ひとりでは生きられない by養老静江 [よんでみました]
あの養老孟司さん(解剖学者)のお母さまの著書。養老孟司さん、「さんまのまんま」に出演の際、「私は人間のつくるものには興味がない」の発言、新鮮でした。忘れられません。そうかー、だから、昆虫や人間の脳やらに興味が向いているのですね。人工的にうまれたモノはこの人の関心外なのです。
さて、お母さまはこんな深いエピソードがある方とは知りませんでした。
1899~1995年。医師。大正期に女子医学専門学校を卒業。弁護士であった前夫との結婚、二人の子(男・女)の出産と離婚、10歳年下の青年との出会いとハードルを越えての結婚、3人目の出産(孟司)、そして最愛の人の死。
【「大切なのは、私なんだ。私の心なんだ。そうだ私の心のままに生きて行こう。好きに生きよう。」と子供心に思ったもの。】
この時代に、ましてや女性がそうはいかないだろう。
【子供のときから心に抱いてきた「思った通りにするのが生きて行く事」という信念があやしくなり、いつのまにか自分の存在とはかけ離れた何者かの手によって自分が支配され…。】
弁護士の妻であった著者は、ある時「養老くん」に、意を決して手紙を書きます。それが一年余りも続きました。しかし、梨のつぶて。
困難を経て、一緒になれたものの、わずか5年で養老氏は他界。享年33歳。静江さんは42歳でした。
【「これからは〈許可制〉でなく、全て〈報告制〉にしますね。お母さん。」子供たちとの間で取り決めた「許可制でなく報告制で」という家庭のあり方。進学も就職も結婚も何もかも事後承諾です。それがいつの間にか「弁解はしない」「自分の行動に責任を持つ」という我が家の流儀になってしまいました。】
【末っ子の孟司は、ひとつのことに熱中するタイプの子で、幼い頃は昆虫にしか興味を示さない子でした。】
孟司の教育については、忙しい著者に代わって、長男、長女夫婦がなにかと力を貸してくれたとありました。
《解説:養老孟史 より》
【九州の伯父の家を訪ねたとき「お前のお父さんとお母さんの恋文がミカン箱いっぱいに残っているが、持っていくか」といわれた。冗談じゃない。そのまま逃げかえってきた。
~亡くなって20年というと、ぼちぼち母親を客観化できそうだが、そうはいかない。
要するに親は親であって、それはどうしようもない。良いも悪いもないし、受け入れるしか仕方がない。母親が私の人生に与えた影響は大きいが、だからといって、どういうこともない。
~母の人生は母のもので、私はそのほんの一部にしかすぎない。私が50歳を超えて、医学部の教授をしていても、「お前がいちばん心配だ」といっていた。
~ただ母が死ぬ前年に、私がオーストラリアで虫を採るというテレビの番組に出たのを見て、「子どもの頃と同じ顔をしていたから安心した」といった。親というものは、そういうものらしい。たしかに現役の間は、私も多少は無理をして生きていたのである。
「お前が幸せなら、それでいいんだよ。」子どもに向かって本音でそれをいう母親だった。】
養老さんらしい文章ですね。そして、親にとってはいつまでも子どもは子どもなのですね。
…著者の道のりの詳しい苦労や医師としての姿はここでは省きましたが、NHKドキュメンタリーになったこともあるそうで、見たかったなぁ。大河ドラマにもなるような一生だそうです。
※これで2016年の読書記録を終えました~。最後までおつき合い下さった方、ありがとうございます☆
2017-01-14 20:00
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