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記憶喪失になったぼくが見た世界 [よんでみました]

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

  • 作者: 坪倉優介
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2011/01/07
  • メディア: 文庫

1970年大阪生まれ。大阪芸術大学芸術学部卒。89年交通事故で記憶喪失になる。94年京都の染工房に入社。01年草木染作家としてデビュー。05年「優介工房」を設立。単行本は03年刊(改題)。
読む前の想像と違っていた。。。
著者本人の、ひらがながやさしい。母、父のよさ、がしみじみ伝わる。母の記録は、親として、響いた。
【1989年6月5日、スクーターがトラックに正面衝突。意識不明の重体。集中治療室に入って10日間、奇跡的に目が覚める。しかし、両親のことも、友人のことも、そして自分自身のことさえも、何もかもすべて忘れていた。】

【(母)~でも私は、その頃になると、もう記憶は取り戻せなくていい、字が読めて、ご飯が食べられ、日常生活ができればいいと思うようになりました。たとえ親子関係はわからなくても、これからの生活の中で作り上げていけると思ったのです。】
【かあさんが「これは千円と言って、百円が十枚になるもの」と教えてくれた。】
【(母)~行方不明になって、明け方まで探しまわったこともありました。このようなときは、大学へ行かせるのは無理だと思いました(在学中に事故)。家にいるほうが安心だという思いが強まって、優介にかわいそうなことをしているのかもしれないと思いました。でも結局、生きていくということはそういうことだと割り切ったのです。辛くても自立させなければならない、記憶がなくて馬鹿にされても、それを受け入れてくれる人が、わずかでもいればいいではないか、と思いました。
もちろん大学で勉強しなくても、家で描いていてもよかったのかもしれません。でも、ともかく優介が「かあさん、ぼくには絵があってよかった」と言ってくれたときは、嬉しかったです。
絵という自己表現がある。その流れの中で自分が見えてきて、仕事とすることができたのですね。】
【~先生は実家で何をするのか聞いてきたので、ぼくは「おうちの建てかえです」と答える。すると、先生の顔つきが、その瞬間に変わった。「おうちじゃない、いえ と言え!」と怒って出ていってしまった。
友だちは苦笑いをしている。何があったのか、よくわからない。
「まあ、二十歳にもなって、おうちじゃなあ」と友だちは小声で言った。
なぜ「おうち」ではなくて、「いえ」と言わなくてはいけないのだろうか。】

その後、だんだん書く漢字も増えてくる。
母とは違い、大学継続に反対した父親だったが、その後、再び本人をスクーターに乗せる。乗せたかった。そのことにこだわった。
それぞれに父として、母として、の思いがあった。
「原点」を考えさせてくれた一冊だった。
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