SSブログ

太宰の息子のこと、わかりました! [太宰治と家族たち]

寵児 (講談社文芸文庫)

寵児 (講談社文芸文庫)

  • 作者: 津島 佑子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/02/10
  • メディア: 文庫

きのう図書館に寄ってきました。このところ、読みたい予約本はまだ待ち状態で、私にしては珍しく「棚」をうろうろしています。それで、先日も偶然910.28(作家研究)で井上氏の本を見つけたのでした。いつもは先に読みたい本のタイトルがはっきりしているので自宅からネットで予約しちゃう。
こういう「棚時間」は必要ですね。本来はそれが図書館の醍醐味なのに。(そうでないと「分類」も生きてこないよね。)

で、うろうろしていて何気なく借りてきた(また)津島佑子さんの文庫。【初版1980年】
今朝、ぺらぺらめくっていたら巻末に『ご自身作の年譜』がありました。
これは、もしや!と。

●昭和22(1947)年3月30日 父津島修治(太宰治)母美知子の次女として生まれる。本名里子。
姉園子6歳、兄正樹3歳がいた。この年の11月12日、『斜陽』のモデルと言われた太田静子が、太宰との子ども治子を出産する。
【 ↑ この年譜のすごいのは、すべて包み隠さず書いているところである!!】
●小学4年の頃、父親の死の真相を知る。
そして、、、
●1960(昭和35)年2月 佑子13歳 ダウン症であった兄、肺炎で死亡。
【文面そのまま→】「知恵遅れの兄と一緒に育っていたというのは非常に大きいことだったんだな」と思う。「彼自身は言葉がない世界」ではあったけれど「コミュニケーションは当然」であり、兄との関わりを通して「人間の価値は頭脳だけではないだろう、と感じ」「人格的にはちゃんと尊敬していた」。
兄は人間の見方に大きな影響を与えてくれた。

わかりました。事実、長男の障害は「ダウン症」でした。
「火の山-山猿記」は父親を「作家」ではなく、「画家」としてしているものの、かなりの部分で事実をベースにかかれていると思われます。

なぜだか私は朝から涙が出てしまいました。
個人が追究していたコトではありますが、ここまで足跡をきちんと追いながら辿りついたこと(けっしてネット検索のような安易な道に手を出さなかった)、そして勝手ながら学生時代に学んだ太宰に夭折ではあったが私の娘と同じ障害があったこと(小説では、よくよだれを流していたとありました。言葉を持たなかったと妹が言っていますから、障害は重かったのではと想像します。この当時「療育」ということはまだ浸透していなかったと思われますし。)、そして佑子さん自身が『人間の見方に大きな影響を与えてくれた』と書いていること…。

この年譜、実はまだまだすごいことが書いてあります。
津島佑子さんは、勝手に独身かと思っていたのですがご結婚されていました。
23で結婚、25で長女出産、そして29歳で夫との間ではない長男を産んでいます。のち離婚。
父親のことも、お兄さんのことも、太宰が愛した女性のことも、自分もすべてあきらかにして大きく受けとめて正直に生きていらっしゃるのでしょうね。

私は太田治子さん(太田静子・娘)がお嬢さんの育児について書かれた本を持ち、Ayuが小さい時読んで楽しませてもらったこともあります。
母親の違う娘2人が、自分と同じ職業についていることは39歳目前で死んだ作家としては喜ばしいことでしょうね。
…いや、私の父に言わせれば「ありゃ、病気だ」(何度も女性と心中して)なんですが。(そりゃ、そうよね~)

なんか、もう『純情きらり』とは離れてしまっていますが、まだこの「くくり」が続く?かも。

そうそう、この原作あって、なので当然の流れだったのですが、私はあのドラマで、目が次第に見えなくなってくる長男を、無理やり治療したり、回復の兆候を見せたりせず、あるがまま受けとめて叔母である桜子が花を一緒にいつくしんだり、ピアノを弾いたりする場面がとてもよかったと思っています。 あおいちゃんも、亨役の少年の演技もいがったねぇ~(津軽弁で)。
nice!(0) 

nice! 0