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6月&7月 [振り返る&迎える]

≪振り返る6月≫
角館&田沢湖へ(20歳の記念に写真館で撮影も)☆☆☆☆☆・DCモーター扇風機買う☆☆☆・Ayu勤めるグループの手伝い☆☆☆☆

≪迎える7月≫
スーパー歌舞伎鑑賞・Ayu卒業高校夏祭り&販売担当&ダンス発表・自治会お祭り・Ayu満20歳・ロンドンオリンピックだ~(TV観戦)etc…
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情報交換

年に数回ある、Ayu作業所と同じグループ(作業所・通所・グループホーム)のお手伝いに(衿、午後より出勤)。簡単な夏の物品販売の仕分けなど。
残念ながら、知っているお顔はなかったが、最後のお茶では、初めてお会いしたお母さん、お父さんの自己紹介(子どもの仕事&生活紹介)ありで、昨年同様、有益だった。
学校を卒業してしまうと、情報交換不足になるのでこうして補わなければいけない。
Ayuの作業所で作っているおやつを振るまっていただけるのも実はひそかな楽しみ。今回は、かわいいクマさんのパンでした(カレー入り)。カメさんバージョンも。
当日作って本日中に召し上がってもらう、No防腐剤製品。ほぼパンは注文制です。

※後日、クマでなくブタだった↓ことが判明・笑。
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記憶喪失になったぼくが見た世界 [よんでみました]

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

  • 作者: 坪倉優介
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2011/01/07
  • メディア: 文庫

1970年大阪生まれ。大阪芸術大学芸術学部卒。89年交通事故で記憶喪失になる。94年京都の染工房に入社。01年草木染作家としてデビュー。05年「優介工房」を設立。単行本は03年刊(改題)。
読む前の想像と違っていた。。。
著者本人の、ひらがながやさしい。母、父のよさ、がしみじみ伝わる。母の記録は、親として、響いた。
【1989年6月5日、スクーターがトラックに正面衝突。意識不明の重体。集中治療室に入って10日間、奇跡的に目が覚める。しかし、両親のことも、友人のことも、そして自分自身のことさえも、何もかもすべて忘れていた。】

【(母)~でも私は、その頃になると、もう記憶は取り戻せなくていい、字が読めて、ご飯が食べられ、日常生活ができればいいと思うようになりました。たとえ親子関係はわからなくても、これからの生活の中で作り上げていけると思ったのです。】
【かあさんが「これは千円と言って、百円が十枚になるもの」と教えてくれた。】
【(母)~行方不明になって、明け方まで探しまわったこともありました。このようなときは、大学へ行かせるのは無理だと思いました(在学中に事故)。家にいるほうが安心だという思いが強まって、優介にかわいそうなことをしているのかもしれないと思いました。でも結局、生きていくということはそういうことだと割り切ったのです。辛くても自立させなければならない、記憶がなくて馬鹿にされても、それを受け入れてくれる人が、わずかでもいればいいではないか、と思いました。
もちろん大学で勉強しなくても、家で描いていてもよかったのかもしれません。でも、ともかく優介が「かあさん、ぼくには絵があってよかった」と言ってくれたときは、嬉しかったです。
絵という自己表現がある。その流れの中で自分が見えてきて、仕事とすることができたのですね。】
【~先生は実家で何をするのか聞いてきたので、ぼくは「おうちの建てかえです」と答える。すると、先生の顔つきが、その瞬間に変わった。「おうちじゃない、いえ と言え!」と怒って出ていってしまった。
友だちは苦笑いをしている。何があったのか、よくわからない。
「まあ、二十歳にもなって、おうちじゃなあ」と友だちは小声で言った。
なぜ「おうち」ではなくて、「いえ」と言わなくてはいけないのだろうか。】

その後、だんだん書く漢字も増えてくる。
母とは違い、大学継続に反対した父親だったが、その後、再び本人をスクーターに乗せる。乗せたかった。そのことにこだわった。
それぞれに父として、母として、の思いがあった。
「原点」を考えさせてくれた一冊だった。
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ピアノ宿題 [Ayuピアノ]

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久しぶりに、ピアノについて(月2回で、続けております)。
毎回、宿題が出ます。先生手書きの、左手ヘ音記号、右手ト音記号の楽譜。ドレミ~の読みを入れるのですが、なかなか…。わかっているようで、わかっていない。これは、直し直したあと。
「ド」だけはよくわかってます・笑。
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台風あとの雲

