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先生との別れ [Ayuがっこう]

“やっと週末だ、ほーっ”と帰りの電車に乗っていたら、子ども同志が中学から一緒の仲よしIさんから「もう少しで仕事を終え、6:30からのお通夜に行ってきますね」とメール。
えっ、初耳。誰? どこのおうちに何が? 本を読んでいた手は完全に止まり、とにかくあと20分もしたら家に着くので何か連絡が入っているはずだと仕事中の友人にメールの返信はせず帰宅。
案の定連絡あり。「○○先生が亡くなったって」と。
まさか。Ayuが今春まで通っていた中学の女性先生。担任ではなかったが、一年前の修学旅行にもAyuにぴったりと付き添ってくださっていた。懐かしくそのDVDをAyuと再度見たのも最近だった。
とにかく評判の心障学級一筋の先生で、私もその指導には何度も学んだ。「Ayuちゃんのおかあさん!」と呼んでもらい、お話もした。
長期のお休みもあったので、中学生活のうちの1年半ではあったが、このN先生と出会えたことは大きかった。
まだ他校の先生だった時から、合同の移動教室では“Ayuさんは女の子全員の布団をいつのまにかさっさと敷いていました!”と力強さと行動力をよい方向にみとめてくださっていた。
そんなにお悪かったとは。

ショックで母に涙をこぼし、そうこうもしていられないと支度をして、Iさんたちと落ち合い、お通夜。お世話になった他の先生方一同と哀しい再会となった。
まだ50代はじめだったのではと。成人していないお子さんも2人いらしたと思う。
この先生の下で子どもを学ばせたいと思う保護者も多かった。仕事仲間である先生方もほんとうにお辛そうだった。
「障害児の親と教師」というのは、間違いなく普通校に通わせる親との関係より、濃密で、会話も必然と多いものだ。
この別れは、これからもしくしくと私に響いてくると思う。
○○先生のあたたかく、そしてきりっとしたお声は、今もすぐそこから聞こえてくるように想像できる。

Ayuには、説明したがよくわかっていない。「○○先生におてがみかく」と言っている。もう生きている先生には読んでもらえないんだよ…。
あとで母と、「そういう場所(通夜、告別式)にAyuも連れていくべきかもしれない」と話した。それで『死というもの』の理解により近づくのかもしれない。実際に、この先生と長くそばで過ごしたのは生徒たち自身。今回は、障害児の親たちだけが、とりいそぎ駆けつけたが…(もうそれぞれの子どもたちも社会生活にかなり順応してきているし)。
“○○先生に年賀状にはなんて書こうかな~” と思い始めていたところだった。
先生、やすらかに、そして我が家を含め、先生の下で学んだ子どもとその親を、空から見守り、そして時には叱ってください-
それしか今は言葉がない、です。 ありがとうございました、と…。
そして、くやしい。。。
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