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あらためて…無言館 [無言館<戦没画学生慰霊美術館>そして親子のこと]

もう言うまでもないですが、美術の道を志しながら、戦地に赴くため、それまで描いた絵(覚悟をきめてのこした絵)を少々の遺品と共に、言葉少なに展示しています。
扇子で仰ぎながら入館したのですが、途中から手は止まっていました。引き込まれてそれどころではなくなったのですね。

今まで気づかなかったのか、後ろに「時の庫(くら)」というのがありました。展示していない作品の保存庫でもあり、修復作業の場所だそうです。
いつも思いますが、打ちっぱなしのこのシンプルな建物たちから、さらにまた響くものがあります。
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叔母たちが世話していた猫が、あいかわらず庭に遊びにきていました。
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まずはオリーブ館 [無言館<戦没画学生慰霊美術館>そして親子のこと]

叔父を通院に送っていったあと、みたび?無言館に連れていってもらいました。
数年前に新しくできた、下の方にある分館の方から入場(ここは2度目)。
本棚、すてきでしょう。寄贈分も含むそうです。近所なら貸し出し可能。一生困らないでしょう。
初版本も多そうな年季の入ったラインナップです。
窪島さんご自身の著者の並びは見つけられず(ご謙遜?)、お父上のは揃っていたのでパチリ。
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野菜いっぱい [信州にて(2018.7以前)]

まだ草刈り途中とのことですが、私にはこの庭で十分と思います。
我が家は、土日の朝のみパン食ですが、叔母夫婦は毎朝パンの習慣。
大きなオクラにびっくり(しばらく離れていたため、叔母の畑で採れたものは残念ながらないのですが、土地の作物なのはまちがいないです)。
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自慢の庵 [信州にて(2018.7以前)]

順調に到着。叔母が新しい、広々とした軽(ケイ自動車)で迎えにきてくれました(ちなみに私は免許なし)。

私も大好きな、叔母自慢の部屋(庵)です。この家を買った時はぼろぼろの部分であり、昔は蚕を飼っていた部屋でした。大々的にリフォームして生まれかわっています。
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高速バスで出発 [信州にて(2018.7以前)]

こんな写真、前にもあったような…。私ひとり「草むしりを手伝う」という名目で(Ayuへの理由づけ)信州の叔母夫婦を訪ねます。
最近は神奈川の本宅で生活しており(義叔父の通院や冬の寒さを避けるため)、風通しで1カ月戻ったところにおじゃまする形です。

Myブログ日記によると(笑)、私はなんと丸3年ぶりの訪問のよう。そんなに行ってなかったか。
高速に入りました。。。
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8月&9月 [振り返る&迎える]

≪振り返る8月≫
G×T戦バックネット裏で観戦☆☆☆☆・障害児放課後クラブ関係の映画鑑賞&講演☆☆☆☆☆・華火(あまりの暑さでベランダにも出ず、ガラス越しに)☆☆☆・父のメガネ2つつくる←付き添い☆☆☆☆☆・太宰をたずねるひとり旅☆☆☆☆☆・幼なじみとコースランチ☆☆☆☆・妹&姪たち帰省(一緒の外出はまたの機会に~)☆☆☆

≪迎える9月≫
8月末より衿ひとりでバスに乗って…信州へ・Ayuと毎月の診察に・衿健康診断・作業所家族懇談会(半年に1度)・衿全12回秋スタートの講座受講≪土曜を中心に≫・前から興味のあった上映会へetc…
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満タンの8月でした。せっかくのお盆休み、ひとつは想い出をつくりたかった。よい旅となりました。ただ、暑かった。やはり旅は、春か秋でしょうか。
Ayuの状態も落ち着いてきたことだし、本人の意向を聞いた上で、そろそろ母娘国内旅行もいいかもしれません。≪しかし、上記に書いたようにしばらく週末に予定ありなので、もう少し先でしょう。≫
国内なら、言葉は通じるし、紙幣交換もいらない。自分の気持ちさえ乗れば実行はたやすい、のですよね。

