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井上ひさしの本③ [太宰治と家族たち]

またまたおひさしぶりの「きらり」くくり、です。
太宰関係で整理しておきたく、「衿BOOKS」http://www004.upp.so-net.ne.jp/Eri-to-Ayu/sub31.html#kirariと共に少し手をつけています。

繰り返し部分もありますが、興味のある方どうぞ。
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≪なぜ太宰本に手をつけたか≫

昨春半年間放映されたNHK朝の連ドラ『純情きらり』。ヒロイン宮崎あおいの好演もあり、毎朝ビデオ録画してまで見ていた。
ストーリーが終わり近くなり、そろそろ原作を読んでもいいかと長編に手をつける。
【夫が戦地から無事戻るのか等、先を知りたくなかったのであえてドラマ終了間際から。
まさか、それ以上の結末(ヒロインの死)が待っているとも知らず。】
太宰の次女であるこの作家が、「母方の実家をモデルにした小説」であることはA新聞の特別版ではっきり知ったのだったか? と思う。
その原案を読み進めたところ、ドラマの中で目が不自由になっていくヒロインの姉・笛子&冬吾の長男は小説では「ダウン症」とあった!!
つまりは、現実と一致させると太宰治の夭折した息子(原案者の兄)は、何かしら障害をもっていたのではないか。
これが、では本当の事実とどこまで酷似しているか突き詰めてみよう、という興味が起き、そのへんの関連図書を追うこととなった。<

井上ひさしさんの「太宰治に聞く」読後感の③(補足分) を記します↓。
 参 ①http://blog.so-net.ne.jp/eri-green/2006-10-27

   ②http://blog.so-net.ne.jp/eri-green/2006-10-28

【当時、東北で貧しさゆえに娘さんが遊郭へ身売りされるお金が120円。それと同額の仕送りを受けていた太宰。~明治40年に建った豪邸(いわゆる斜陽館)は、宅地だけで約600坪、1階に11室、2階に8室。総工費4万円。
当時、資本金が1万円あれば、銀行を設立し、自分が頭取になれたくらい。】

妻美知子と出会う前に既にいろいろとあった修治(太宰)。
【これまでの過去を葬りさるには、最高の妻。真面目で、堅実で、修治を尊敬し、修治に尽くした美知子。
その結果、次々とすばらしい作品が生まれ、注文がさばききれないほどの流行作家となった。】

生まれは明治42(1909)年「6月19日」。
玉川上水で遺体が発見されたのも、昭和23(1948)年のこの日。入水は13日のこと…。
当時、妻や子と住んでいた自宅(三鷹)のそば。すぐ近所で、別の女と。妻としてはたまらないこと。

【だいたい着物の人でした。洋服を着た時期もあるけれど、作家になってから死ぬ間際くらいまで、ほとんど洋服は着なかった。】→ドラマの冬吾(西島秀俊演じる)と一致。

【作品はいまだに延々と売れつづけている。
→そういうことを考えると、夏目(漱石)・宮澤(賢治)・太宰(治)の3人は作家として現役といえよう。】
井上ひさし氏がみとめている作家、ということである。

「白百合忌」というのがあるそうだ。 太宰を偲ぶ「桜桃忌」(6月19日)は有名だがこれは知らなかった。
こちらは6月13日。
太宰と、彼を愛し、慰め支えた女性たち(山崎富栄、田部あつみ、小山初代、太田静子)の御供養と故人を偲ぶ集いだと…。白百合を1本捧げる。。。 (ち、ちょっとこわい会??)

太宰38歳の昭和22(1947)年3月30日に津島里子(作家:佑子)誕生、同じ年の11月12日に治子(作家:太田治子)誕生。←山崎富栄の家で命名、認知証を書いたという。。。

(「衿BOOKS」に【「純情きらり」関連読書】として、リンクを整理しています。http://www004.upp.so-net.ne.jp/Eri-to-Ayu/sub31.html#kirari
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