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火の山ー山猿記④ [純情きらり]

純情きらり原作(原案)、『火の山-山猿記(上・下)』(1998年刊)、読み終えました。
山猿=弟・勇太郎(現71歳・阪神大震災後とある)の手記を中心に、笛子の次女(ドラマではラストでお腹にいた子)由紀子、笛子、杏子による語り等で当時が綴られます。

杏子の再婚相手・鈴村は、原作では48歳。前の奥さんは亡くしていますが、子ども2人はおり、成人に近い。のちにこの子たちは結核で亡くなります。
達彦さんと21歳で婚約した桜子、生きているかどうかわからないまま待つ道を選び、再会できたのが7年後。
結婚後、ほどなくの妊娠。同時に体調不良。結核菌におかされていた。
「出産は論外。」と医師には言われるが、桜子はキッパリと答える。
そして、女の子だったら「みかげ」、男の子だったら「輝一」と決める(詳細は省くが、この物語では「石」が小さなキーワードでもある)。早めの7カ月で帝王切開により出産。
抱きたいけど、病気がうつっってしまう…。
輝一が生まれてから、桜子の病状はいったん快方に向かうかのように見えた、が。

笛子そして冬吾。この夫婦の運命は、原作ではだいぶ違う。第3のおんな、までいる設定だ。
(次女由紀子・記)『父の残した絵は、何点か家に飾ってあるし、美術館に行けば、代表作を見ることもできる。回顧展が過去2、3回開催され、評伝の類いも母には内証で読んでみた。絵を見ると、確かに1本の絵筆を持つ指がそこに存在し、腕が存在したのだと実感できる。その指、腕はいつでも私を緊張させ、私の胸を震わせる。私は絵筆を握る指先ばかりを見つめる。でも、父の体が見えない。』
【作者の母の実家を描いた、この小説。実生活に当てはめると、作者の母は笛子、父は冬吾(太宰)ということになる。(由紀子=作者・津島佑子か)】

冬吾は第3子誕生後、桜子より早く死ぬ(ドラマでは生き延びたが)。
冬吾と妊娠した女、その女の夫・計3人が血だまりのなかで発見される。
『新進洋画家、情痴の果ての惨劇』とセンセイショナルな言葉で大いに騒がれる。
冬吾の死は桜子には告げずにおいた。幸いか、不幸か、桜子は新聞を見る力も失っていた。
心身ともに疲れきっていた笛子だが、サクラコキトクの知らせからしばらくして、それを内証のまま妹を見舞う。
幻燈機で輝一のハイハイしている姿を、病室で見せたシーンは、原作にもあり。
桜子の葬儀は昭和22年(1947年)の最後の日、とあった-。

達彦のその後はありませんでした(再婚説は判明せず・苦笑)。
輝一は、夫の連れ子2人を亡くした杏子が育てた、と。
その後、達彦さんの元に戻ったか等は記述なし。
【ドラマのその後があったなら、達彦さんの元で、ピアノを志す青年になってほしいナ。】

①~④まで、あらすじを追う紹介になってしまいましたが。
弟の姉たちを思う気持ち、笛子の苦悩、冬吾の芸術肌等々が全体に描かれていました。フランス人とのハーフであり、日本語は自由にならない勇太郎の孫も登場しましたし。

ダウン症の笛子の長男・亨は、やはり早くに診断はついていないようでしたが、成長と共に勇太郎はそうでないかと思い、養護学校の紹介もしたとありました。
勇太郎の戦後しばらくしてからの渡米は、夫の死で苦悩を抱えた笛子と離れたかったのもあったよう。
桜子が弟のために、ドイツ語の本を書き写したシーンもありました。

次は、“太宰の妻の回想記”へ行きます。

【小説の巻末に参考資料が明記されており、その中に『「わが愛する夭折画家たち」 窪島誠一郎』もあったのが、また私を引き寄せた、か?と思いました。戦争という時代に翻弄された青年画家たちの姿は、ドラマの中ではしばしば登場していましたし。】
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