今回の「振り返る&迎える」は、早めに。次のUPは、また私ひとり、出先からになると思います。Ayuにまめに電話を入れながら。
やっぱりたったひとりになる時間がとても欲しいと思う今日この頃です。
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おつかれ気味? [Ayuいとこたちと]

月曜から、Ayuの叔母(衿妹)&従妹たち(大学1年・高校1年)が来ています。お盆休みとずれての帰省のため、私たち親子は通常勤務で、夜の団らん中心のみの交流ですが、年に数回あるかないかのことなので、Ayuは嬉しそうです。
ただ、決まったペースは崩れていくわけで、こだわりが濃くなってきているAyuには納得できないことも多々あると思われ…。まっ、そこは非日常、自然に巻かれて穏やかにしています・笑。

ワサワサで、睡眠がとぎれ々になったりもあり、おつかれ気味かな? の今朝のAyu。
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幼なじみ3名集合 [おでかけ]

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小・中学校時代の友人と3名で、ちょっと贅沢にコースランチをいただいてきました。
Y子とは去年のG.W.以来。Rちゃんとは、なんと20年以上ぶりです(前回はY子の結婚式2次会)。2人とも青年期の子を持つ母親。私は独身者あるいは子どものいない友と会うことが多いので、これも新鮮でした。手が離れてきてこうして自由を獲得できた、ということですね。
話題はそれぞれの子育てのことから、直面している親の介護問題、変わり目となっている自分の体調(なにせ同い年・苦笑)など、盛りだくさんでした。
お互い、好きなように言いあえてよかった。今度はいつになるかなぁ~。
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立佞武多の館(たちねぷたのやかた) [太宰をたずねる旅]

朝晩のみは、さすがしのぎやすかったみたいです。でも、朝9時半には猛暑でした。
朝食バイキングは、和洋混ぜましたが、基本はパン食にしました。りんご&りんごジュースはしっかりチョイス。津軽漬けは、ちょっと…でした。
前日の睡眠不足と比べると、疲れはとれていました。元気。
きょうは1つだけ寄って、もう帰途へ。

「立佞武多の館」は、当初の計画には入っていませんでしたが、数週間前のA新聞で、101歳の医師・日野原氏がよかったと書いていたので、それでは、と。
それが、とっーても当たり、でした。入場してよかった!!
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つい先日(8月初旬)の、五所川原の祭りで披露された22mもの“たちねぷた”3台(機?)がそのままの姿で展示されているのです。圧巻でした。
下からまず見上げ、次にエレベータで最上階に上がり、ねぷたを上から覗くこともでき、自然と下りながら他の展示を見るという、よく出来た施設でした。おすすめ、です。また来たいくらい。

…さて、ここから徒歩5分で、五所川原駅。その道のりだけで暑い(街は地方の駅周りでよくあるようにさびれてはいます)。冷房を求めて、どこか建物に入らなければならない世界。
新青森駅まで「リゾートしらかみ1号」に乗車。これ、特急券(指定席)がいるんだと旅前日にようやく気づき、昨日東京駅で慌てて購入した次第。当日は、もう満席でした。
1時間ちょっと揺られるだけ、あまりに外が暑いからか新幹線のようにクーラーはしっかりとは効いておらず(窓側を希望してとったが夏は余計に暑いということか…)、大きな窓もあんまり嬉しくない結果、でありました。
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東北新幹線はやて(行きは“はやぶさ”でちょっと速かった)は3時間半、さすが涼しくて快適、あっという間でした。13:42に乗り込み、すぐに「前沢牛弁当」をいただきました。
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…とりあえず、思いつくまま、ですが。
また振り返ってぽつりぽつりと書くと思います【戻って補足もするかも(リンク貼り付け等)】。
ここまでお付き合いくださりありがとうございます☆
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無人駅:津軽鉄道→宿へ [太宰をたずねる旅]

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津軽鉄道は「ストーブ列車」として知られています。夏は、風鈴鉄道のようです。
私が乗った“芦野公園→五所川原(金木で荷物受け取る)”は、帰りは『太宰列車』となっていました。
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五所川原駅からバスでちょっとの、大型ショッピングモール近くのビジネスホテルへ。
外で食べる気力もなく、手巻き寿司などを持ち帰って、ホテルでご飯。
…汚さないうちに、忘れぬよう撮影。
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虫が入ってくるので、夜は窓を開けないようにとフロントで注意あり。

