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震災の朝から始まった [稲垣えみ子さん]

震災の朝から始まった

震災の朝から始まった

  • 作者: 稲垣 えみ子
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1999/05
  • メディア: 単行本

現在、話題になる前の稲垣さんが、阪神大震災から2年半後(に稲垣さんが記者としてインタビュー)の1997年7月~98年10月にかけて、朝日新聞大阪本社発行の夕刊に連載したものに加筆。その後…にまで触れています。
地味な装丁で(ごめんなさい・でも主題からいったらこうですよね)、期待していなかったのですが、最初からぐっと惹きつけられました。これは、先日の2冊よりすごいと。

巻頭に『阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震) 1995年1月17日(火)午前5時46分 震度7 死者6430人 行方不明者3人 重傷者8772人 全壊家屋…』等の記載がありました(この図書は1999年5月刊・当時のデータによる)。失礼ながら、今となっては忘れかけてしまっている大地震。その後に、東日本大震災。電力を極力使わない生活を選んだ著者には、もちろんこの取材での思いが根底にあったのだと思います。
12名の方の人生が紹介されています。ご本人の口調そのままと思われる再現が、また響きます。
倒れてきた「ピアノ」によって脳に損傷を負った娘の再起を祈る母親(一見、外傷はない)、かと思うと、「ピアノ」があったからこそ落ちてくるものから身を守ることができた方もいます。
【地震でけがした人、後遺症がある人って、たくさんいるはずやのに、何でか、テレビにも新聞にも出てこない。行政にも窓口もない。テレビの震災特番の最後の締めも、慰霊祭も、「亡くなった方のご冥福と、神戸の復興を願って」って言うだけ。何で「けがをした人、後遺症で苦しんでいる方々が一日も早く元気になりますように」の一言がないの。どうしてそこに思いをはせてくれないの。うちとこだけなん?孤独で腹が立った。これって、いじけてるんかな。】
こういう実際の、本当の声が知りたかった気がします。

人生ダメになりかけて、家族と音信不通だった男性が、記事もきっかけとなってまた共に暮らし始める…もありました。
生後まもない次男を助けてやれず、また6歳の長男に、最後弟と会わせてやりたかったのに、火葬が遅れ、白いきれいな顔が黒くなってきてしまい、約束を果たせなかったお父さん。
突然のことだったわけで、偶然自分の用事のためにそこに居合わせて亡くなった母。それを口に出して「おまえが〇〇せんかったらな」と息子(自分)に言った父。そんな父も、あとになってボランティアとして率先するように。
火事も大変だった。30年以上かけて作ってきた楽譜、いくらお金出しても買えるものではなかった。もちろん「命」が一番大切だけれど、「命をかけてきた」絶対失いたくない財産だってある←今は保存の方法も増えているので少しは対策の手段あり、かな。

この本(記事)を読んだご本人たちが、自分たちの声を限りなく近く、文章におこしてくれた!…と感じているといいな。やはり、そこが大事だと思います。
《私は書店員時代、某専門新聞にインタビューされ、それを元にした記事が載った経験があるのですが、どうも自分から出た言葉ではない、が率直な感想でした。そつないのだけれど、これが言いたかったことじゃない。おまけに、残念ながら名前の漢字も間違っていました←これはいけない。人名だから。…それ以降、インタビュー記事(「聞き手」あり)を見るたびに、本人の趣旨とあった文章になっているのかなーといちいち考える癖があります。
だから、「(推敲は)プロにまかせろ」なんでしょうけれど、下手でも自分の書いた文章が一番、と根本は思っています。》
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