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黄犬(キーン)ダイアリー [よんでみました]

黄犬(キーン)ダイアリー

黄犬(キーン)ダイアリー

  • 作者: ドナルド キーン
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2016/10/07
  • メディア: 単行本

ドナルド・キーンさんは現在94歳《1922年ニューヨーク生まれ》。2012年に正式に日本国籍を取得。そして、人形浄瑠璃の三味線弾きだった誠己(せいき)さん《1950年新潟市生まれ》を養子にされました(詳細略)。本書の後半(全体の5分の1)は誠己さんの文章です。親子どちらも、ここ数年の新聞での連載より。
お元気ではありますが、最期の地は日本と決めており、今後の整理やもろもろの管理を安心してまかせられる人…の存在は不可欠であったということでしょう。10年前の誠己さんとのめぐり合いが、キーンさんの余生の決心を大きく押したことも間違いないかと。
東日本大震災における日本人の姿…も理由でした。
【被災地では暴動が起こるでもなく秩序は保たれ、避難所では少ない食料を分け合い、子どもが高齢者の手を取って支え合った。その光景に世界は涙した。~「日本人と一緒に生きたい」と。】
「石川啄木」に関する執筆に集中していたキーンさんは、新聞社に連載は無理だと伝えましたが、得意な方である英語で書き、日本語訳をしてもらい、本人の厳しいチェックのもと~という条件で実現した、とことわりがありました。

これだけの時代を超えてきているからこその、谷崎やら三島やらとの交流がやはりすごい。世界へ向けての『英語訳』を担ってきたキーン氏でもあるので当たり前なのかも、しれませんが。
【日記は日本文化の一つである。~大人になってからは書いたためしがない。だが、それで後悔することがある。例えば以前、谷崎潤一郎の自宅に招かれたとき志賀直哉がいて、大作家二人との対談に参加した。二人の姿は覚えているのだが、話の内容を思い出せないのだ。
当時、私は記憶力が抜群で「忘れるはずがない」と思っていた。ところが、年を取って忘れることを覚えたのだ。せめて、日記に残していれば、と思うが後の祭りである。】

【反戦主義者の私が通訳士官となった理由の一つが、何か特別な情報を入手して、一日でも早く戦争を終わらせようという思いだった。それはついぞ果たせなかったが、平和への思いは絶えることはない。~戦後、日本は一人も戦死していない。素晴らしいことだ。ところが~(略)
私は戦争体験者として、国際問題の解決には軍事行動を取るべきではないと思っている。~】
【(指揮者・小澤征爾と対談)太平洋戦争を知り、海外から日本を俯瞰してきた私たちは、戦後の平和憲法がどう評価され、日本がどう見られているかを肌で分かっている。二人とも徹底した平和主義者なのは、そんな共通体験があるからだろう。対談で小澤は、最近の日本について、戦争を知らない政治家ばかりになっていることを懸念して「何か落とし穴が待っているような気がする」と漏らした。私も全く同感だった。】

「キーンさん」のことを、誠己さんは書いている。
【1942年2月に19歳で米国海軍の日本語学校に入学し、一か月で日本語を習得の後、20歳で情報将校としてハワイに派遣され戦場に残された書類を翻訳し、戦死した日本兵の身体から抜き取られた、時には血痕さえ残る手帳の日記を解読したり、捕虜を尋問したりした。21歳で~日本軍最初の玉砕を目の当たりにした。22歳の4月から沖縄戦に参戦し、8月6日グアム島で原爆を知り、15日捕虜たちと玉音放送を聞いて終戦を迎えた。23歳だった。】

キーンさんは日本の古典文学だけでなく、日本を祖国以上に愛している研究者だとはもちろん知っているし、戦争中に通訳の務めをしていたことも承知していた。若くして日本文学との出会いがまずあったからこそ辿りついた道だが、あらためて戦前、国として日本の情報を得るための日本語だったことも同時に思い知った気がしています。
そういう時代の中にあり、日本兵への寄り添いも当時から十分持っていたご本人は、さぞ複雑だったことでしょう。
新潟県柏崎市にドナルド・キーン・センター柏崎があることはこの本で初めて知りました。いつかじっくり訪ねることができたらと思っています(冬期は休館あり)。特に、終戦前後の資料に興味を持つ。

また、憂いておられるのは、最近大学でも「日本文学」(いわゆる『文学部』)に重きがおかれていないこと。古典は原文からではなく、やさしくかみ砕いた現代語訳(例えば『源氏物語』など)からでまずよいのだから、優れた日本文学をもっと知って欲しいと。いきなり古語原文から入る、今の教育の方法は間違っているとも書いておられました。
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