雨風、夜中のうちでよかった☆
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旅のアルバム整理 [秋田・角館へ]

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ようやく先日の角館編ミニアルバムが整理できた。日常のアルバムとは別に、旅ごとに小さく1まとめにしているが、今回からこちらも無印良品のものにした。細長く、3冊入って¥1050。
うち1冊に、うまくまとまりました。
《写真館から「Ayu・はたち記念写真」も、無事届きました》
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原田正純さん

「水俣学」の原田さん、12日に訃報。一度、ナマのお話を聴きたいと思っていたが、流して過ごしてしまった。
NHK深夜の、追悼アーカイブス(2年前の特集)を見た。きどらず、患者と同じ高さで接し、また明るい伴侶に恵まれていたことがさらにすてきだった。
病気はくり返していたらしい。ガン体質とも。
熊本大学では、最後まで助教授だった。
今となっても、家族に迷惑がかかること等を恐れて、水俣病と名乗れていない患者がいるという。原田さんの遺志を継ぐ若いお医者さんがたくさん生まれていますように、と陰ながら思う。
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よし悪し [秋田・角館へ]

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【バス待ちの、何気ないソフトクリームの時間がAyuには一番嬉しかったかも:田沢湖にて】

≪旅を終えて≫
以前から情報を少しずつ溜めていた上で、よい天気の予想がつき、体調万全が確認できれば(←数カ月前から気をつけていてもこればかりはわからないと身にしみて体験したワケで・苦笑)、2、3日前になって決定する国内旅行はイイ!、を実感しました。
国内旅行は言葉が通じるのですから、レンタカーなど車が使えない私も現地でバス情報(特に休日の在来線の本数は少なくあてになりませんね)を駅付近の案内書で仕入れればどうにかなります(極力、タクシーは使いたくない主義・今回は着付け後に一度やむなく乗りました)。

十和田・津軽・角館 気ままに電車とバスの旅(ブルーガイドてくてく歩き16)

十和田・津軽・角館 気ままに電車とバスの旅(ブルーガイドてくてく歩き16)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2008/06/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

Ayuや自分の好きなペースを保つなら“個人”ですが、何時にどこから乗ればいい?など、すべて出先でも調べて&行動してを同時にしなくてはならないので、忙しく神経を使うことにはなります。有効的に時間を使えているかといえば、たしかにギモンは残ります。まぁ、ガイドまかせのツアーでも、別の神経が必要ではありますが。
でも国内なら、個人で動く方が“自分でつくった旅”という思い出もできてよいかなー。

…前回の奄美大島は、観光地が広域に渡ってもいたので“団体”で正解だったと思います。振り返ると、ラクちんでした~。いちいち食事の心配も無用ですし。
しかし、その引き換えに「一村」の絵を自分ペースで観ることは叶いませんでした(私は一日その美術館でいたいくらいでしたから)。
もう、そこには個人で行く自信はできましたので、機会あれば、直前に決めてまた奄美に行きたいものです。
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新幹線を1本早くする [秋田・角館へ]

お昼をとりながら、バスの時間を画策、1本早い新幹線に乗れそう。こまちは全席指定、手元にあった簡易時刻表に駅のTELがあり、交換可能の確認がとれました。
Ayuはもう帰りたいモード全開、明日は平常運転だし、そそくさと新幹線駅に向かいました。夕方6時前には無事2泊3日の二人旅から帰宅いたしました。

田沢湖はクニマスに関連したところでした。といっても、さかなクンは、昔、田沢湖にいたクニマスを別のところで(西湖だっけ?)生存しているのを発見したそうです。
『国鱒ボーロ』が意外にヒットでした(“クニマスの形をしたお菓子です”のことわりがおかしかった。誰もマスが成分に入っているとは思わない・笑)。
最後に、田沢湖のたつこ像を。なんということはありません…。
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田沢湖へ移動 [秋田・角館へ]

