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逃北 ~つかれたときは北へ逃げます [よんでみました]

逃北~つかれたときは北へ逃げます

逃北~つかれたときは北へ逃げます

  • 作者: 能町 みね子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/02/22
  • メディア: 単行本

私はこの人をよく知らなかった。特徴的な名前《双方の祖母の名前をもじったらしい・たしか絲山サンもそういう命名だったと記憶する》はちらちら見たことがあった。今年度より週一でラジオのパーソナリティーに~を知る。そして気がつけばNHK総合の夕方ニュース内でコーナーを持つ姿にも出会っていました。

…と、飛び越えて書きますと、エッセイなど連載もたくさん持っている方で、そのラジオでの語り口調はとてもきれいで品を感じます。それって、TVより要求される点ですよねー。

4月開始の、その番組第1回を例によって『聴き逃し』サービスで拝聴。
よかったです。気負いがなくて、自分の言葉を持っている人だなぁと。

→それで、いつも通り著書を借りる準備(=図書館予約)。
…最初から感じてはいましたが、都内の図書館と違い、蔵書の質が落ちます。ある著者にとって肝心な本を、地域のネットワークすべて見ても「押さえていない」デス。
リクエストすれば、他県より相互貸借で用意してくれるかもしれませんが、そこまでは意に反するので、著者の限られた在庫リストから選んだのがこれ、でした。

説明はいらないと思われますが、能町さんはお姿は女性で(戸籍も女性に)、元は男性です。そして、それを前面に押し出すタイプでないエッセイスト(文筆業)です《それで一本立ちするために目立ったタイトルの著書もあえてありますが~:1979年生まれ》。
同様に高学歴なこともここでは不要でしょう。

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あー、前置きが長くなりました。
「逃北」は「とうほく=東北」です、もちろん。
私、深い理由は著者以上のものはないのですが、自分が旅に出かけた先は振り返れば確実に東京より「北」が多いのです。南の明るさより、厳しい冬を持つ地の方に足が向く。気質、というのでしょうか、流れる&感じられる風はそっちの方が合う。
そこは一致しました。
《著者の生まれが「北」(北海道)であることも、深く起因していると思う:育ちは茨城。》

【都会での生活に倦んだとき、南に行って気楽になろうという方面には進まず、北に行ってしまいたくなる。】
【まず私は、旅のなかで、観光スポットをあまりメインにしない。~観光地よりは地元の土着の臭いのする街の方が好きなんです。】
【私は旅先で、旅行者らしくないふるまいをすることが大好きです。~そこで暮らしている自分を妄想するというワクワクの行動です。だから旅先でコンビニやスーパーに入るのがとても好きです。】
【旅先で地元の人だと思われることほどうれしいことはない。旅しているときはできるだけそこの住人の気分でいたい私としては、旅先に溶けこむことが好きなのです。~道なんか聞かれた日には、喜んで教えます。無理してでも。】

【(略)~この日こういうものを見て、私はなんとなく、会社を辞めることを心に決めてしまった。やりたくないことは、やりたくない!って思ってしまった。~辛くなったらこれからもこんなふうに逃げればいい、と思ったのもこの時だ。私はその半年後に退社して、それから一度も正社員にはなっていない。良くも悪くも、私をこんな(ふう)にしたのは北です。】
【私は北の地で活力があふれるわけでなく、淋しさに打ちのめされるわけでもない。そこでただ自分自身の満たされなさと北の空気が同化していって、ひんやりとわだかまりが霧消していくのを楽しむだけです。やわらかいあきらめのような気持ちが生まれます。】

【(グリーンランドへの旅前に)~オーロラは、まあ、見たら感動すると思うんですよ。でも、情報化社会のこの世の中、私はオーロラがだいたいどんなものかは残念ながら分かっているわけです。~そういう興味は二の次だよ。私が気になるのは、「人が住む北」や「北に住む人」です。】
【~ネットで名所を調べたりもしない。街をうろうろ散歩したり、ただ喫茶店などでダラダラしたり、したい。よっぽど気が向いたら観光地に行ってあげてもいいよ、というスタンス。北の地でその期間過ごせれば十分ですもの。】
このあたりは、森さん稲垣さんと相通じますね。

【ここは…世界の果てみたいだ。人工物はたくさん見えるのに、人だってすぐ近くに住んでいるのに、天国みたいだ!「いいねえ…」「ここは、すごいね…」(友とグリーンランド・ヌークで)】
すべてが自然に囲まれているところでなくとも、こう思える瞬間、場所に、これからの人生において、私も出会いたいものです。

《おまけ》
元号派ではないので、「平成はどういう時代だった?」などの括りはイヤ(嫌い)なのですが、男性とか女性とか、~らしさとか、そういう基準から世の中が解き放たれてきたことは「平成」での大きな点では、と個人的には強く思います。
障害者への偏見なども、ひと昔前と比べたらあきらかに違い、溶け込んだ受けとめ方になってきてますよね(まだまだ、もありますが)。