SSブログ

津島佑子 土地の記憶、いのちの海② [太宰治と家族たち]

続き。
伊藤比呂美(詩人)さん。
【津島さんに言われたことがある。「比呂美さん、やりたいことは我慢していないでやるのよ、人間なんていつどうなるかわからないんだから。」】
【文学というものを太宰治から入った私としては(※これは意外!)、津島さんは津島さんと思いつつも、太宰を感じると震撼した。津島さんのお宅に『ヴィヨンの妻』の原稿を見に伺ったこともある。津島さんがふと、「(太宰の小説を)12歳の時にぜんぶ読んだのよ、自分が出てくるかどうか知りたくて」と言うのも聞いた。そのたびに震撼した。】
そうだったのか。もしかしたらあんまり読んでいないのかなとも思っていた。素直に、この気持ちがわかる。完全に父親に後ろ向きではなかったと。

松浦理英子さん(作家)。
どうも津島さんに謝りたい何かを持っていた作家たちは多かったようです(そして叶わなかった)。いろいろな媒体で互いに作品を評価した文章を発表するからでしょうか。その当時はそれを深く読めていなかった~という反省がそれぞれにあるようです。
それでも津島さんは、再会の場で、何事もないように接してくれたと。その笑顔に救われた。どちらかといえば、気難しそうにみえる人だったと想像します。

申京淑さん(作家)。
「山のある家井戸のある家」の人です。絶版になっているようですが、私は是非ともこの本はいつか手に入れたいです。津島さんの少女のような心情が詰まっていました。
【あなたの作品はいかなるものをも美化することがありませんでした。少数者に対する慈しみと愛はいつも尊敬の念を抱かせ、あなたが生まれた国をも客観的に見つめられるバランスのとれた視線は、私に大きな影響を与えてくださいました。】
【~爆笑するほどウイット溢れる対話が、辛くなるほど恋しい時があります。私はあなたと別れたとは思っていません。わたしはこちらにいて、あなたはそちらにいらっしゃるだけです。もう息子さんとは会われたことでしょう。そうですよね?そちらでもお元気でいらっしゃいますか。】

そして、上記の訳も行った、きむふなさん(翻訳家・「山のある家井戸のある」訳もこの方)。
【津島さんの訃報は韓国のほとんどの新聞に報じられ、読者に大きなショックを与えた。~津島さんが旅立った2016年、韓国は、世界はますます混沌とし、明日が読みにくくなっている。いま、私は何を考え行動すればいいのか、真摯な眼差しで社会を、人間を見つめてきた彼女の声が聴きたい。】

ル・クレジオさん(作家。今福龍太・文化人類学者との対談より。ここでは訳も担当)。
【彼女の生には調停しがたい葛藤が横たわり、書いたもののなかにその葛藤は現れています。すべての人間と同じく、彼女の性格には複雑な翳があり、厳格さと移り気が同居していました。】

ジェラルディン・ハーコートさん(翻訳家)。
【作品世界をグローバルさせなかった作家。…津島さんは、特に2000年代に入ってからは以前より英訳しにくい作品を書くようになった。~複数の語り手の意識が入り混じるその入れ子的構造は英訳者に悲鳴をあげさせる。~津島さんは熱心に日韓、日中、日印の付き合いに力を入れていた。その仕事ぶりをみると、英訳に頼る安易な「グローバル化」より、アジアにおけるローカルな行動に意義を見出していたようだ。~最後まで自分の作品を短絡的にグローバル化させることなく、新しい形の「世界文学」の一翼を担うことをめざした。】
津島さんらしい、と思う。

川村湊×高澤秀次(どちらも文芸評論家)対談より。
【(高澤)~父から与えられる慰めみたいなものを津島佑子という作家は作品に託していて、自身の深層意識にそういうものがあるということを隠さず何度も書いている。~】

杉田俊介さん(文芸評論家)の論考にいたっては、私にとっては特記事項が多すぎて、もうここではほぼ割愛《私はもうこの本を持っていた方がよいよね・笑》。最低限の整理のみ、以下。
【津島佑子は1947年生まれ。太宰治の次女。彼女が1歳の時に、父は死んだ。6歳年上の姉園子と、3歳年上の兄正樹とともに、母子家庭で育った。佑子にとって、ダウン症の兄は、特別な存在だった。佑子が12歳の時、兄は肺炎で亡くなった。】
【長男の大夢は、8歳の時に、呼吸発作によって浴室で急死している。『夜の光に追われて』等で、津島は我が子の死を小説に書いた。もともと国内外の様々な文学や物語の豊饒な歴史を参照してきたが、特に1990年代以降になると、自らの小説と古典文学や様々な民族の物語などを雑ぜ合わせ、孤児や少数民族、障害者や動物など、周辺や底辺で生きることを強いられた者たちとの側から現実を見つめるようになった。歴史的に排除され、存在しなかったことにされていく人々に共感し、寄りそい、時には憑依しながら、独自のハイブリッドで重層的な語りを練り上げていった。父親の太宰治については、最後まで葛藤を抱え続けたようだが、本格的な小説作品を書くことはできなかった。2016年の2月18日に亡くなった。】

津島佑子×中上健次(作家:「兄」のように慕っていた・影響大)の対談も収録(割愛)。

もちろん、私が講演を聴いた、堀江敏幸さん(作家)の文章もあった(「記憶の渦から逃げ出さないこと」)。

ずいぶんと長く、延長を繰り返して借りていました《図書館、どこも今は利用者自身での貸出手続きがほとんどと思われますが、返却期限内で、次の予約者がいなければ、図書館員を介することなく、本を読み込めば延長できることを最近知りました!!》。
足を運んだ展覧会の冊子も、ゆっくりと目を通せていません。
このまま、津島さんを読んでいく、は続けます。
nice!(0) 

nice! 0