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正式には、トローリーバッグというのでしょうか。やたらとみかけるので心底好きではないのですが、これほど暑いとリュックは絶対No、楽ではあります。
これは、元々、昨春Ayuとの海外旅で(キャンセルに)、Ayuに持たせようと購入したものでした。あれ以来、昨夏Ayuとの角館と、今回と、たしかまだ2回目の使用。
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芦野公園まで [太宰をたずねる旅]

「斜陽館」に私はなんと2時間もいたようです。古い家屋で、冷房の効いていない部屋がほとんどだったというのに。じっくり自分のペースで観たい希望があったからこそ、引率者(現地ガイド)不要の旅としました。
《奄美大島ツアーで、目的の田中一村美術館に思う存分滞在することができなかった教訓によります。》
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子守のタケと幼少の太宰がよく遊んだというお寺。

芦野公園駅を目指して、ひたすら歩く。金木駅からひと駅分・徒歩25分程ということだが、1時間に約1本あるかないかの津軽鉄道を逃すわけにはいかず、また案内図があるとはいえ、少々方向音痴の気があるような?私なので気は焦る。何より、暑さと睡眠不足でくたくた。
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太宰の作品名が、年代ごとにプレートになっている。
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何気ない道も、よい。

芦野公園の、どこにあるのだ? 思ったより奥で、ようやく会えた銅像。
ロンドン旅の、ホームズ像を思い出した。
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「斜陽館」内部へ [太宰をたずねる旅]

さて、とうとう足を踏み入れました。まずは広い土間が迎えてくれる。土間が、好き。憧れ。
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途中で勘当された形になった太宰ですが、19室もある和洋折衷の大邸宅が生家だったことは有名。「銀行」屋でもありました。この手すり、圧巻。
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この角度からの全貌が一番でしょう☆
ひとり旅は、撮影を連れにお願いできない点が不便ですが、この旅中、ここと、翌日の○○の、計2箇所だけはどうしても…と見ず知らずの方の力をお借りました。
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津軽三味線 [太宰をたずねる旅]

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とにかく「斜陽館」はじっくり観たい。今は、時間的に腹ごしらえと、向かいにある「津軽三味線会館」の生演奏時間に間に合わなくてはならない。
太宰の看板と後ろのポストがマッチしている土産屋にはあとで寄るとして、食堂でお昼。
『太宰らうめん』というのが有名なのだが、ひたすら暑い。とてもラーメンでは、ない。
なので、津軽そば。食欲も減退、これを入れるので精いっぱい。

三味線、は、期待していたのだが、私にはあまり響かなかった。“生演奏そのままの音で提供~”ということで、マイクであえて拾わなかったためか? 私の好みとしては、長唄でもこれにつくとよかったのかも(先日、「長唄ベスト」というCDを思わず買ってしまったくらい・笑)。
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まずは「太宰治疎開の家」へ [太宰をたずねる旅]

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車内ガイドさんも、順路的にもまず勧めていたのが、こちら。駅から徒歩すぐ、です。
≪この“衿Diary・太宰をたずねる旅”では、施設の詳細は公式サイトに委ね、記憶の新しいうちに主観のみ記録したいと思います。≫
入場した時は私ひとりで、受付女性に「解説をしますか?」と声をかけられ、「していただけるのですか?」と答えたと同時に、別の男性がすっと登場~。説明を始めてくださったところで、湧いたように既に『斜陽館』見学を終えてきた2名の見学者(若い男性,中年女性。私を含めいずれもひとり旅風)が加わりました。タイミングよく、よかった☆
この部屋で、太宰は疎開中に秀作をたくさん書きました。

