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津島佑子 土地の記憶、いのちの海① [太宰治と家族たち]

津島佑子: 土地の記憶、いのちの海

津島佑子: 土地の記憶、いのちの海

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/01/20
  • メディア: 単行本

2016年2月18日(もう2年経った)に亡くなったのを受けて、出版された。由縁ある方や文芸評論家からこのたび寄せられたもの、それら生前もの、ご本人の対談などを収録。第三者が考える津島佑子さんの作風&研究としては超一品の一冊と思います。そして、これを読むと「一筋縄で説明できないのが津島さん」像が浮かび上がります。
当初、NHKでなぜ追悼番組がひっそりとでも放映されないのかと思った私ですが、1時間で収まるようなものではなく、へんに父親像と絡めても…ですし、あとは出版物にまかせたのだと納得いたしました。
私は津島さんに興味を持ち続けつつも、まだまだ作品は読んでいません。この本は、今後読み進めていく上でとても刺激されるポイントが詰まっていて、このまま図書館に返却してしまうのは惜しいばかりですが、あとは向田さんを全部読んだ時に「全集を揃えて手元に置きたい」と感じたように、津島さんも「全集か~?」(一生モノとして)などと思っています。

自分の記憶はない1歳で父親を亡くし、母ひとりに育てられ、13歳で大好きだった兄(知的障害あり)、そして自分の息子も失った津島さん。実父と結びつけられることは嫌いましたが、生涯避けられなかったことでしょう。特別だった兄の存在、最愛の子をなくしたこと、韓国、アイヌ…みんなつながって書いてきたのだと思います。

2010年、山梨県立文学館でのご本人の講演より ↓《こういうのに足を運んでいればよかった…悔やむ》。
【~私の家族は母と子ども3人のあわせて4人家族でしたけど、真ん中の子どもには知的障害がありました。だから家族はそれまで世間から隠れるように部屋の中に身を潜めて暮らしていました。もちろん部屋の中にいると楽しいんですよ。なにしろ子どもですからね。~特に知的障害の兄は、学園には通っていましたけど、世間に出るようなことはしないままきていましたから、旅行という形で外に出るのはやっぱり初めてだったと思います。~兄は頑固ですから、一度機嫌を損ねると何が何でも動かないという感じになるんですね。~母は母で、こんなはずじゃなかったと不機嫌になる。その母の様子を見た子どもたちはますます不安になる…と、負の方向にどんどん転げ落ちていく、その空気だけをよく覚えているんです。それが私にとっての旅行と言える最初のものだったと思います。~】

娘の香以さんが寄せた文章に、津島さんの凛とした姿勢がよめる。
【(大学の卒業を前に)「国家公務員の試験でも受けようかな。」と母に相談した。母は賛成とも反対とも言わず、国家公務員になるなら、国が間違った方向に進んでいると思ったとき、どうするのか考えておいた方がいいと言った。そんなことは考えてもいなかったので、動揺し、苦し紛れに「いくらなんでも戦争になったら反対するよ。」と言い返した。母はそれ以上なにも言わなかった。】
【「湾岸戦争に反対する文学者声明」を出す以前から、母は社会参加には積極的だった。中学から入学した女子校では生徒会をつくり、大学では制服に反対して私服に変えさせた。(学生運動などをふまえ)~声をあげれば変えられると思えたのだと、母は何度も繰り返し言っていた。】
【一方で、簡単に声を上がることができないこと、言葉にできないことがあることも、母はよく知っていた。私の弟がこの世からいなくなった後、「子を失った母親」という型に押し込まれることに、母は必死で抵抗していた。少なくとも私にはそう見えた。~】
つづく。 
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