれ読まないと、です。
後書に、和子さんが学童疎開した時の父とハガキのエピソードが載っているそうです。これ、この文庫本書に紹介されていますが(p173~)、泣かせます(“字のない葉書”)。

和子さんは、姉の意向もあって(それがほとんどかな)「ままや」という料理店を開いていました。
【私が保険会社のOLを辞めて軽食喫茶の店を始めようかと考えたときも、「安全だけど退屈な場所に一生いても、絵にならないものね」と賛成してくれたのは、姉だった。その喫茶店に飽きたらなくなって、何か料理を扱う店でもやりたいなと、ボンヤリ考えるだけで実行に移す気概のない私に、カツを入れてくれたのが、姉だったのだ。
私の心もとない願望に、姉は自分の死の予感を重ね合わせ、それで「私には時間がないの」とせき立てながら、しゃにむに「ままや」を興したのだ。】
乳癌の発病がきっかけで、放送作家としてだけでなく、随筆を書き始めた邦子。
常に「死」を身近に感じながら生きていたのかもしれない。
それでも直木賞をとった翌年に飛行機事故で命を落とすとは思っていなかったことでしょう。

まだまだ付箋箇所はありましたが、このへんで。
和子さんの著書に限って(いろいろな人が向田邦子のことは書いていますが)、邦子の人生を振り返ってみようかと思います。あと3冊、あるかな。

《純情きらりより・太宰家の家族》《無言館館主・窪島誠一郎という人と人生》《向田邦子の秘められた一生》の3本は、この頃の私の読書の主題でしょうか?
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