関連書籍やお土産が入口横に美しく併設されており、あれだけガイドしてもらったから何か購入せねばの雰囲気も十分あり(苦笑)、地元の出版社からひっそり出している図書を含め、少々を。説明者と、太宰についての会話もさせていただきました。
“津軽の切手”の販売はなく、「すぐ裏に郵便局がありますよ」と案内をいただき、「そこから行くと“斜陽館”もじきですよ」と。
金木郵便局にて、目的物Getのあと、案内板が。
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おー、郵便局まわりで行ったから、予想外で、この角度からお目見えしましたか~。
この旅最大のスポットが、見えてまいりました。
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津軽鉄道 [太宰をたずねる旅]

JRばかりでなく、時には民間路線バスを利用すると、時間ロスがなくなる(恐怖の「モータリゼーション」だわね:あまちゃんの大吉さん)。
ということで、 新青森から五所川原まではバス。それがなかなか正確に来ず、あせったが、予定通り、次の津軽鉄道に飛び乗れた。
これは、北三陸鉄道!?みたいな一両編成(またあまちゃんか)。
車内で払った切符の素朴なこと。
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女性乗務員がまわってきて、金木ガイドをしてくれる。
私は当初から『金木を歩いて、1つ先の芦野公園駅から乗る』予定で、「それならば金木で荷物を預け、帰りに運転手さんに一言かければ、停車中に受け取れますよ」と嬉しい助言。さっそくそうさせてもらうことに。
《あとで振り返ると、帰りにも津軽鉄道を利用してもらう、つまりバスは使わないでネ作戦だったのか?? と。そのつもりではあったけれど。なにせ、電車は本数が少ない。》
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金木駅【↑11:38着】で降りたのは私だけ??
暑い日差しの中、留守番のAyuを案じ、まずは無事目的地到着を自宅にTEL。
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東北ひとり旅スタート [太宰をたずねる旅]

寝苦しくて、何度か目を覚ました状態で、新幹線始発に乗車。
ホームからは、未だ、私が全貌を見ていない新しい東京駅の頭を確認。
3時間ちょっと、新青森に着くまでほとんどうつらうつらしてました・爆。
それでは通路側の席で正解だわ。おトイレにも行きやすい。
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Ayuもようやく休みに [Ayuのおしごと]

昨夏前に訪れた秋田県仙北市(田沢湖付近)が豪雨災害にみまわれ、気になってニュースをみています…。
Ayuは、日程通り、本日まで勤務です。今年度前半終了、よくがんばりました。

私は、14・15日と短くはありますが、まったくのひとりで好きにさせてもらいます。ゆっくりとはいかないので、ミニ太宰旅ですが。
気ままにしたいのが一番! プラス、Ayuを大人の都合で無理に付き合わせてはいけないという教訓も踏まえています。
旅報告はあとになるかなと思いますが、とりあえず元気にいってきます。
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父 水上勉 [無言館<戦没画学生慰霊美術館>そして親子のこと]

父 水上勉

父 水上勉

  • 作者: 窪島 誠一郎
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2012/12/26
  • メディア: 単行本

私にとっては、まず「無言館」ありき、そのあとそこを作った窪島氏(もう72歳を迎えるのだな…1941年生まれ・ちょっとびっくり)、それから知った父(作家:水上勉)と子の関係への興味、の流れである。
さんざん触れてはきたが、引用しつつ、紹介もしてみたい。

【わたしは戦時中に2歳と9日のときに父親と離別し、その後養父母のもとに実子として貰いうけられた子で、戦後30余年も経ってから父と再会したのである。すでに人気作家の頂点にあった父親と、一介の小さな画廊の経営者だったわたしの対面は、当時のマスコミに「奇跡の再会」とか「事実は小説より奇なり」などと取り上げられ、わたしが約20年間もかけて親をさがしてあるいた「物語」は、NHKの連続ドラマにまでなった。再会時、父は58歳で、子どものわたしは35歳であった。】
【日本の近代文学史上に、稀代の「私小説」作家として名をなした父親だった~(略)。】
いくつかこの再会についてはご自身の著者もあり、水上氏の方も綴っているものがあるようだが、ここでまとめて自分の生みの父の姿をまとめておこう、と刊行した本、であろう。

