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心映えの記 [太宰治と家族たち]

心映えの記 (中公文庫)

心映えの記 (中公文庫)

  • 作者: 太田 治子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/08/26
  • メディア: 文庫

1986年に坪田譲治賞を受賞。そのことは知っていた。しかし、静子と治子という母娘について綴った内容であることまでは気づかずにいた。
「明るい方へ」でも、世間に背を向けた道を選んだ母親の苦労が書いてあったが、これを読んで本当に金銭的にも2人で大変な思いをしてきたことはわかった。
母静子が亡くなったのは昭和57年。つい最近までご存命であったともいえよう。もうずっと前に亡くなった人だと勝手に私は決めつけていた。享年69歳。母を亡くした治子さんはそれからどうしたのであろう、と思っていたが、既に当時35歳になっていたのであった。少女が母を亡くしたわけではなかった。

【~トイレも台所も、お風呂もちゃんとついている、そんな二人の理想のアパートが窓の向うに蜃気楼のように浮かび上がってくるのを感じた。】

とにかく親密な母と娘である。それもしかたがない。その間に父の姿がない分。
そして、それは太田静子が結婚に破れ、その後母・太田きさとの2人の生活を綴った、あの「斜陽日記」とも間違いなくだぶるのである。
この本にはほとんど太宰のことには触れていない。あくまで死を迎えるまでの母、と娘の物語である。

【~大きい声でお説教する母にうんざりしていた私は、早く母が起き上がれるようになるといいと思う一方、このままこうしていつまでもおとなしいミルク飲み人形のようであってほしいとも思うのであった。
「起き上がれるようになったらお引っ越ししましょうね」 私は少女がお人形に話しかけるように、ゆっくりと優しい口調でいった。】

静子は母・きさが死んだからこそ、太宰との関係を進めることができた。母の眼があったなら、踏み込んでいけなかったのである。「斜陽」も生まれなかった。

静子は娘・治子の結婚を常に望んでいたが、結局はやはり母が死んだ後に縁付き、40歳でようやく?念願の「母」になる(やはり女の子が産まれた)。
改版・文庫あとがきより。【40歳になって、娘の万里子が誕生した。万里子が高校生になると共に母娘二人の新しい生活が始まった(つまり離婚した)。】
3代にわたって続く、母と娘の密接な関係~~。

太宰研究家でもある長部日出雄氏の解説より。
≪~母の生涯、母と娘の生活を回顧しながら、各一篇一篇のなかでは、過去と現在のあいだを自在に往復し、さまざまな時間と空間が交錯するので、単一の時の経過にそって書いたのではなかなかとらえきれない、いわば人生の総体が浮かび上がってくる。≫
そうなのだ、その手法が「明るい方へ」でも最初読みにくかった気がする。また、治子の祖母である「きさ」(きささま、と常に呼ばれている)と治子の母である「静子」が時おり、どっちの「母」を差しているのか?と思う時もあった。
しかし、こうして数冊読んでいるとその手法にも慣れ、のって読めてきた。
治子さんの腕もあるけれど、血筋もあるんだろうな、、、と感じた。

☆検索していて、導かれた。8月29日、10月4日、17日などに太田治子さん出演の番組について触れていらっしゃいます。嗚呼、もう再放送していたのですねー☆
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