着物を脱いで、角館とはさようなら。路線バスで田沢湖駅へ向かいました。
駅からまた乗り換え。バス待ちでリュック重装備の50代らしきご夫婦の後ろに並ぶ。乗り込む際、この男性にどうぞと先を譲っていただいた。ご主人は西洋の方。毎度ながら日本人男性にはないスマートさを感じる。
そして同じ所で下車。あとからわかったことだが、この方たちと私たちの2組だけが、この日の客でしたー。
Ayuととにかく無理をしない旅、チェックイン15:30過ぎに着、夕食前には温泉に入りました。

2日目はぐっと庶民的。国民宿舎をチョイス。布団は自分で【&宿からの朝の景色】。
このほっておかれ感が自由で心地よかったりします。2食付きで、十分々。
うーん、あとは各部屋におトイレがついていたら!というところ。

あの夫婦が話しているのはドイツ語?いや違う(奥さんは日本人なので日本語も時おり混じる・なかなか食事をはじめないと見ていたらお祈りをしていた…)。
夕飯を終えたところで、「どこからですか」とブルーナ(ミッフィーの)のようなご主人に声かけられました。
あちらは「私はオランダからです」でした。ブルーナはあながち間違っていなかった~!
それもオランダ在住だそうで、奥さまにとってはしばらくぶりの日本だったようです。
十和田湖から回ってきたそうで、次は熱海方面?とか。周遊券で日本横断かな。翌朝、早めに出発していきました。
私たちはチェックアウト30分前までゆっくり。

田沢湖は水深423.4mで日本一。青くて美しいところも!
遊覧船と迷いましたが、周囲一周のバスを選び巡りました【バス車窓より・前はAyu】。
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旅先で20歳の記念 [秋田・角館へ]

一泊した早朝、角館駅などで集めた観光ちらしの中に『アンティーク着物を着付けます。武家屋敷を歩きましょう』の一文を見つけました。
まもなく20歳になるAyu、振袖を着せる予定はありませんでしたが(私の中で価値観を見出だせない・毎日のように届くダイレクトメールに辟易・ならばひとつでも心に残る旅行をさせたい)、軽い着物で、写真を記念に撮るのはどう?と思い立ち、即座に手配。
着付けのあと、すぐ近くの写真館へ、の手はずが正午すぎに整いました(他を観光中でも、先方から連絡を受けられるケイタイの威力をありがたく感じました)。
スタジオでは、他人の助言でようやく納得し、メガネを外してくれましたが、私のケイタイでの撮影時は、Ayu、頑としてダメでした【一番下の写真】。
この格好で武家屋敷散策は(本来は夕方前までレンタルできる)、Ayuにはとんでもない・笑。
撮り終えたら、すぐ脱いでお返ししました。

近日中に、正式な記念写真が届きます。
ささやかな形ですが、親の責任が果たせた気がします。
《この日頃から「(もう)おうちにかえりたい」発言あり。“非日常”を最近とみに嫌う傾向・哀。Ayuの気持ちを乗せるために、着付け中も声をかけ続けました。
そんなこんなで、まったく余力がありませんでしたが、いっそ私も着付けてもらい、親子で撮ってもらってもよかったかな(私も着物には無縁な人生)》。
【初めてのお化粧を私の手で、で支度ははじまりました】
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泊まりたかった宿 [秋田・角館へ]

1泊目はリッチに。洋室でも和テイストでシックです。
“お品書き”の順に並ぶたびにメニューの説明…もよいのですが、正直つかれたりも(苦笑)。
比内地鶏・きりたんぽの鍋もあり、最後に稲庭うどんでしめ、アイスクリーム&コーヒー。
名物はひと通りいただきました。
私たちは行きませんでしたが、近くの温泉への送迎・案内もあり、部屋にそれ用のBagも準備されていて、好感でした。
【備え付けの作務衣のAyu。】
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先週のTVでも [秋田・角館へ]

いくつかの武家屋敷が公開されているわけですが、こんな表札のところも多々ありました(笑)。
NHKで鶴瓶さんと野際さんが先週訪ねていましたね。厳かです。まったくりっぱ。
私は、古い家の「土間」に憧れます。
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思い立って [秋田・角館へ]

ああ、もううっとおしい梅雨がきてしまう、その前に新緑を味わおうと、秋田新幹線こまちに乗り込みました。週末の天気予報を見て3日前に決定。2006年に買っていたガイドブックがようやく活躍です。
【Ayuの楽しみ・駅弁持って。】
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