私は、水上氏のことはよく知らない。もちろん、水上勉という作家の名は常識的にインプットはされていた。「無言館」つながりで、数冊は読んだと思う。もう昔の作家、という印象はぬぐえないし、若い時にもうけた子&貧しかったとはいえ、正直、我が子を手離した女好きの作家…という先入観があり、私から遠ざけたのも事実である。
そして、なぜか、窪島氏はその父親にばかり、感情移入している。生みの母との再会、も確かにあったのに。それが、女としては気になったこと、でもある。
しかし、この本を読み終えると、“いい加減なことも多かった父親に自分がよく似ている…ということを否めない、最初の妻(母)との出会いと別れ、その水上氏の気持ちがよくわかってしまう”というのだから、こちらとしては何とも言えない。

が、時々出てくる、窪島氏の妻の発言が、読者の私としては、とても救いとして響く。
【「どんなにいい小説書いたって、自分の子ども一人育てられないような父親は最低よ。それにくらべたら、戦争中飲まず食わずであなたを育てたクボシマのお爺ちゃん、お婆ちゃんのほうが、ナンボかエライわ。」それが持論の妻である。】
ふだんから、どちらかといえばアンチ父親派の妻だそう。小説家としてりっぱに財を成したという点はすごい、とその才能は認めているそうだが・笑。
この奥さんが、水上氏が次に持った家族、またその次に持った家族(特に女性陣と)、そして生みの母と自然と交流してきた様子が、とてもいい。

水上氏が直木賞作家となった直後(1961年)、3人目の奥さんとの間に誕生した直子さんは、先天性の脊椎破裂症をもっていた。この方が、水上氏の次女にあたり、長女はその前の奥さん(逃げられ、子は自分の元で育てる)との子。《直子さんの存在は、その後大きく作風等に関わってくる。》
戦争中でもあり、水上氏は手離した最初の子(窪島氏)は死んだものと思っていた。実際、その場所付近を訪ねていった事実もあった。
30年以上経ち、名乗り出た息子。やはり、「息子」(男同士)だったということが、この親子に通ずるものあり、だったのだろう。道は違うが、画廊経営などそれなりに着実な仕事を見つけ歩んでいた我が子の、思いがけずに生きて…の登場は、ただただ感激だったと想像する。
息子を「凌(りょう)!」と呼んでいる。当時、自分の子につけた本当の名、である。

【益子(窪島氏の生みの母)はわたしの妻とは仲が良かったようで、何どか食事をすることがあったようだ。妻は、「いいひとよ。あのひともミズカミさんに翻弄された一人だもんね。いつも会うと、未だにリョウちゃん、リョウちゃんって、言っているわ」報告しなくともいいことを信州に電話してきて、「ことによると、あなたを本当に愛しているのは益子さんのほうかもしれない」そんなことをいった。】
益子さんは、次の結婚で息子と娘をもうけ、平凡に暮らしていた。水上氏と窪島氏の再会のニュースを知り、息子を訪ねる。当時を思い、とにかく「ごめんなさい」と謝る母。暗に父親を非難する言い訳が含まれていることにも何となく好感がもてず、子(窪島氏)の方はそっけなく応対してしまう。母親としては辛かっただろう。
どんな理由があったかわからぬが、益子さんは81歳で自死。亡くなったことは聞かされていたが、本当のことは益子さんの娘から5年後に知らされたそうだ。「ふだんからウツのこともあったし、衝動的なことだったと思う」と。遺書はなかった。
既に病床にあった父・水上氏にはその新事実は知らせなかったそうだ。
…このことは短く、最後に書いている。わざと、淡々と記している。著者の演出も感じられる(作家の息子だ)。
養父母は、もうとっくに亡くなっているのだろうけれど、それについてはほとんど書いてはいない。まぁ、タイトルが「父・水上勉」であるし。?? でも気には、なる。私は。

作家・水上勉にとっては、血を分けた息子はこの人だけ(娘は2人いる・3人すべて母親違い)。窪島氏にとっても、本当の父親はもちろんこの人だけ。
女性が好きで(顔はよく似ているとも言われたらしいが、父親は文学界でも有名な美男子だったらしい・女優とも浮名を流す)、長く妻と離れて遠くで生活するなど、自分勝手なところも今では見事に重なるそう。
…血とは、そんなものなのかも!? そして、嫌なところも似て、それでいいのかなぁ、、、。

ずいぶんと図書館予約は待った。まだまだこのあとも待っている。人の興味をそそる親子の再会なのだろう。
《孤独と思えた窪島氏には、実は妹や弟がたくさんいた(←母方にもいるので)。そのあたりの交流も書かれていて、なかなかおもしろい一冊ではあるでしょうし、私のように「?」な部分を感じる人もきっといることでしょう。》
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診療&上映会など々 [Ayuの通院]

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【中央に見えてるのはスカイツリーです】
障害児の放課後クラブをドキュメントした上映会があるため、有休。春に新聞記事で読んでから、この日を待っていた。上映後には、講演も。なんと、今のAyuを診てくれている精神科医(60代です)によるというから、これは休んで必ず行かねばと。
午前中は、そのDr.の診察。といっても、Ayuは初診には連れていったが、あとは私の希望もあり、親の問診だけで薬を出していただいている。つまりは、1カ月に1度のペースで私は先生と会っていることになる。「午後の、先生の講演、楽しみにしています」と言ったら「いやぁ、何話したらいいかなぁ~」と半分照れていらした。
著書を出版されていれば、仕事上、詳細部分もチェック出来る私、その数と経歴に本当にこの道の専門家なのだなぁ~と存じ上げていたが、ご自身のお子さんが自閉症であることは、この講演で初めて知った。それとは関係なく、ご自分の興味から自閉症を主とした障害を持つ子どもの精神科医を目指していた(やっていた)というのだから、お嬢さんをのちにさずかったことはまったくの偶然だった。
グループホームの建設など、社会的な活動も父親としてされている。
…“医者でもあり、そのような障害の子を持つ親の、連携した会”もあるそうだ。心強い存在だと思う。

肝心な(笑)子どもたちの3年間を追った女性監督の映画の方も、押しつけがましくなく、現実をとらえ、その上で子どもたちに出来る放課後活動の実際がきちんと記録されていて、なかなかよかったと思う。席は、満杯盛況だった♪
≪Ayuたち作業所メンバーは、招待席にて、午前の部でこの映画を鑑賞。この日のAyuの仕事は、これだけ・笑。≫
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T快勝! [野球]

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いただいた、個人ではもう縁のないだろうバックネット裏の席で、東京ドームのデーゲームを。
ラッキーなことに、G×Tのルーキー投手対決を観てきました。…但し、ペアでなく1枚。

試合開始2時間前に開場(きっちり入る)、着いたとたんに阪神練習風景が広がっていたため、釘付けでした≪ご存知虎キチ・私は、Ayuが園児の時、旅行先の宮崎で偶然立ち寄ったGキャンプをきっかけに、トレーニング中の選手のとりこに≫。
【球場に入って、最初に目に飛び込んだのが、ベンチ前にいた解説の小久保氏とNHKスポーツニュースアナ(←かっこよかった)。その後、私は後方のガラス張り放送席の中にいた赤星氏の存在が気になり・笑。】

ここ最近は、年に一度のペースで球場に足を運んできましたが、いずれもAyuが一緒で阪神側の内野席。応援しやすかったわけ。
今回は席が席、まわりはGファンばかりと予想され、窮屈な状態か…と思いきや、半々ずつ混ざってはいたようで、多少はホッ。しかし、連れがないというのは思った以上に楽しさ半減でした…。集中して試合は見られたけど、ね。

大差で勝ち、藤浪クンの勝利インタビュー(なかなか立派!)まで見届けて帰ってきました。
≪外野の♪六甲おろし まで付き合っていたらきりがなし。≫

結論。最高のアングルで観させてもらったけれど、完全なる阪神側の内野席でないと、楽しめない。虎キチの中にいるからこそ、なのだ(半分以上は、試合でなく“阪神ファンを見にいっている”)。
来期は、Ayuと共に、やっぱり神宮球場に行きましょう(好き。雨の心配はあるが野球は空の下がいい。夏の夜の涼しい風が吹くナイター、いいなぁ。…それにGの本拠地は居心地悪い!)。
【Ayuにお土産。】
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